teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


『詩歌に救われた人びと―詩歌療法入門』

 投稿者:やす  投稿日:2015年12月 7日(月)02時00分37秒
編集済
   岐阜大学名誉教授の小山田隆明先生より新著『詩歌に救われた人びと―詩歌療法入門』の御恵送に与りました。“入門”と謳ってあるとほり、前著『詩歌療法』で詳述された理論と適用について、本書では「読むことによって救はれる詩」と「書くことによって救はれる詩」を区別して、それぞれの事例と技法とにしぼった具体的な紹介がなされてゐます。

 前著は臨床研究者を念頭に執筆され、症例ごとの報告においても学術論文の体裁を有した専門書の一冊に仕上がってゐましたが、読み物としてはむしろ前半の導入部、アリストテレスやユング、フロイトといった詩学的・心理学的アプローチから説き起こされた詩の原理や、現代詩の一人者である大岡信が自ら明らかにした作品の制作過程に寄り沿って試みた考察などに、私自身の詩人的興味は注がれ、現代詩生成の内幕を垣間見た思ひをもって読んだものでした。このたびの本の中では、
「心理臨床の場だけでなく、学校教育の場でも、そして自分自身のセルフケアのためにも用いることが出来る」入門書としての性格が強く打ち出されてゐます。

 すなはち前半には、表題となった「詩歌に救われた人びと」として、
 1.独房の囚人が読んだ詩 カール・アップチャーチの事例
 2.抑うつ状態を救った詩 ジョン・スチュアート・ミルの事例
 3.会話を回復させた連詩 物言わぬベンの事例
 4.ホームレスの生活を支えた短歌 公田耕一の事例
 5.病苦を耐えさせた短歌 鶴見和子の事例
 の報告がならび、全ページの半分が費やされてゐるのですが、独房で出会った詩集をきっかけに犯罪人生から見事な脱却と転身をとげた社会活動家アップチャーチ(Carl Upchurch 1950–2003)をはじめとする、詩を読むことで、また詩を書くことで(あるひは詩で応答することにより)閉ざされた心が開かれ、「カタルシス」と「認知的変容」により前向きに人生に向かふに至ったひとびとの話が、心理学者の視点からやさしく語られてをります。
 それぞれに興味深いエピソードですが、ひところ朝日新聞の投稿歌壇をにぎはせたホームレス歌人公田耕一の謎の消息については、時系列にならべられた投稿歌の分析が、逆に彼のホームレスとしての実在を実証するやうな形で指摘され得る結果に注目しました。

 後半では、実際に詩をひとに処方する際の手引きが、読み・書き別に語られてゐます。「詩を読むための技法」として挙げられたのは17編の現代詩。「詩を書くための技法」では現代詩、俳句、短歌など「詩形」ごとにその特徴と処方上の注意とが挙げられてゐます。

 とりわけ特に前著にはなかった「詩を読むための技法」のなかで紹介されてゐる詩の数々は――さうしたセルフ・ケアの視点から詩歌といふものに接することのなかった私にとって新鮮で、ほとんど初耳に属する17編でしたが、あるひは現代詩に対する「認知的変容」を私にも、少しはもたらしたかもしれません(笑)。
 ただしせっかく挙げられた詩ですが、著作権を慮って本文に全詩が紹介されてゐないのが残念です。下記にネット上で読めるやうリンクを掲げましたので御参照ください。またマリー・E.フライの「千の風になって」は、作曲された歌が日本でも有名になりましたが、オリジナルの原詩から起こされた著者自身の訳があり、素晴らしいのでここに掲げさせていただきます。

「千の風になって(オリジナル版) 」
                       マリー・E.フライ(小山田隆明訳)

私のお墓の前に立たないで下さい、
そして悲しまないで下さい。
私はそこにはいません、私は死んではいません。

私は吹きわたる千の風の中にいます
私は静かに降る雪
私はやさしい雨
私は実りを迎えた麦畑

私は朝の静けさの中にいます
私は弧を描いて飛ぶ美しい鳥の
優雅な飛翔の中にいます
私は夜の星の輝き

私は咲く花の中にいます
私は静かな部屋の中にいます
私はさえずる鳥
私は愛らしいものの中にいます

私のお墓の前に立たないで下さい、
そして泣かないで下さい。
私はそこにいません、私は死んではいません。

 さて「詩を書くための技法」の方ですが、現在小学校の教育現場では「俳句教育」の指導が行はれてゐるとか。これはその手引きとして、さらに連句や冠句といった(付け合ひ)による他者との対話・グループ交流へと応用をひろげたり、または短歌、五行歌からさらに現代詩へと自己表現・自己探求の筋道へと導いてあげる際の「指針」として、活用することもできさうにも思はれたことでした。
 ここに「指針」といったのは、この「詩歌療法」、場合によっては相応しくないタイプの詩や、被処方者との組み合はせもあるとのことで、教育の場はともかく文学の場では、むしろさうした毒――破滅に自ら堕ちてゆく詩人に自らを重ね、帰ってこれないカタルシスと心中しかねぬ際どいところに魅力といふか、業といふか、究極の「認知的変容」があったりするので大変です。
 けだし詩人でもゲーテは「ウェルテル」において、メーリケは「画家ノルテン」において、森鴎外は「舞姫」において悲恋の絶望に主人公を蹴落とし、現実の自分はのうのうと生き抜くことができたともいはれてゐる訳で、宮澤賢治や新美南吉の童話体験を挙げるまでもなく、「詩歌療法」と同様に、読み・書きについて「散文療法」といふセルフ・ケアの可能性もあるかもしれぬと思った次第です。

 ここにても篤く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

『詩歌に救われた人びと―詩歌療法入門』 小山田隆明著 2015.11.25風詠社刊 19.5cm上製カバー 157,5p 1500円+税

目次

はじめに
第一章 詩歌に救われた人びとの事例
 1.独房の囚人が読んだ詩 カール・アップチャーチの事例
 2.抑うつ状態を救った詩 ジョン・スチュアート・ミルの事例
 3.会話を回復させた連詩 物言わぬベンの事例
 4.ホームレスの生活を支えた短歌 公田耕一の事例
 5.病苦を耐えさせた短歌 鶴見和子の事例

第二章 詩歌療法の技法
 1.詩歌療法とは何か
 2.詩を読むための技法
  (1)詩を読むとは
  (2)「読む」詩の特徴
  (3)処方される詩の例 ※参照
  (4)詩を読む技法
 3.詩を書くための技法
  (1)詩(現代詩)
  (2)五行歌
  (3)連詩
  (4)俳句
  (5)冠句
  (6)連句
  (7)短歌
あとがき
引用文献


※参照  詩を読むための技法
  (3)処方される詩の例

①長田弘「立ちどまる」http://suho1004.dreamlog.jp/archives/43486721.html

②ホイットマン「私はルイジアナで一本の槲の木の育つのを見た」(有島武郎訳)

私はルイジアナで一本の槲(かしわ)の木の育つのを見た、
全く孤独にもの木は立って、枝から苔がさがってゐた、
一人の伴侶もなくそこに桝は育って、言葉の如く、歓ばしげな
 暗緑の葉を吐いてゐた、
而してそれは節くれ立って、誇りがで、頼丈で、私自身を見る思ひをさせた、
けれども槲はそこに孤独に立って、近くには伴侶もなく、愛人もなく、
 言葉の如く、歓ばしげな葉を吐くことが出来るのかと私は不思議だ――
 何故なら私にはそれが出来ないと知ってゐるから、
而して私は幾枚かの葉のついた一枝を折り敢ってそれに小さな苔をからみつけ、
 持って帰って――部塵の中の眼のとどく所へ置いて見た、
それは私自身の愛する友等の思ひ出のためだとおもふ必要はなかつた、
(何故なら私は近頃その友等の上の外は考えてゐないと信ずるから)
それでもその枝は私に不思議な思ひ出として残ってゐる、――それは私に
 男々しい愛を考へさせるから、
而かもあの槲の木はルイジアナの渺茫とした平地の上に、孤独で、輝き、
 近くには伴僧も愛人もなくて、生ある限り、言葉の如く、
 歓ばしげな葉を吐くけれども、
 私には何としてもその真似は出來ない。

③与謝野晶子「森の大樹」http://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/2557_15784.html
④無名兵士の詩「悩める人々への銘」http://www.geocities.jp/nkkagosu100/page014.html
⑤工藤直子「こころ」http://ameblo.jp/sakuratsuruchitoseyama/entry-10846480741.html
⑥作者不詳の詩「手紙 親愛なる子どもたちへ」http://www.utagoekissa.com/tegamishinainarukodomotachihe.html
⑦サムエル・ウルマン「青春」http://members3.jcom.home.ne.jp/fuyou3/profi/samueru%20uruman.htm
⑧茨木のり子「倚りかからず」http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/shisyu.html
⑨エドマンド・ウォラー「老齢」http://kainorasen.exblog.jp/21777241/
⑩マリー・E.フライ「千の風になって」http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A01980
⑪長田弘「花を持って、会いに行く」http://ameblo.jp/machikoedo/entry-11199051816.html
⑫永瀬清子「悲しめる友よ」http://www.haizara.net/~shimirin/on/akiko_02/poem_hyo.php?p=5

⑬草壁焔太「こんなに さびしいのは」
こんなに
寂しいのは
私が私だからだ
これは
壊せない

⑭工藤直子「花」
わたしは
わたしの人生から
出ていくことはできない

ならば ここに
花を植えよう

⑮永瀬清子「挫折する」http://www.fujiseishin-jh.ed.jp/field_diary/2011/12/5641/
⑯工藤直子「あいたくて」http://www.ondoku.sakura.ne.jp/gr6aitakute.html
⑰吉野弘「祝婚花」http://www5.plala.or.jp/kappa_zaru/shukukonka.html

http://

 
 

『感泣亭秋報』十号

 投稿者:やす  投稿日:2015年12月 1日(火)21時57分50秒
  小山正見様より『感泣亭秋報』十号をお送りいただきました。

 柿色に毎年実る秋報もたうとうこれで10冊。小山正孝といふ所謂「四季派第2世代」のマイナーポエットとその周辺をめぐる論考だけで成り立ってゐる雑誌が、途絶することもなく、年刊ながら号を追ふ毎にページ数が増へてゆくといふ考へられないことが起こって十年が経ちました。今回も常子未亡人を追悼した前号に劣らぬ質と量であるのは、年始に完成をみた『小山正孝全詩集』の刊行記念号として、制作・執筆陣ともにひと区切りを意識した気合の一冊に仕上がってゐるからです。
 まづは巻頭、詩人の盟友であり、四季派詩壇最高齢でもある山崎剛太郎先生が不如意の筆をおして「この全集で彼は彼の人生を多彩に語り、微細に変調する感性で、人生の多様性に迫った」と満腔の祝辞を述べられてゐます。没後13年、泉下の詩人ならびに常子夫人、坂口正明氏をはじめ、この一文を掲げ得た刊行者、すなはち白寿目前の翁を「山崎のおじちゃん」と幼時より慕ってこられた刊行者にして詩人の御子息である正見様の胸中も偲ばれるといふものです。

 寄稿に至っては、本格的論考から、私の如き『全詩集』巻末の解説をかいなでに紹介して責をふさいだものまで、目次の通り多種多様となりました。その『全詩集』解説を書かれた渡邊啓史氏ですが、本号においても第5詩集『山の奥』テキストに寄り添ひ、詳しい作品分析を行ってをられます。
渡邊氏の説によれば、詩人が戦後展開させた詩境のうち、所謂「愛憎の世界」では第2詩集『逃げ水』の混沌から掬はれた上澄みとして第3詩集『愛し合ふ男女』が成り、そののち分け入った「形而上世界」においても同様に、第5詩集『山の奥』が第4詩集『散ル木ノ葉』を洗練させた主題的展開として位置づけられると云ひます。詩風の区分と対応する詩集との相関関係は、シュールかつ愛憎が韜晦する戦後の作風になじみ難い私にとっても明快な道標となり、助けられる思ひです。

 また國中治氏よりは、第2詩集『逃げ水』にみられる混沌が、ソネット(十四行詩)といふ形式のみならず「立原道造的なもの」へ志向する心情と、そこからの脱却を図らうとする矛盾そのものの露呈として分析され、さうした葛藤こそが抒情詩を書く全ての戦後詩人に課せられてきた現代詩の身分証明だったのだと総括されてゐます。「立原道造的なもの」すなはち四季派の本質を「理想化された西洋文化と伝統的日本文化とのアマルガムを憧憬と郷愁によって濾過・精煉した高純度の情緒」と規定されてゐますが、成立条件にはさらに時代の制約が関係してをり、それが失はれた為に現代詩の彷徨が始まったのだともいへるでしょう。
さらに渡邊氏と同様、第4詩集から第5詩集への発展関係が指摘されるものの、「立原道造的な」自己探求のモチーフとして選ばれる「なぜ・だれ・どこへ」といった詩語・詩句の単位が、第5詩集『山の奥』では詩行単位のレトリックに切換へられ、それが詩人独自の「形而上世界」の構成をなしてゐるのではないか、との切口は新機軸です。つまり詩境を変じたのちにおいても詩人と立原道造との間には、ともに混沌(デモーニッシュなもの)に対する視点が「やや排他的な、密やかな共鳴によって結ばれていたのではないだろうか」と推察されてゐるのですが、四季派詩人の生理の内奥に身の覚えもありさうな、四季派学会理事の國中氏ならでは独壇場の明察であり、感じ入りました。

 そのほか胸に詰まったのは、『朔』誌上でも愛妻との離別を綴られた相馬明文氏からの一文でした。また毎号誌上で一冊づつ「小山正孝の詩世界」を解説してこられた近藤晴彦氏は、今回最後の第8詩集『十二月感泣集』をとりあげ「感泣」の意味を問はれます。蘇東坡の故事においては喜悦感涙の意味を持つものださうですが、けだし杜甫に親しんだ詩人なれば「感泣」はやはり老残の嘆き、ならば「秋報」も年報であると同時に「愁報」さ、などとシニカルな詩人なら答へられるかもしれません。
 とまれ近藤氏が指摘された日本人のメンタリティの特色。本音と建前を使ひ分けることが江戸時代このかたこの国に近代的個人が完全に成立しなかった理由であるといふ指摘に頷かされ、さうしていかなる建前にも臣従することなかった小山正孝について、さらに池内輝雄氏が「小山正孝の“抵抗”」と題して、大東亜戦争開戦当時の『四季』(昭和17年2月号)誌上にあたり、実証してをられます。『四季』巻末に田中克己が記した編集後記は、
「大東亜戦争の勃発は日本人全体の心を明るくのびのびした、大らかなものにした。詩人たちも一様に従来の低い調子を棄てて元気な真剣な詩を書きだした。」
といふもの。引き較べて小山正孝は同誌上で書評の姿を借りて戦争詩の在り方を問ひ、それらが本当に「真剣な詩」だったか、先輩詩人たちがつくったのは「感動のないたくさんの詩」のかたまりではなかったかと言ひ放ち、当時としては精一杯の抵抗を巷の熱狂に対し呈してゐるのですが、両者がそれなら反目の関係にあるのか、戦後はそれなら袂を分かったのかといふと、さうではないところがまた興味深いところです(そもそも編集子が載せてゐる訳ですしね)。拙稿で触れてありますが、今年公開をはじめた戦時中の「田中克己日記」にあたっていただけたらと思ひます。

 さて、このたびは近藤晴彦氏と、戦後出版界再編の事情と実態を(小山正孝を含め)発行者の立場から関った詩人たちを軸にして詳細に論じてこられた蓜島亘氏と、両つの大きな連載が一区切りをつけ、正見氏自身「やめるなら今がやめ時だ」と終刊も考へられたといふことですが、渡邊啓史氏が余す各論はあと3冊分あり、若杉美智子氏による「小山=杉浦往復書簡」の紹介も、新事実を添へてまだまだ続けられる予定であってみれば、近代詩と現代詩にまたがる一詩人を通して昭和詩の命運を俯瞰してゆかうとする試みは、来年以降も続けられることがあらためて宣言され、ひとまづ安堵されました。

 気になった論考の2,3を紹介、この余は本冊に当たられたく目次を掲げます。
 茲にてもあつく御礼を申し上げます。ありがたうございました。



『感泣亭秋報』十号 目次

詩 つばめ横町雑記抄(絶筆) 小山正孝4p

    特集『小山正孝全詩集』
『小山正孝全詩集』全二巻に寄せて 山崎剛太郎7p
「感泣五十年」 八木憲爾9p
小山正孝の“抵抗” 池内輝雄13p
『小山正孝全詩集』刊行に際して――「あひびき」の詩を中心に 菊田守17p
いのちのいろどり『小山正孝全詩集』に寄せて 高橋博夫20p
『山の奥』の詩法――今あらためて立原道造と小山正孝の接点を問う 國中治22p
小山正孝についての誤解 三上邦康25p
花鳥風月よりも何よりも「人」を愛したソネット詩人小山正孝 小笠原 眞26p
「灰色の抒情」 大坂宏子37p
“私わたくし”的の『小山正孝全詩集』 相馬明文38p
雪つぶてをめぐる回想 森永かず子40p
「アフガニスタンには」に触れ想念す 深澤茂樹43p
心惹かれる『山居乱信』 萩原康吉46p
『十二月感泣集』から 里中智沙47p
『小山正孝全詩集』に接して 近藤晴彦49p
『小山正孝全詩集』作者の目 藤田晴央52p
『小山正孝全詩集』刊行によせて――小山正孝と田中克己 中嶋康博54p
『山の樹』から感泣亭へ 松木文子58p

造化の当惑――詩集『山の奥』のために 渡邊啓史62p
小山正孝の詩の世界9 『十二月感泣集』 近藤晴彦92p
最後の小説「傘の話」を読んでみた 相馬明文97p

「雪つぶて」に撃たれて 山田有策102p
「雪つぶて」作曲のこと 川本研一107p
正孝氏のジャケット 坂口杜実109p
お出かけする三角 絲りつ112p

詩 薔薇 里中智沙118p
詩 机の下 小山正孝「机の上」へのオマージュ 森永かずこ120p
詩 互いの存在 大坂宏子124p
詩 第二章  絲りつ127p

小山正孝の周辺4――戦後出版と紙 蓜島亘128p
昭和二十年代の小山正孝6――小山=杉浦往復書簡から 若杉美智子140p

感泣亭アーカイヴズ便り 小山正見144p

2015年11月13日 感泣亭アーカイヴズ発行
問合せ先(神奈川県川崎市中原区木月3-14-12) 定価1000円(〒共)
 

田中克己日記 昭和25年、26年

 投稿者:やす  投稿日:2015年11月23日(月)22時42分46秒
  昭和25年につづいて昭和26年の日記を解説ともupしました。

天理図書館からの脱出を、引越しを以て宣言してしまった詩人でしたが、当てにしてゐた大阪大学への転任ままならず、結局彦根短期大学での一年を経て帝塚山短期大学に腰を落ち着けることになります。住まひも、天理~京都~彦根~布施へとめまぐるしく替はります。
その際、就職のコネとして頼った京都大学の東洋学研究グループの間を頻繁に行き来し、文学上でも天野忠や井上多喜三郎をはじめとする関西詩人たちと広く交はり、コルボウ詩話会と近江詩人会とを結成に導きます。他方、保田與重郎の雑誌「祖国」や前川佐美雄の「くれなゐ」歌壇にも参加し、誼を通ずる桑原武夫の主張とは相反する戦前抒情派としても活躍。翻訳『ハイネ恋愛詩集』も順調なれば、恋愛の実践の方はともかく(?)、詩人としては実り多き時期だったと申せましょう。

翻刻は続きます。
 

『義仲寺昭和再建史話』

 投稿者:やす  投稿日:2015年11月23日(月)19時49分57秒
  現在の義仲寺無名庵の守当番(庵主)である谷崎昭男様より、新著『義仲寺昭和再建史話』(2015.11.14義仲寺発行(編集新学社)18.8cm,127p 並製,非売)の御寄贈に与りました。以前にお贈りした拙詩集に対する御返礼と思しくも、忝く有難く、茲にても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

さて一冊に余さず記録されました、松尾芭蕉ゆかり義仲寺の再建に係る一切の出来事について、殊にも円満寺からの分離引き渡しに係り横たはった諸問題――当時の史跡保存会の機関誌に於いてさへ(関係者存命のゆゑを以て)露はには公表できなかったであらう内幕の事情――が包み隠さず、しかし決して露悪なドキュメンタリーには流れぬやう細心の注意が払はれた前半部に、思はず引き込まれてしまひました。かうした事情を知った上であらためて保田與重郎が撰んだ「昭和再建落慶誌」に目を移せば冒頭、
「史蹟義仲寺は近時圓満院の所管となつてより寺庵荒廃壊滅に瀕し両墳墓の存続さへ危い状態にて、」

といふ表現によってのみ纔かに顕された、義憤にも気がつくといふものです。

さうして三浦義一はともかく、工藤芝蘭子、斎藤石鼎、大庭勝一、後藤肇といった功労者の方々の名をこの本によって初めて知ることを得ました。巷間「右翼の大物」として悪名のみ知れ渡ってをります三浦氏ですが、資金を出されたといふだけでなく、氏がバックに控へ居たからこそ、“曲者入道”との折衝も無事成ったのではないかと推察されます。交渉の上で起きたであらう出来事を全て知悉したなかには、敢へて諷するさへ憚られたことどももあったかしれません。けだし保田氏が、碑文に彼ら全員の名をもれなく銘記した理由が、谷崎様の先師を髣髴させる筆致によって、それぞれ人柄とともに書き分けられ写真とともに掲げられてゐること、本書刊行の一番の眼目であり意義であったとも感ぜられる前半部と存じました。

また本書に説明ある通り、この事業が特記されるべきは、単に建築物の再建のみならず、一緒に、開基に与った巴御前をはじめ、芭蕉翁の近江滞在を支へた(にも拘らず墓所さへ持つことを禁じられた)曲翠、下っては俳聖没後一世紀にしてすでに廃滅の危機にあった堂宇の中興に尽した蝶夢、といった先人の事績をあまねく顕彰し、さらには途絶した「風羅念仏踊り」の再興といふ、無形の精神復興にも及んだことでありませう。義仲寺には十年余りも前、出張の途次に立寄ったことがありますが、無名庵の守りをした蕉門十哲の一人、広瀬惟然の故郷近く岐阜に住みなす私においても、嬉しい話題に接し得た後半部でありました。

以前の訪問とは別の感慨と知識を以て、また「無名庵」「弁慶庵」そして「幻住庵」にも行ってみたくなりました。
 

紫野京子詩集『切り岸まで』

 投稿者:やす  投稿日:2015年11月18日(水)21時24分44秒
  紫野京子様より詩集『切り岸まで』の御恵贈に与りました。
内容・装丁とも温雅な佇ひに、抒情詩の看板を掲げる同人誌「季」の年輪を感じる思ひを深くし、表題詩ほか、全体にmortalityや言葉のもどかしさを訴へる観念を主調音としてをり、かうした観念を表現したマチエールに関しては、現代詩詩人の皆さんの評価が別に存するものと思はれますが、私からはいちばんに感じ入った次の一篇を紹介させていただきます。

  夏の庭で

 真夏の日差しを避けて
 石燈籠のなかで
 野良猫がお昼寝

 風が吹くと
 ゆらゆらと合歓の木が揺れる
 薔薇色の糸のような花びらがかがやく

 影もない真昼
 蟻だけが乾いた地面を這う

 枝垂れ桜の緑の葉の下影で
 蓮はひっそりと
 咲くための準備をしている

 生きている今だけを
 生き物たちは繋いでいる


 実に9冊目の詩集とのことですが、著者にとって詩集を出版することは、また新しい自分の可能性に向き合ふよろこびと畏れを感じたいがためである旨。不断に脱皮し続けるバイタリティーに感服です。
ここにても御出版のお慶びとともに御礼申し上げます。ありがたうございました。
 

丸山薫の遺品

 投稿者:やす  投稿日:2015年10月22日(木)21時25分20秒
   昨日は豊橋まで遠征して、丸山薫賞授賞式を末席から見学。祝賀会では、拙詩集刊行に便宜を図って下さった八木憲司潮流社会長と、中日新聞に書評を書いて下さった冨長覚梁先生へ二年振りの御挨拶が叶ひ、御元気なご様子に安心するどころか逆に元気づけられて帰って参りました。

 このたびの受賞者に対する八木会長ならでは評言には、なまなかな祝辞にはない真情が籠められてをり、斯様な激励を受けられた詩人冥加を羨みました。ほめちぎるだけでなく現代詩臭の強い観念語に対しては一言、釘を刺されたことにも感じ入りました。

 当日は早めに豊橋に到着しましたので、市立図書館へ出かけ、ガラスケースに展示された丸山薫の遺品(ステッキ、ラジオ、表札、筆硯など)、ならびに豊橋で出された同人誌「パアゴラ」などを観て参りました。詩人がマッチラベルの収集を他愛なく楽しんでゐたことも知りませんでした。

 一昨年に詩人夫妻の展墓に訪れた際もさうでしたが、詩人の名を冠した賞の授賞式の当日にも拘らず、午前中、展示スペースにどなたの姿もなかったことは、当の詩人の俤を偲んでは考へさせられたことでもありました。
 

奥田和子詩集『独り寝のとき』

 投稿者:やす  投稿日:2015年 9月13日(日)22時02分38秒
  関西四季の会の同人雑誌『季』の奥田和子様より、これまでの作品をあつめた詩集『独り寝のとき』の御寄贈に与りました。巻末にしるされた「こざっぱりと 読んでいたら すり減って 消え失せた そんな一冊にしたい」といふ装幀にこめられた思ひにも人柄がにじむ、ささやかな新書サイズの詩集です。

  温度差

しじみの鍋を
覗き込んでいると

せからしいのがいて
「はいっ」と
はじけるように手を上げる

白信なげにじわっと
手を上げるのもいる

みなが上げるのを見計らって
キョロキョロ
押し切られて
半分上げたり下げたり
するものもいる


  酔い

怒っていたら
笑えてきた
笑っていたら
泣けてきた
電話が鳴って
すぐきれた

なんだか無駄に思える今宵
ありがとうに思える今宵


「温度差」、「あなた」、「ひとつ」、「酔い」、「まど・みちおの謎」、「間一髪」、「色紙」

これまで誌上で拝見してきた短かい数行の詩篇たちですが、かうしてまとまった形で拝見すると、杉山平一先生との御縁を大切にされ、また作品の上でも杉山スタイルを自家薬籠中のものにしてをられることがあらためて印象づけられ、詩人杉山平一直系の弟子筋にあることをはっきり感じさせる一冊に仕上がってゐます。短い詩はウィットが命ですが、理に落ちすぎない余韻のある詩句に立ち止まらさせられます。
とりわけ、杉山先生の追悼号に載った「色紙」は、詩集収録の際、見開きページに収めるためか末尾に繰り返される色紙本文が削られてしまひましたが(私なら末尾の方を残したかも。)、このやうな詩を捧げることができた幸せと、捧げられた詩人の冥加を思はずに居られません。

  色紙

ここに九十歳のお祝いにいただいた
手書きの色紙がある

  それでは
  友よふたたび
  運行をつづけよう
  健康で坦々として
             平一

裏に
平成十六年十二月
九十歳とある

九十七歳で『希望』
の詩集をだされ
不意打ちをくわし
すっと姿をくらまされた

いま耳元で先生の
笑い声が聞こえる
「まあこんなもんですな」
「愉快ですなあ」


『季』の誌上で私が抱いたゐた印象は、杉本深由起さんが才気の勝ったウィットで人目を惹くのに対して、おなじ杉山詩の気脈に通じながらも、奥田さんのそれには滋味に富んだオリジナルのユーモアといった得難い趣きがあること、殊にこの数年、「果たしてこんな詩を書く詩人だったらうか」と、失礼ながら認識を改めさせられることが何度もあって、一体どんな方か興味深く思ってもゐたところでした。

それが、『朔』の追悼号での回想文を読ませていただき、奥田さんがそもそも四十にして詩を志した、文学少女上がりの人物などではなかったこと、そしてこのたび初めていただいた詩集奥付にて初耳でしたが、永らく大学で栄養学の教鞭を執られた先生であったことを知りました。奥田さんの詩を外面的に特徴づける、食材やいまどきの後輩女性に注がれる視点に合点し、さらにそのオリジナリィティが発現したのも、青年期の麻疹ではない文学に対する研鑽(写生)を、杉山平一といふ人を逸らさぬ師の元で実直に積まれた成果が正直に出たまでであって、第一線から退かれて観照生活に入り、杉山先生が最後に見せた(詩集『希望』に向けた)輝きに呼応するやうに、寄り添ひ精進するところがあったからではないか、などと想像してみたことでした。

杉山先生の死生観を語った一文は、『季』の追悼号に寄せられたことさらタイムリーなものでしたが、また宗旨がカトリックである著者自身の関心に沿った切実な問題でもあること、詩編中の宗教的な題材を思ひ合せて理解しました。回想文のなかで田中克己を私淑詩人のひとりのうちに数へられたのは、カトリックだからといふよりは、やはり杉山先生が好まれたクラリティ(明確さ)への志向でもあったかと想像いたします。杉山詩の特質として明確さを挙げることには、私もまた異論ありませんが、いま少しく説明するなら、明晰な頭脳ゆゑの明晰さの限界の了知と、そこから望まれる未知領域への憧れとの間に揺曳する詩人であったやうにも思ってゐます。しかしながら決してあちら側へ踏み込んでゆくことはない。死生観にもそのやうな消息、「信じてゐる」に限りなく近い「信じたい」といふ祈りが感じられはしないでしょうか。

詩篇についても、皆さんから寄せられた感想や、生前杉山先生から頂いたお手紙に記された感想と照らし合はせて、果たしてどんな好みの一致や相違があるのか、いづれ『季』上にのぼせられる皆さんの詩集評をたのしみにするところです。

杉山先生不在のいま「気が抜けて」といふのは実感ですが、日々の日常生活から新しい発見と感動を、だれにもわかる言葉で定着すること、なほかつ短詩ならではの余韻の探求に期待いたします。新刊のお慶びかたがた御紹介まで。ここにても御礼を申し上げます。
ありがたうございました。

詩集『独り寝のとき』奥田和子著  ミヤオビパブリッシング (2015/8/25) 157ページ 907円

〔著者紹介〕

奥田和子(おくだかずこ)
1937年北九州市に生まれる。
甲南女子大学名誉教授。専門は食環境政策・デザイン、災害・危機管理と食。
2000年4月22日、力トリック芦屋教会で受洗。
40歳のときに詩誌『東京四季』の同人。その後、詩誌『季』の同人。
既刊詩集『小さな花』1992年『靴』1999年『クララ不動産』2004年・いづれも編集工房ノア刊。
 

田中克己日記 昭和24年

 投稿者:やす  投稿日:2015年 9月10日(木)01時48分7秒
  昭和24年の日記を解説ともupしました。
翌る昭和25年のはじめにかけてが大学の教員生活へと脱皮するひとつの山場。翻刻は続きます。
 

田中克己日記 昭和23年

 投稿者:やす  投稿日:2015年 8月31日(月)03時08分51秒
編集済
  本日、先師生誕104年。
昭和23年の日記
を、解説ともやうやくupを終へてお祝ひします。
日々の出来事を順番に活字に起してゐるだけなんですが、辛いときの日記にはやはりドラマが感じられます。
次の昭和24年~25年のはじめにかけてがひとつの山場となりさうです。翻刻は続きます。


写真は新発売の読書フィギュア「山本君」 + 付け合はせ(笑)。
 

『杉浦明平暗夜日記1941-1945』

 投稿者:やす  投稿日:2015年 8月21日(金)19時45分7秒
編集済
   小山正見様より新刊『杉浦明平暗夜日記1941-1945』についてお報せをいただきました。編者の若杉美智子氏は、個人誌「風の音」にて立原道造の雑誌発表履歴の周辺を丹念に追跡、実証的な立原道造の評伝を連載され続けてゐる研究者であり、小山正孝研究サロン「感泣亭」の大切なブレーンでもあります。

 さて、昭和も終らうとする1988年に岩波文庫がたうとう出した『立原道造詩集』の解説のなかで、杉浦明平氏は、晩年の立原道造の日本浪曼派接近が「彼じしんの中からわき出てきたのではないかとようやく気がついた」と、哀惜する詩人に対する彼の“失恋”を完全に認める述懐を記してをられます。しかし一方的に“恋仇”にされた保田與重郎については、『文芸世紀』において主宰者の中河与一がなした非国民的告発をさも彼がなしたやうに、『コギト』の名とともに貶め、捏造したまま、終に改めようとはされませんでした。

 このたびの日記は「遺族の英断と特別な許可のうえで初めて公刊された」代物であるとのこと。それは若き日の彼の糾弾書『暗い夜の記念に』の中で、保田與重郎、芳賀檀、浅野晃といった日本浪曼派の論客たちに対して、ただ怒りに任せた無慈悲の雑言を書き殴って憚らなかった文章の、淵源にさかのぼった日々の記録といふことでありましょう。読まないで迂闊なことは云へませんが、当時の彼を念頭に置いて目を通すべき、謂はば怨念が生埋めにされた放言の産物だらうと思ってゐます。でなきゃ直言居士のこの人が、遺書で「公表を控えるように」とまでいふ訳がありません。しかしそれはもちろん戦後に思想反転してジャーナリズムのお先棒を担いだ連中が遺したものとはまるきり訳が違ふ。編者の云ふやうに、これは彼が戦中戦後いかほどの「ぶれも転換もなかった」“証拠物件”であることもまた、読まずとも分る気がいたします。
さきの岩波文庫の解説のなかで「明平さん」は、立原道造が愛した信州の地元の人たちのことを「屁理屈とくだらないエゴイスムにうんざり」と味噌糞に罵倒してゐて、私は大笑ひしたのですが、つまりは『暗い夜の記念に』から四十年経ってなほ斯様に口ひびく毒舌を、当時のそれにたち戻り、俯瞰して理解できるやうな人がこの本を手にとってくれたらいいと思ひました。

 ただ、戦局が悪化の一途をたどってゐた昭和19年の初頭に「敗戦後に一箇のヒットラーが出現」するかもしれないと彼が予言したのは、広告文がうたふやうに、敗戦七十年後のこの今を指してのことであったのか、いやさうではないでしょう。左翼が後退しっぱなしの現今の政情に溜飲を下げたい人たちに向けて煽ったと思しきキャッチコピーは、残念ながら私の心に届きませんでした。「この戦争前夜とも呼べる閉塞感に覆われた危機的な現在を生きている私たち」であるならば、起きてしまった以後の戦争の悲惨さや理不尽さを、文責を公に問はれることはなかった若者の立場でもって追体験するより、日本がアメリカに宣戦して熱狂した一般国民の心情を写しとった文章にこそ注目し、そこで標榜された当時の「正義」の分析と反省と鎮魂を通して、敗戦の意味を問うてゆくことの方が余程大切であると考へるからです。

 さて、現在当サイトで戦争末期の日記を公開中の田中克己は、杉浦明平とは社会的立場も思想も真反対(戦争末期当時戦争ジャーナリズム詩人vs文学青年、皇国史観vs共産主義)ではありますが、たった二年の歳の差であり、同じく皮肉屋で生涯を通した直情型人間であります。これらの双方の日記を読んで思ふところに現代の立場からイデオロギー評価をしないこと。そんな心構へで、あの戦争の「素の姿」が立ち現はれてこないか期待します。

 とはいへ『神軍』なんていふ詩集を何千部も世に広めた詩人に対して『暗夜日記』の中ではいったいどんな「ツイート」が浴びせられてゐたのでしょう。興味はありますが世の中には知らない方がいいこともある(笑)。保田與重郎も立原道造の全集編輯の際、手紙の提出を拒んで戦災で燃やしてしまひ、結局どのやうなものであったかさへ<tt>生涯口にはされません</tt>でした。ここは私も故人の遺志に従ひ、自分の心が「炎上」するやうな無用な看書は控へるべきかもしれません(笑)。むしろ宣伝にかうも記してある、

「と同時に意外にもそれとは相反するような恋と食と書物に明け暮れる杉浦が頻繁に登場する。」

といふ部分に救はれる思ひがしたことです。 ひとこと報知と刊行に対する感想まで。

http://

 

レンタル掲示板
/77