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「アフリカからアジアをみる ―日中戦争期の保田與重郎とマルクス主義民族論―」

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2017年 3月26日(日)16時50分14秒
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 西村将洋様より雑誌『昭和文学研究』74集抜刷(42-56p)「アフリカからアジアをみる ―日中戦争期の保田與重郎とマルクス主義民族論―」をお送り頂きました。

 ここにてもあつく御礼を申し上げます。

 保田與重郎が『コギト』を始めるにあたって問うたのは「何を文学する(マルキシズム)」でも「どのように文学する(モダニズム)」でもない「なぜ文学を始めた」といふ問題意識でした。それを鮮明に他者へ伝へるために発動された「イロニー」は、読者の偽善や安穏を暴き、当事者性を掻き立てる、挑発的な表現手法といってよいでしょう。

 今回、俎上に上げられたテキストは、ペンネーム「松尾苳成」名義の保田與重郎の一文「文明と野蛮についての研究──ダホミーのベベンチュ陛下の物語の解説」(『コギト』昭和13年1月号)です。

 このなかで「解説」が施されてゐるのが、いつもの日本の歴史や古典、或ひはドイツロマン派でもなく、アフリカの一王国の野蛮な逸話であることに、先づ驚きがありました。しかし蘊蓄を封印した分、一文のイロニーも直截です。さうして斯様な表現をするためには、自身が先づ「過剰な読解者」でなければならなかったといふことを西村さんは指摘します。けだし表現と読解とはコインの裏表である筈で、過激な表現で読者に噛み付く彼は、いったい何を読み取った上でそのやうな言挙げをしてくるのか、その剥き出しの表現の手前でおさめてゐるものは何なんだ、それこそが問題なんじゃないかとの洞察に感じ入りました。

 一文の趣旨は、列強視点の「野蛮人」を擁護するべく、宗主国への反証を敢へて試みたものなのですが、他者を自分の尺度で「野蛮人」として見くびる「文明人」のことを非難する論者自身は、ならば文明人なのか野蛮人なのか。謂はば「上から目線」で彼らのことを勝手に忖度する矛盾を犯してゐるのを指摘したところで、「だからペンネームなんです」と逃げ道の絵解きがされてをり、なるほどと、再び驚いた次第です。

 中盤には「何が文明で、何が野蛮か」といふ同趣旨で開陳を試みた、スペイン人民戦線が冒した野蛮行為を嫌悪する一文(「文芸時評 法王庁の発表」『日本浪曼派』昭和11年10月号)が上げられてゐますが、教会への破壊行為を敢行する彼らの野蛮と、やはり当時党員の粛清を始めたスターリンの野蛮とは、新たな文明のために払はなければならぬ犠牲といふ意味において何ら変るものでないと言及、まんまと挑発にかかって噛みついてきた、人民戦線を擁護する三者(林房雄・亀井勝一郎・三波利夫)を、犠牲者に寄り添ふ濃度によって色分けをし、斬り捨ててゐます。

 しかし保田與重郎が三者のなかで同情を寄せた林房雄が語った、犠牲物でなく犠牲者に心を寄せる「庶民の血」とは、言ってみればポピュリズムそのものではないでしょうか。さうして「何が文明で、何が野蛮か」「何が犠牲者で、何が侵略者か」の議論は、ポピュリズムにおいてどちら側にも横滑りしてゆく危険があることを、西村さんは「マルクス主義民族論(植民地解放闘争)の問題意識を共有していた」中野重治との意識の差異を通して明らかにしてくれました。中野重治と保田與重郎と、世代の異なる両者が意識するところの「植民地(犠牲者)」が、日本に対する朝鮮なのか、欧米に対するアジア諸国なのか、そこから発動される倫理は「他者(の立場)を想像せよ」と傲慢を弾ずることなのか「たやすく他者(の心)を想像するな」と軽佻を戒めることなのか。

 左翼思想が後退を余儀なくされたインテリゲンチャ世代の心情が、自他ともに対する厳しい自己責任論の上に立ち、当事者として「命がけの立場に立つか、さうでないか」「命がけの立場に立てば犠牲者が出ても仕方がないのか、そんな犠牲がでるようなものは正義でも何でもないのか」の決意表明や選択を次々に迫られていった時代下でのお話です。

 西村さんは最後に己の決意の純粋のみによりかかる保田與重郎のレトリックを、「決断の修辞学」「野蛮の倫理学」と呼び、時代によっては「極めて危険な言葉」となって飛び出すと心配してをられますが、──さて警鐘は時を隔て、現在の日本でも鳴らされる可能性があるものかどうか。

 現在の日本は、金権政治家とマスコミとが反目しつつも一致して掲げるグローバリズムへと巻き込まれてゆくやうにもみえます。このまま欧米と同様の格差社会・分断社会への途を進んでゆくのではないか、本当に不安ですが、もしも保田與重郎が再び現れ、イロニーを弄してタブーの告発を行ったとして、飽食文化と自虐史観に馴らされた国民が「炎上」し、目醒めることなどあるでしょうか。このたびはポピュリズムによって潰されてしまふのではないでしょうか。

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