teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

新着順:67/771 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

舟山逸子散文集『草の花』

 投稿者:やす  投稿日:2014年11月11日(火)21時08分59秒
  通報
   新詩集『夢みる波の』に続き、はじめての散文集『草の花』を、関西四季の会の先輩、舟山逸子様よりお送りいただきました。御刊行のお慶び、そしてふたたびの恵投に与りました御礼をここにても厚く申し上げます。

 先輩舟山さんはわたしよりもうひと世代上、第4次復刊「四季」をリアルタイムで体験された投稿世代にて、ここには「四季」終刊を契機に関西四季の会を興され、本格的に詩作を始められた1970年代から折に触れてものされた散文の粋が収められてゐます。乙女心が映える瑞々しい初期文章はもちろんですが、詩人必ずしも詩情を展ぶるに韻文に限ったものでないこと、ことにも舟山さんの詩人たる特長はむしろ散文の語り口に於いて顕著であること、かうして纏められると一層はっきりするやうな気がいたします。清楚で内省的で、地に足の付いた誠実な心情の吐露は、その手際がまた杉山先生を例に出すなら「手段がそのまま目的」であります。即ち「文は人なり」といふことに尽きる訳ですけれども、書きはじめられた頃の文章から些かの変りもない「操」「育ちの良さ」といった、実際に舟山さんに会った人がやはり同じく感じられるであらう印象に重ね合はせては、また驚いたことでありました。

 第一部の創作エッセイでは、詩人が得意とする美術館探訪エッセイの嚆矢といふべき、碌山美術館の回想を叙した冒頭の一文をはじめ、若くして逝った先考を追慕した作品、花弁を呑み込まうとしては吐き出してしまふ鯉に託した切ない短編などにこころ打たれます。
 対して第二部の詩人論には、これまで単発で発表されたままの優れた立原道造論・杉山平一論がまとめて収められてをり、昭和期の最良の読者から眺められた視点が、そのまま同時代の詩人達に同じ書き手の視線から援用されるところにもあらたな発見を認めます。

「視野の限界が映画の芸術性を支えている。」253p「「型」の肯定は杉山平一氏の特質の一つではないだろうか。」252p
「興味深いのは、この「隱す」ということが、すっかり溶けこんで混じり合ってしまうということでは決してない、ということである。(中略) 存在そのものを消しはしない。(中略) その存在のありようは、強い自負心に裏打ちされているように思われる。」257p


 これを読まれた杉山先生の喜びが手に取るやうに分かるやうな評言に、思はず鉛筆を引いてしまひます。


「私は信じる。「うそ」のなかの「ほんたう」こそが、文学の真実の世界であり、それは常に「ほんとうらしいうそ」であるかもしれぬ現実世界とせめぎ合っていると。」185p
「「夢をみた」と詩人がいうとき、詩人は決して眠ってなどいない。目を閉じてなどいない。くっきりと目ざめていて、その「夢」をみているのである。」207p


 詩人の成立背景を余すところなく語ってゐる点、そして「四季」の詩人達に私淑された影響(成果)が、当時昭和40年代の現代詩ブームが与へた影響よりも、 散文であるためよりはっきりと刻印されてゐるといふ意味においても、舟山逸子の抒情詩人を一番に証する一冊として語られるものになるのではないでせうか。

舟山逸子散文集『草の花』2014.11.1 編集工房ノア刊行 285p 2,500円 isbn:9784892712159
 
 
》記事一覧表示

新着順:67/771 《前のページ | 次のページ》
/771