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『田中克己日記』 昭和29年

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 5月14日(土)21時40分48秒
  『田中克己日記』昭和29年upしました。

保田與重郎との関係について、少しだけつっこんで解説を書いてみました。

http://cogito.jp.net/tanaka/yakouun/tanakadiary1954.html
 
 

限定15部の詩集

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 5月13日(金)16時56分38秒
  奥付を見ると昭和14年1月に印刷を終へたのち内藤政勝の許に預けられたもののやうで、
完成するまでの一年近く、著者は(おそらく学生であったのでしょうか)本郷の弥生アパートの一室にあって、
自分の初となる詩集の豪華な出来上がりを心待ちにしたことに相違ありません。

著者の江泉正作はこののち、詩人ではなく俳人に転身。
昭和16年の滝春一の句集『手毬唄』を同じく内藤政勝が造ってゐるのですが、おそらくこの詩集制作が機縁となってのことでしょう。
江泉は瀧春一が主宰する『暖流』(『馬酔木』の衛星雑誌)の編集実務をつかさどり、戦後も師を支へたと聞きます。
一方の内藤政勝はといへば、これは個性的な造本家として著名ですね、
すなはち後に数々の稀覯本詩集も手掛ける「青園荘」の主人であります。



長らく詩集を集めてきましたが、限定15部なんて本を手にするのは初めてです。
稀覯性に鑑み内容を公開しました。
奇抜な意匠はみられませんが、結構大きく、堅牢な造りであり、
内藤政勝の仕事においても最初期の一冊に数へられるものではないでしょうか。
詳細を御存じの方には情報をお待ちしてをります。

http://cogito.jp.net/library/0e/ezumi.html
 

はぐれたる春の日に。

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 4月11日(月)16時30分14秒
編集済
  ひさしぶりに【四季派の外縁を散歩する】第21回 東北の抒情詩人一戸謙三 を更新しました。
このたびはまた御ひとかた、 抒情の血脈を同じくする先達の「素顔」に接し得てよろこんでをります。



さて、教へていただくまで気が付きませんでしたが、完全テキスト主義で、かなりマイナーな詩人までフォローした奇特な戦前詩人のデータベース「名詩の林」ホームページが、今年になって(?)あとかたもなくなってゐました。自分のホームページの未来をみる思ひで慄然としてゐます。

けだし自分も四捨五入すれば60になってゐたといふ始末。
現在自分にふりかかってきている運命に理由をもとめることはやめにしないといけないな、とも思ふやうになりました。
仕事のこと、家族のこと、後がありませんが、一日一日を大切に暮らしてゆく所存にて、今後ともよろしくお願ひを申し上げます。



【寄贈御礼】
ここにても御礼申し上げます。ありがたうございました。

『詩集 修羅の歌声 (飯島研一様)』
『相逢の人と文学』 (千葉貢様)』
『北方人第23号 (池内規行様)』
『桃の会だより24号 (鷲野和弘様)』
『菱193号 (手皮小四郎様)』
『gui107号 (奥成繁様)』
『遊民13号 (大牧冨士夫様)』
『調査報告 菊池仁康訳『プーシュキン全集』とボン書店 (一戸晃様)』


【御紹介御礼】
現代詩のアーカイブ 「Crossroad of word」にて、拙詩がChronologyの末席へ掲載に与り、感謝と恐縮の至りです。
 

『福士幸次郎展 図録』 ほか

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 1月16日(土)20時14分27秒
  青森県近代文学館の資料調査員、一戸晃様より、詩人阿部幾男が紹介された『玲』別冊号、ならびに弘前市立郷土文学館の「福士幸次郎展」図録の御寄贈に与りました。茲にても御礼を申し上げます。ありがたうございました。


○探珠『玲』別冊『暮小路晩爵(阿部幾男)』

晃氏のもとには、祖父の一戸謙三が遺した原稿や来翰など、郷土の近代文学史を証言する貴重な原資料が多数管理されてをり、遺族ならではの視点から編まれた個人研究誌『玲』が現在すでに158号を数へてゐます。
資料の紹介は詩人だった祖父にとどまらずその交友関係にもひろげられてゐますが、これは(かつて坂口昌明氏が指摘されてゐましたが)初期の詩業を整理淘汰した感のある一戸謙三においては、交友を跡付ける資料から若き日の活躍ぶりが明らかになることも多いことから、広義の顕彰活動ともいへるでしょう。このたびは別冊扱ひとなってゐますが、阿部幾男といふ詩人についても、一戸謙三には絶筆と思しき葉書を送ってゐる親密な間柄であったことが知られます。青森市長だった親を持ち、放蕩詩人として宿痾やスキャンダルといった、斯様な素性につきものの逸話がたくさん報告・紹介されてゐますが、手紙や作品のなかにみられる、

「毎日吸入器のゆげばかりたべて生きてゐます。」
「只呆然と貝殻のやうに風を聴き、小川の鮒のやうに空気を呼吸し、みずたまりのやうに目は物の姿を映してゐます」
「その時私はどいふわけか、いつか夏の涼しい縁側で水色の羽織紐を噛んだときのことを思出した。(中略)どんな味がするって?おいしいことはありませんね。」


といった言葉に対する鋭い感性には紛ふ事なき詩人ぶりが感じられ、アンソロジーを旨とした「パストラル詩社」時代に、個人詩集をもつに至らなかった不幸を思ったことでした。

 「四季の目録」  阿部幾男

 春は床の水仙
 夏は岩のしめり
 秋は俥の雨
 冬は煙突のけむり


(平成28年1月 一戸晃発行 A4コピー誌24p)



○『福士幸次郎展 図録』

先達て紹介した『言霊の人 棟方志功』のなかでも、鍛冶屋の息子であった棟方志功が「鍛冶屋のポカンさん」といふ詩を書いた福士幸次郎を訪ねる条りが書かれてゐましたが、大正時代の東北地方の、詩にかぎらぬ文化活動を語る人たちの口に上る「福士幸次郎」といふ要人の名が、今以上に偉大なものとして認知されてゐたことについて、今日の公的文学館が展覧会を開き、解説を試みた意義は大きいと思ひます。

当地との関りでは、福田夕咲(飛騨高山出身)が口語詩揺籃期の盟友として、また放浪時代の一時期を過ごした名古屋との縁もあってか、金子光晴を詩壇にデビューさせた恩人として、佐藤一英とはおなじく音韻詩を模索した先輩詩人として、浅からぬ縁があります。棟方志功が雄飛するきっかけとなったのは佐藤一英の詩「大和し美し」でしたが、彼らの媒をなしたのも福士幸次郎でありました。さうなると一戸謙三をはじめとする門下生の集まる「パストラル詩社」と、福士幸次郎を講演に招いたこともある「東海詩人協会」との接触もあったかもしれません。

一方で当時、盟友からも後発の詩人達からもその詩人的奇行と見識によって尊敬を贏ち得てゐた様子だった彼が、その後およそ国柄とは本質的にそぐはぬ「ファシズム」の名を冠した団体を立ち上げ、晩節を汚したまま亡くなってしまったことにも思ひは及びました。
一家言の理論家肌がわざわひしたものか、提唱した地方主義運動によってかきたてられた郷土愛・祖国愛が、後年創始した日本古代文化史論においても「尾張は日本のメソポタミヤであり、木曽長良の両川はチグリス、ユウフラテスにあたる」といった創見にとどまらず、図らずも彼をファシズムへと迷はせる讖となった可能性はあります。
ほかにも拘泥した理論に音韻詩がありましたが、詩壇を動かすには至らず(これは聯詩を追及した佐藤一英も同じでしたが)、敗戦まもなく急逝してしまったため戦後史観によって黙殺された結果、近代詩を語る際に逸することのできない業績を遺しながら、徒らに名高い不思議なキーパーソンとしての「福士幸次郎」が取り残されてあるやうな気がしてなりません。

しかしながら、この図録に紹介されてゐますが、無名時代を損得抜きで世話になった金子光晴やサトウハチローのやうな破格の人物から生涯敬慕され続けたといふ事実、そして当時の詩壇の盟友達が彼の逸話集なら何ページでも書けると受け合ったといふ話、これらから結ばれる人物像に、およそ「ファシズム」の名も理念もそぐはないこともまた確かでありましょう。大正時代に開花した口語詩を代表する萩原朔太郎、その彼が寄せた一文が、詩人福士幸次郎の本来の面目と地位を裏書きするやうな証言として掲げられてゐるのを読んで、私自身の認識もあらためられた気がしました。

図録には、館蔵資料のほか一戸謙三の許に遺された原資料も多数掲載され、書影・書翰・原稿、そして萩原朔太郎と室生犀星が一緒に写ってゐる珍しいスナップや、金子光晴の『赤土の家』出版記念会など、全国各所の文学館所蔵の写真の数々にも瞠目しました。概してどれも小さく、もっと拡大して掲載して欲しかったところです。

大正詩に詳しい者ではありませんが、以下に目次を掲げて概略を報知・紹介させて頂きます。


『福士幸次郎展 図録』目次

詩篇紹介 「錘」ほか15編

資料紹介
書・色紙・短冊・草稿・書簡・書籍・雑誌

福士幸次郎の生涯
 1弘前に生まれて文学青年となるまで
 2自由詩社に入り、詩を発表
 3第一詩集『太陽の子』 口語自由詩の先駆
 4詩集『展望』とパストラル詩社
 5地方主義運動(1) 地方文化社の設立
 6地方主義運動(2) 地方主義の行動宣言
 7「日本音数律論」 詩のリズム研究
 8『原日本考』 古代の研究
 9館山北条海岸で没す 弘前市に文学詩碑

福士幸次郎を取り巻く詩人たち 竹森茂裕
佐藤紅緑・ハチロー・愛子に愛された福士幸次郎

福士幸次郎自伝
福士幸次郎君について 萩原朔太郎
弟の思ひ出 福士民蔵

福士幸次郎書簡
福士幸次郎年譜

(平成28年1月12日 弘前市立郷土文学館発行 29.6cm 40p)
 

『言霊の人 棟方志功』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 1月 3日(日)11時25分51秒
   石井頼子様より新著『言霊の人 棟方志功』(平成27年12月里文出版刊)および、新学社制作のすばらしいカレンダーの御寄贈に与りました。
ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。

 雑誌連載をまとめられたものですが、棟方志功が関はった文学・文学者との交流について、寝食を共にした家族ならではの立場から、残された手紙資料なども駆使し、大胆な推論を交へたレポートがなされてゐます。板画業の発生・展開に沿って選ばれた各章の人物は下に挙げた通りで、同一人物に費やされる連載回数はそのまま画伯との関はりの深さを示してゐます。そもそも画壇との交流の薄く、風景を観るに心の眼に拠り、文章に強い執着を示したといふ棟方志功。詩歌作者との関係は、単に画題提供にとどまらぬ側面があったはずで、本書はその人となりを、近代詩歌との親炙性に特化して論じた初めての本であるといっていいと思ひます。

 象徴的なのは、保田與重郎に相応に3章(連載)も費やされてゐることかもしれません。20~30年前までは、憚られることはあれ、決して名声に資することはなかった日本浪曼派の文学者たちとの関はりが、斯様にとりあげられ語られることは考へられなかったことであり、さらにそれ以前の、最初に雄飛するきっかけとなった画題を提供した詩人佐藤一英との関係も、踏み込んだ推論をもって語られてゐます。
 曰く、その「大和し美はし」が保田與重郎との交流を深める過程でモチベーションが温められていったのではといふことや、詩人との交流が以後それほどには深まらなかった理由についても――つまり「大和し美はし」の後、「鬼門」といふ詩篇にふたたび触発されて制作されたと思しき「東北経鬼門譜」が、絶対的師匠である柳宗悦に認められず改変を命じられたこと。その結果、師が没するまで大きな画題にはチェックが入り、それはそれで適切な教育係によって彼が仏教に開眼する訳ですが、柳宗悦が没するまで、遂に故郷への濃密な思ひさへ断ち切る選択をしたのではなかったか、といふ条りには瞠目しました。
 他にもデビュー当時に彫った、宮澤賢治の生前に成った「なめとこ山の熊」の版画のこと、郷里青森の新聞連載小説の挿絵を描いた「これまで世に出たどの図録にも年表にも自著にも掲載されていない、幻の仕事」を考察する段(その三十 中村海六郎)においても、著者自ら本書の各所で「穿ちすぎであろうか」と断ってゐますが、一歩も二歩も踏み込んだ推論がかくやあるべしと思はれ、水際立ってゐるのです。

 もちろん生涯を通じて恩恵を被った民芸運動の指導者たちやパトロン、あるひは俳壇・歌壇・文壇の宗匠・文豪クラスのビッグネームについては戦前、富山疎開時代、戦後を通じて十全のページが割かれ、魂を太らす大切な交流が描かれてゐます(安心してください 笑)。
 初対面で意気投合した河井寛次郎が画伯を伴って帰る際「クマノコ ツレテ カヘル」と電報を打ち、京都の河井家を騒然とさせた笑ひ話など、数々の「らしい」人となりを伝へる頬笑ましいエピソードもふんだんに盛られてゐます。 しかし戦争に関はり、大方は戦後を不遇で通した詩人たちについて――詩壇に君臨した同じ東北出身の草野心平や、いっとき野鳥や骨董や趣味の悉くに傾倒した蔵原伸二郎はともかく、山川弘至・京子夫妻といった人たちにまで公平に一章が手向けられてゐることには、時代が変ったといふより、著者の心映えを強く感じずにはゐられません。このあたりがこれまでの評伝や図録解説とは大きく異なるところではないでしょうか。

 さうして本書には、「柵」として成った「板画巻もの」の作品のみならず、五百冊以上にものぼるおびただしい装釘本の仕事についても言及があります。山川夫妻の著書の他、さきにのべた日本浪曼派との関はりは主にこれにあたるといっていいでしょう。
 保田與重郎のなかだちによって、蔵原伸二郎の『東洋の満月』そして保田自身の『改版日本の橋』を初めとする装釘仕事が開始しされ、

「あばれるやうに彫り、泣くやうにして描きまくって」「何年間に亙ってなす修業を、何日かで終ふるやうな荒行」※


とも見紛ふばかりの無茶苦茶にいそがしい当時の仕事ぶりが写されてゐます。その結果、「日本浪曼派叢書」ともいふべき「ぐろりあそさえて」の35冊や、数々の伝統派文芸雑誌の表紙を飾ることになった、土俗的民族的生命感あふれる意匠の肉筆画が表象するところのものによって、棟方志功は日本浪曼派の意匠的代名詞のやうに世間から目されることになるのです。

「大東亜戦争に入った頃、私は新宿の一番大きい書店の、飾窓や、書物販売台が、内容は個々だが、棟方画伯の装釘本ばかりで埋められているのを見て、驚嘆したことがあった。前代未聞、後世にも想像できない壮観だった。」※

 『棟方志功全集』第一巻序文※に寄せられた保田與重郎のこの一文には、文壇の一時代を象徴する感慨を感じざるを得ません。

 既製の棟方像において語られることのなかった、かうした戦前文学者との渝らぬ交流が、平成の現在になってやうやく、御令孫にして女性ならではの眼によって拘りなく語られるのを読みながら、私は胸のすく思ひがし、時代の変化を実感することができました。そして戦後二度目の雄飛により「世界のムナカタ」に跳躍してゆく過程で、周辺で何がおき整理されていったのか、画伯をサポートする新しい人脈の出現とスタイルの確立との関係についても分かるように綴られてをり、得心したことでした。

 画伯自身は、周りが種々の雑音をスポイルせねばならなかったであらう多忙な創作生活にあっても、師友との交流だけは大切にし、保田與重郎との友情についても生涯憚ることはありませんでした。それだけに『保田與重郎全集』45冊の装釘が当然あるべき姿にならなかったことは、当時私も驚いたところで、後日談に分のある著者にして感想をお聞きしたかったところです。
 とまれ戦後、画伯はその板画が世界に認められることにより、当時の仕事に対する仕事以上の想ひ入れの有無についてことさら問はれることもなく済んだのであります。多くの文学者がさうしたやうに、そこで戦前の柵(しがらみ)と縁を切ってもよかった筈。しかしさうはならなかった。両者の思ひ余さず語られた言葉を引いて著者は最後に

「棟方の「芸業」はすべて「想ひ」から生まれたものと保田は説く。長い親交を通じて、棟方の「想ひ」の真の理解者が保田與重郎であった」


と締め括ってをられます。

 拙サイトに偏した紹介とはなりましたが、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。



『言霊の人 棟方志功』 石井頼子著 平成27年12月里文出版刊 18.8cm 342p並製カバー  2300円

目次

その一 棟方 志功
その二 「修証義」
その三 「善知鳥:うとう」
その四 福士 幸次郎1
その五 福士 幸次郎2
その六 川上 澄生
その七 宮澤 賢治、
その八 佐藤 一英、
その九 蔵原 伸二郎、
その十 會津 八一、料治 熊太
その十一 保田 與重郎1
その十二 保田 與重郎2
その十三 保田 與重郎3
その十四 河井 寛次郎1
その十五 河井 寛次郎2
その十六 大原 総一郎
その十七 前田 普羅、石崎 俊彦1
その十八 前田 普羅、石崎 俊彦2
その十九 永田 耕衣
その二十 山川 弘至、山川 京子
その二十一 石田 波郷1
その二十二 石田 波郷2
その二十三 原 石鼎1
その二十四 原 石鼎2
その二十五 岡本 かの子
その二十六 吉井 勇
その二十七 谷崎 潤一郎1
その二十八 谷崎 潤一郎2
その二十九 谷崎 潤一郎3
その三十 中村 海六郎
その三十一 「瞞着川:だましがわ」
その三十二 柳 宗悦
その三十三 ウォルト・ホイットマン
その三十四 小林 正一
その三十五 松尾 芭蕉
その三十六 草野 心平
その三十七 棟方 志功
 

【付記】

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 1月 3日(日)11時21分15秒
編集済
   本書『言霊の人 棟方志功』を繙く際、是非一緒に広げて頂きたい図録があります。

 図録『「世界のムナカタ」を育んだ文学と民藝:高志の国文学館企画展』 2013.11 高志の国文学館(富山)刊行 80p 30cm 並製 です。

 棟方志功の画業に関して出された画集・図録は数々あれど、書籍の装釘にスポットを当てたものは少なく、本書『言霊の人』のなかでも紹介されてゐますが、膨大な志功装釘本の全容を解明すべく収集に努めてこられた山本正敏氏(富山県埋蔵文化センター所長)のコレクションから、郷土の文学館の企画展で披露された永年の成果がカタログ化されてをり、主要な「柵」と同列に、ほとんど本書の章立てとも対応するやうに並べられてゐます。
 美しいカラー図版に盛られたこれら書影の数々が、文芸との関はりにスポットを当てた本書を読む際の最強の補足資料となることは間違ひありません。

目次

ごあいさつ 1p
棟方志功の板業や人物像に対する文学の視点 ―なぜ文学館で棟方志功展なのか― 福江 充 3p

第一章 棟方志功の装画本からみる文学とのかかわり
 棟方志功装画本の世界 山本正敏 8p

 児童文学の挿絵10p
 初期装画本12p
 日本浪曼派作家の装画本(保田與重郎・中谷孝雄)14p
 保田與重郎の周辺の周辺1 16p
 保田與重郎の周辺の周辺2 18p
 ぐろりあ・そさえて社の装画本20p
 戦前の装画本1 22p
 戦前の装画本2 24p
 民藝運動とのかかわり26p
 郷土作家の装画本28p
 郷土の文芸雑誌1 30p
 郷土の文芸雑誌2 32p
 戦後の装画本1(谷崎潤一郎・吉井勇)34p
 戦後の装画本2(今東光・村松梢風ほか)36p
 戦後の装画本3 38p
 戦後の装画本4 40p
 戦後詩壇の装画本42p
 戦後歌壇の装画本44p
 戦後俳壇の装画本46p
 戦後雑誌の装画48p

第二章 棟方志功と民藝運動
 棟方志功と民藝運動 52p

 板画「大和し美し」53p
 板画「華厳譜」54p
 板画「空海頌」55p
 板画「善知鳥版画巻」56p
 板画「夢応鯉魚版画柵」59p
 板画「二菩薩釈迦十大弟子」60p
 板画「女人観世音板画巻」61p
 板画「流離抄板画巻」62p
 板画「瞞着川板画巻」63p
 安川カレンダー瞞着川頌65p

《ことば》の人 棟方志功 渡邊一美66p
【特別寄稿】世界のムナカタと「立山の文学」・一枚の版画から 奥野達夫 68p
棟方志功略年譜 70p
出品目録74p
謝辞80p
 

謹賀新年

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 1月 1日(金)01時32分7秒
  年末に石井頼子様よりお送り頂きました新著『言霊の人 棟方志功』(平成27年12月里文出版刊)、および新学社制作のカレンダー。
追って紹介させて頂きます。
ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。

今年よりハンドルネーム返上、名前で参ります。今年もよろしくお願ひ申し上げます。
 

良いお年を。

 投稿者:やす  投稿日:2015年12月31日(木)12時32分56秒
  今年の主な収穫を、入手日降順に一覧。
新刊、古書ともいただいた本が多い1年でした。といふより本が買へなくなりました。
今年の図書購入費は5万円に満たず。こんなことは初めてでしたが、今後は当たり前になるでしょう。
図書館からの異動に伴ひ、寄贈した600余冊の本の返還が叶ひ、
自分で貼ったり押したりした、ラベルや図書館印の入った研究書の姿に涙してゐます。

良いお年をお迎へ下さい。


外村彰編『高祖保集 詩歌句篇』平成27年
高祖保『庭柯のうぐひす 高祖保随筆集』平成26年(勝井様、おまけを頂きありがたうございました。)
石井頼子『言霊の人 棟方志功』平成27年(追ってレビューを上させていただきます。)
小笠原 眞『詩人のポケット』平成26年
小山田隆明『詩歌に救われた人びと―詩歌療法入門』平成27年
谷崎昭男『義仲寺昭和再建史話』 非売平成27年
大沼枕山 点『嚶々吟社詩』明治21年
斎藤拙堂『全釈拙堂文話』平成27年
佐藤惣之助『正義の兜』大正5年
一戸謙三『歴年』昭和23年
藤田金一『白い焔』昭和5年
谷鉄臣ほか『鉄庸集』明治16年
富山県詩誌『日本海詩人』『裏日本』『詩朝』『海』ほか 昭和2年-12年
冨岡鐵齋『複製扁額 山紫水明處』大正13年
松村又一『畑の午餐』大正10年
藤林平也『高空ノポエツ』昭和7年
井村君江『日夏耿之介の世界』平成27年
澤村修治『悲傷の追想 肥下恒夫の生涯』平成24年
冨岡鐵齋『鐵齋筆録集成』平成3年
小山正孝『小山正孝全詩集』平成27年
廣田末松『午前の歌』昭和5年
 

『詩人のポケット』『初めての扁桃腺摘出術』

 投稿者:やす  投稿日:2015年12月26日(土)14時48分1秒
  先般の『感泣亭秋報』10号で名を連ねさせて頂いた小笠原眞様に拙詩集をお送りしたところ、折り返し有難い御感想と一緒に、御詩集『初めての扁桃腺摘出術』および詩論集『詩人のポケット』の御寄贈に与りました。ここにても厚く御礼を申し上げます。

『詩人のポケット』は、中村俊亮/藤岡保男/山之口獏/平田俊子/天野忠/圓子哲雄/田村隆一/泉谷明/金子光晴/井川博年/黒田三郎を論じた詩論集。挙げられた11人が中央・地方、名の大小に拘らず、皆これまでの詩生活に影響を与へてきた詩人からすぐられたものであるだけに、対象への愛にあふれ、評論であると同時に著者自らの詩人としての個性をも多角的に表明してゐる一冊であると感じました。雑誌『朔』の連載は読んでゐたはずですが、かうしてまとまったものを拝読してみると、姿勢(気質)によるスタイルの統一感(これは詩集を一貫して編年体で解説するところにも表れてゐます)が感じられます。それで、賛同を禁じ得ぬ評言に信を置き、別の詩人への称賛についてもその開陳に耳傾ける――こんな具合にして、わが現代詩アレルギーの蒙も一枚位は剥がされたやうな感じがしてゐます。

現代詩アレルギー――戦後詩がなぜ私の中へすんなりと入ってこないのかといふことについては、もはやあきらめてゐたことですが、歴史や伝統からの断絶から出発した戦後詩人たちに対する拒否反応が、時代を下って世代替はりをし、その因果色を薄めようとも、食物アレルギーレベルで抜きがたく私の感性に根を張ってゐるからのやうであり、詩法から云へば、四季派の詩人たちに象徴されるやうな、精神を収斂させ観照をこととするのではなく、詩人の方便で精神を拡散させてゆく詩作に付いてゆけない不器用さが蟠ってあるからかもしれません。しかし此度の機会をいただかなければ、このままこのさきも知らずに熄んだ詩篇の数々との出会ひがあり、現代詩の食はず嫌ひぶりに今さらながら呆れもしたことでありました。

本書に取り上げられてゐる山之口獏や天野忠は好きな詩人ですし、その延長上にいただいた詩集『初めての扁桃腺摘出術』を置き、いくつかの詩篇を味はふことができました。四季派を継ぐ『朔』の主宰者、圓子哲雄氏の詩と詩歴も的確に解説されてをり、結局私の抒情世界の方が狭くて、小笠原様が見渡される詩の地平のなかにすっぽり包摂されてゐるといふことを意味してゐるのですが、これは昔、四季派・日本浪曼派に対する鋭い指摘に感じ入りながら、戦後現代詩の魅力は全く伝はってこなかった大岡信氏の詩論集を読んだときにも感じた経験であり、さきの『感泣亭秋報』に於いても小山正孝の戦後詩を論ずることができなかった原因でもありました。


さて色んなタイプの詩が混在し、著者自ら「正にごった煮の闇鍋状態」と称する第5詩集『初めての扁桃腺摘出術』ですが、申し上げたやうに、ユーモアを大切にし、実生活に密着した詩篇に連なるジャンルの御作を、私自身はたのしませてもらひましたが、作者がどの種のものを詩人の本懐と目されてゐるかはよくわかりません。詩論集のラインナップを眺めれば、どれもが愛ほしいジャンルであるに違ひなく、モダニズムの横溢する作品あり、医学用語の頻出する作品あり、むしろその方が素人にも分かりやすく手引きされてゐたり、表紙の奇矯なデザインもどうやらユーモアに拠るらしいこと、また詩篇ラストの一言・一節には、杉山平一先生が自作詩でよく弁明された、作者の依怙地なヒューマニズムへの拘りをも感じさせてくれた、そんな読後感がありました。「今まで詩集に載せていなかった詩篇を掻き集め」と謙遜されるものの、医師として観ずる人の命と、家族として接する肉親の死と、斯様な立場でなければ書けない詩が収められた一冊であり、現在母を介護するわが立場からもいろいろと考へさせる詩集であります。「死を目前として生きることの本当の辛さを/僕は本当のところ分かってはいないのです。」といふ一句には釘付けにされました。


また舟山逸子様よりは『季』102号の寄贈にも与りました。精神的支柱であった杉山平一先生が居なくなっただけに、少人数同人誌の存在意義があらためて問はれてゐる気がいたしました。今回ただひとり、同人の新刊レビューをものされた矢野敏行さんが、後記の中で「団塊」といふ言葉に対し自嘲気味の嫌悪感を示されのは、図らずも象徴的な出来事だったやうにも思はれたことです。

ことほど左様に自分もふくめ、周りすべての事象に高齢化を感じ、考へさせられることばかりが続いた一年でした。あかるい兆しが戻ってくることを祈らずには居られません。

合せて御礼申し上げます。ありがたうございました。
 

『郷土作家研究』第37号

 投稿者:やす  投稿日:2015年12月13日(日)21時15分43秒
   青森の相馬明文様より『郷土作家研究』第37号をお送りいただきました。

 なかで翻刻されてゐる小説「白い本屋」ですが、詩人の小山正孝が昭和11年、弘前高等学校休学中に書きまくってゐた短編小説のひとつで、さきにまとめられた小説集『稚児ケ淵』には収録が見送られた一篇です。

 しかしながらこの小説、理想を逐ふべきか社会人として生くべきか、小説家志望の書店の小僧を主人公にして、人生の選択を迫りつつ、その悩みに作者自身が重ねられ、救済が同時に託されてゐるといった按配は、(さきごろ『詩歌療法』を読んだので殊更さう思ふわけですが)、出来は措いても詩人の精神史上、重要な作品なのではといふ気もしないではありません。

 結局彼が小説家としての道を断念してしまったのも、ここに出てくる新助のやうな、まことに心強い先輩知己が実生活上で強く肩を押してくれることがなかったからかもしれませんし、或ひは自身が責を負ふべき結婚の結果、片がついたはずの煩悶がふたたび再燃し、家庭を守るべき方向へと実際上の彼を導いていったからなのかもしれません。

 程度は違へど辛うじて私も文学に扶けられて生きてをります。相馬様にもなにとぞ御静養専一に、ここにても御礼かたがた御健筆をお祈り申しあげます。
 ありがたうございました。

『郷土作家研究』 第37号 平成27年10月23日発行(隔年刊)
青森県郷土作家研究会(弘前市新城字平岡160-807 竹浪様方) A5版 76p 1000円
 

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