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「モダニズム詩人荘原照子聞書」 第17回 死よ!来たることの何ぞ遅々たる

 投稿者:やす  投稿日:2012年 4月15日(日)02時11分55秒
   さて、前後しましたが、手皮小四郎様よりは『菱』177号を御寄贈頂いてをります。わたくし事にかまけて未だ御礼状を認めてをりませんが、紹介を先にさせて頂きます。

 今回の「荘原照子聞書き」は、「兄の庇護の元に、母とギリギリの生活を送っていた」昭和十年代の横浜六角堂在居時代が描写されてゐますが、貧乏には貧乏の上をゆく輩がゐるもので、キーパーソンとして何と稲垣足穂が登場します。同類と呼んでは叱られさうですが、けだし荘原照子のポエジーが、政治的な色合ひを帯びることは否定しつつも、何かに妥協することは頑なに拒み通す性質にあったことを、タルホを褒めちぎる聞書きの様子がよく語ってゐるやうな気もしたことです。そして彼女が稲垣足穂や、北園克衛の「VOU」から離脱した岩本修蔵、山田有勝らと拠った「詩とコント」~「カルトブランシュ」といふ雑誌のことが紹介されてゐるのですが、こちらも初出であります。特筆すべきはここで展開される「コント」といふジャンルなのですが、もちろん現代のコント――戦後ストリップ劇場の幕合に誕生し、テレビ番組とともに成長した今日の「芸人コント」とは関係がありません。雑誌を支へた澤渡恒(1916-1951)をはじめとする立教大学出身の詩人達は、最初にこの文芸コンセプトを誌名にも付して旗揚げをし、やがて「ブランシュ:白」といふ、当時すでに使ひ古されたのではないかとも思はれる言葉を選び、これまたいくぶんバタ臭さを感じさせる表紙デザインでもって雑誌の一新を図ったやうです。謂はば一時代前のモダニズムやナンセンス文芸の系譜上にあって、軽薄文化が失速しつつあった1930年代の後半、自覚的にポエジーを寸劇の中に閉じ込めたオチ無しファンタジーを、「コント」と呼んで制作し続けた訳ですが、果たしてそれがエコールとして「戦争前夜のシュルリアリズム」と呼び得る社会的な韜晦であったのかどうかといふことは、同人各人に当るべきでせうし、前衛音痴の私にはちょっと分かりかねるところであります。荘原照子は、タルホの「一千一秒物語」の書割りテイストを有した「家」といふ「コント」を遺してをり、これは次回の連載でも触れられると思ふのですが、雑誌の精粋は、戦争で刊行できなかった『薔薇園傳説:カルト・ブランシュ コント集』(1986年,澤渡恒編,デカドクラブ(山田有勝方),197p,21cm)の中に、それから雑誌の中心にあった澤渡恒の遺稿作品集『エクランの雲』(2002年,郡淳一郎編,ギャラリーイヴ,29p,30cm,付録つき)といふ限定版冊子において、さきの「家」などとともに読むことができます。なので次号刊行までに是非予習いたしませう(「ムハハハ。」笑;)。付録の当事者による対談集(聞き手・構成:内堀弘)も貴重だと思ひます。

 ここにても御礼を申し上げます。ありがとうございました。

連載第十七回 「モダニズム詩人 荘原照子聞書」 死よ!来たることの何ぞ遅々たる――横浜市神奈川区六角橋金子町  『菱』177号 2012.3,  37-43p
 

はなぐもり

 投稿者:やす  投稿日:2012年 4月14日(土)20時17分17秒
編集済
  御住職さま

いつぞやはメールにてレファレンスをありがたうございました。
「庄原篁墩」、名は懿、字は彜卿、通称文助。周防の人、安政中江戸に住む。別号に柳暗。
以前「山田鼎石」を紹介した際、高々200年余で「先生」も無縁仏にされてしまふ現今の日本に長大息したことでしたが、東京の一等地にあるお寺が、公的指定に拘らず先賢の塋域を手厚く保全されてをられる姿勢に脱帽感嘆いたしました。以前(2009年)お送り頂いた写真と情報をここに紹介させて下さいませ。

左:墓碑面欠損 明治15年8月31日没 (明治17年荘原和氏建立)
中央: 篁墩先生(庄原篁墩)之墓 文久元年10月17日没
右:荘原和氏 明治31年6月10日没

御案内をありがたうございました。
折から桜も満開で美しいお花見もできるのではないでせうか。

庄原篁墩のものではありませんが、自蔵の掛軸より一幅紹介。

一池春水[岩]生煙
多少山櫻靜言眠
漠漠濃陰未成雨
慈雲閣畔養花天
詩佛老人

一池の春水、[岩?]、煙を生ず
多少(多く)の山桜、静かに言(ここ)に眠る
漠漠たる濃陰(曇天)、未だ雨を成さず
慈雲閣畔、養花天(花曇り)
詩佛老人

解読訓読御教示を待ちます。「慈雲閣」は増上寺でせうか。昔、池があったことを知りません。お寺の桜だから殊更「山桜」と掛けてゐるんでせう。
 

荘原家墓碑

 投稿者:一行院 住職  投稿日:2012年 4月14日(土)12時46分24秒
  当山に荘原篁墩師の墓碑がございます。なぜ当山にあるのかは不明ですが、当サイトをご覧の方でご興味があれば是非ご参拝ください。

http://www.ichigyo-in.jp/

 

はるのあらし

 投稿者:やす  投稿日:2012年 4月 4日(水)01時26分8秒
   郡淳一郎様より映画史家の先師をしのぶ『田中眞澄追悼誌』(2012.3.10 田中眞澄書誌・蔵書目録編纂会発行,15p 30cm 500部)を、小山正見様より詩人である先君小山正孝の詩の朗読会の御案内を頂きました。御礼と共に報知いたします。ありがたうございました。

 さて、この四月を以て帰郷奉職二十年。齢を重ぬること五十一歳。この期に及んでふたたび独り身に戻ることになり、年度替りの仕事に取り紛れながらも、思ふところは多いです。情けない仕儀に立ち至った、渾ては自分の不徳ゆゑであり、漱石の漢詩に倣ふるなれば、

「春風吹いて断たず、春恨幾條條。」

 昨日来の風雨に袖もそぼ濡れ、些か途方に暮れてをります。以上報告のみ。
 

『漢詩人岡本黄石の生涯』

 投稿者:やす  投稿日:2012年 3月25日(日)22時14分9秒
   以前に入手した岡本黄石の伝記『漢詩人岡本黄石の生涯』の続編が、その後2集3集と刊行されてゐることを知って世田谷区立郷土資料館に発注したところ、図書館ではなく個人宛に寄贈していただき、寔に恐縮しました。彦根藩家老であった岡本黄石は、梁川星巌をめぐる後進気圏の逸材であるばかりでなく、「悪謀の四天王」と目された師と、主君井伊直弼との間にあって苦悩した、時代に翻弄された歴史的人物といってよい人であります。第3集の副題「三百篇の遺意を得る者」といふのは、「詩経三百篇」をふまへた黄石の人品骨柄に対する星巌の最大限の賛辞ですが、斯様に豊富な資料が、詳細な解読手引きを付して公刊されたことに唯ただ瞠目するばかりです。第一集と同様、学習に活用させて頂きたく、ここにても厚く御礼申し上げます。ありがたうございました。  

感謝

 投稿者:松田  投稿日:2012年 3月15日(木)10時56分54秒
  山鶏の早速の更新、まことに有難うございました。
戯句のお返し。山鶏やせっつかれずとも素早くて。
 

(無題)

 投稿者:やす  投稿日:2012年 3月14日(水)21時37分57秒
   池内規行様より「北方人」第16号、舟山逸子様より「季」96号を拝受。「北方人」には「青山光二年譜」が、「季」には杉山平一詩集『希望』の書評が掲げられてをります。ありがたうございました。

 詩集『山鶏』updateしました。戯歌一首。 あしひきの山鶏の詩をしたり気にスキャンしながらひとりかも読む

 花粉飛散とともに気分沈滞とどまるところを知らず。大震災より一年。病ひをおして追悼式典に御臨席賜った天皇陛下に対する新聞記事の、その「日本国象徴」に対する失礼な小ささに (ビデオレターの時にも書きましたが) 憤ってをります。

 わが生活もまた転機を迎へんとしてゐるやうです。

 

「山鶏」お礼

 投稿者:松田  投稿日:2012年 3月14日(水)08時44分42秒
  やす様。厚かましいおねがいに早速ご回答いただきありがとうございます。「山鶏」の画像データを楽しみにしています。一瀬稔の入手できる詩集は手に入れようと思います。
ありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:やす  投稿日:2012年 3月13日(火)17時44分12秒
編集済
   松田様 レファレンスありがたうございました。


 御指摘の『山鶏』テキストですが、これは昔テキストアップした『故園小景詩鈔』のなかから『山鶏』所載のものを拾って掲げてをり、仰言るやうに番号が合ってゐないですね。仮名遣ひも歴史的仮名遣ひになってをりませんし、『山鶏』原本の画像データに差替へたいと思ひますので、お待ち下さい。
 なほ『故園小景詩鈔』のテキストアップは、生前著者から許可を得てのことでしたが刊行元から御指摘をいただきとりさげてをります。てっきり自費出版であると思ひ、御迷惑をおかけしてをりました。詩人が『明日の糧』以降に到着した境地はすばらしく、
少々高い本ですが、是非愛蔵されることをおすすめ致します。



今後ともよろしくお願ひ申し上げます。用件のみとりいそぎ。


 

山鶏

 投稿者:松田  投稿日:2012年 3月13日(火)15時34分27秒
   こんにちわ。はじめて書き込みさせていただきます。神奈川県の松田と申します。「四季派の外縁」で一瀬稔の「詩集 山鶏」を初めて知り、こんなにいい詩集があったのかと大変嬉しく思いました。今、愉しみに何度も読んでいます。ところで、お尋ねですが、詩の掲載方法は、詩集そのままというわけではないのでしょうか。というのは、目次と本文では掲載順などいろいろな点で異なっていますので、ちょっと気になってます。細かくなりますが、次のような点です。
1.目次の番号と詩本文につけられた番号が1から5までは一致していますが、それ以下は番号・順番ともに異なっています。
2.目次にあって本文がないものがあります(目次番号6、9、10,11、13)
3.本文があって目次にないものがあります(本文28「春日」、29「山の小駅」)
4.「山の空」がルビの違いがあるものの重複しているようです(本文4、23)
5.「菜園の頌」が目次では章(節?)の題になっていますが、本文では詩の題になっています。
6.「昼の月」が目次では二つ(14、15)ですが本文では三つあります(20、21、22)
 こまごましたことをお問い合わせしてまことに申し訳ありませんが、入手不可能な貴重な「山鶏」を詩集の順序通り読んでみたくて書き込みさせていただきました。よろしくお願い致します。
 

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