teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


『小山正孝全詩集』

 投稿者:やす  投稿日:2015年 2月12日(木)12時59分15秒
編集済
   小山正見様より御先考の詩業集成『小山正孝全詩集』の御恵投に与りました。

 これまで御遺族のバックアップのもと、小山正孝研究の第一人者を自他共に任ぜられた故・坂口昌明氏によって刊行されてきた潮流社の一連の著作集(『感泣旅行覚え書き』2004年、『詩人薄命』2004年、『未刊ソネット集』2005年、『小説集 稚兒ヶ淵』2005年)。その体裁をそっくり襲ひ、このたびは気鋭の評論家渡邊啓史氏の協力を得て全詩集に相応しい解題を具へるに至ったこと。さぞ泉下の詩人夫妻が無念の坂口氏を慰めながら感涙に咽んでをられるだらうと、偲ばれもすれば、これが文学出版から遠のいた潮流社から刊行される最新の詩書であることを思ふと、感慨もまた格別なものがあります。

 さても早速解題を拝読しながら、私の大好きな『雪つぶて』時代の詩篇たちに対して、渡邊氏が下された的確な評価には快哉を叫ばずには居られません。
巻頭詩篇「水の上」に対して

「それらは内面の感情を投影した心象風景というよりも、むしろ内面そのものの象徴的表現として作られた風景のように見える。310p」
「(詩篇中の「叛逆」について)恐らくはその裏に悲哀の感情を含む、虚勢に近いものである。311p」


 この「作られた風景」は実作体験から申すなら「捨象された風景」のことで、四季派詩人ならではの表現の搾り出し方を指してゐるのでありませう。「虚勢」もまた四季派詩人に特有な含羞に満ちた「身振り」の謂であり、タイトル詩篇「雪つぶて」に歌はれてゐる心情について、

「ここに歌はれている心情は、ある時期の詩人自身の切実な思い319p」


 であると、世の東西ロマン派詩人の出立期に烙印されるべき波瀾時代の痕跡であることを指摘し、

「ただ一人、詩篇「雪つぶて」の「僕」だけが、自身を閉じ込めていた殻を自らの手で破り、開かれた外の世界に走り去る。その意味で詩篇「雪つぶて」は叶わぬ愛に決別して新たな一歩を踏み出そうとする「僕」の、出発の歌でもあるだろう。318p」

 と、四季派の詩人たちが自足する精神世界の箱庭を脱すべく、殻を破って企投しようともがく契機について触れ、戦後詩の世界を先取りした実存吐露の抒情が「草叢の恋人たちの主題」に結実し、「後年の詩篇にも、さまざまに変奏されて繰り返し現れる。」と、はしなくも喝破されたこと。かうした分析を下し得る渡邊氏の読解には、詩人の後期詩篇に対しても充分に信を置くことができるやうに思はれました。

「風景が単なる背景でなく、孤独な「僕」の内面の象徴的表現であるならば、詩篇「水の上」に於て一篇の構図は、風景を見る人物を風景の片隅に描き込む古代中国の山水画にも似て、「僕」の内面を象徴する風景の中を「僕」自身が蒸気船で下ることになる。詩人後期の詩篇には、自己の二重化、多重化の主題が繰り返し現れる。それらはある時期に突如現れたものでなく、此処に見るような詩人初期の傾向の発展に外ならない。311p」


「第二詩集に小山前期の詩的世界の確立を、また第三詩集にその「ソネット」形式の完成を見ることも出来る。そのことに小山は満足しただろうか。恐らく、そうではない。326p」


 時に露悪も厭はず韜晦をこととした愛の、或は盆景的な戦後詩篇を昧読するに当たって、かうした道標を私のやうな現代詩に迂遠な読者に対し示してくれたことに、まずは感謝したい気持で一杯であるのです。

 まことに身辺騒擾としてをりますが、

「気を落としてはいけません
 僕もあなたと同じやうな目にあったことがありました
 苦境に立つこともありますよ」                『山居乱信』「チョビ髭」より228p


詩人が田中冬二氏からかけられたお言葉に感じ入りながら、余暇の徒然にひもといて参りたいと思ひます。
御上梓のお慶びを申し上げますと共に、ここにても篤く御礼を申し上げます。 ありがたうございました。

『小山正孝全詩集』ⅠⅡ全2冊 2015.1 潮流社刊 (Ⅰ:6,318p Ⅱ:6,379p) 19.3cm 並製 函入 7000円

【付記】
蛇足ながら望蜀を申し述べるならば、折角のこの機会に、若き日の詩人や常子夫人の俤、交友関係を示すやうな写真の何葉かを、各巻の巻頭に掲げて頂けたらよかったといふ一点であります。拙サイト「田中克己文学館」と同様、感泣亭ホームページ上での資料集の充実を庶幾申し上げます。

http://

 
 

「薄明の時代の詩人」ブログ

 投稿者:やす  投稿日:2015年 2月 3日(火)09時47分24秒
  ベルン在住の写真家schaleさんこと矢野正人様より、ブログ「薄明の時代の詩人」にて拙詩を紹介して下さいました。甚だ過賞面映ゆくも、海山のあなたに知己ありの思ひ。感謝の言葉がみつかりません。

 皎潔な空気が胸に溢れ来る写真は、上より南部アイスランドの海岸、スイスHallwiler湖畔、ベルギューン村。google上で地図を歩いてゐると、なんとまあ同じ教会の鐘楼を発見した次第。

 昨年ヨーロッパの土を実際に踏み体験したことで、物珍しい街並みも単なる写真に思はれぬ実感をもったものに感じられるやうにはなりました。ただしかし、アルプスや極北地方に取材された、この世のものとも思はれぬやうな風景写真の数々は、やはりスナフキンの冒険譚に胸躍らせるムーミンのやうな夢見心地でながめるばかりです。

 公私とも気の塞ぐことばかりに満ちみちた日々に、詩人冥利に尽きる御紹介を賜りましたこと、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

未年、何が未だか見えぬ年

 投稿者:やす  投稿日:2015年 1月 1日(木)01時29分12秒
編集済
  新年あけましておめでたうございます。 今年もよろしくお願ひを申し上げます。


わが干支にはあらねどおひつじ座生まれなれば星図を仰ぎて思へる



やれうつな まがきに休む羝羊座


「運命よ、にっちもさっちも動けぬ者をこれ以上打ち据ゑてくれるな…。」
「おひつじ座」の上に「ハエ座」なんてのが飛んでるなんて知りませんでした。


一陽来復、どなたさまにもよいことがありますやうに。

http://

 

2014年回顧

 投稿者:やす  投稿日:2014年12月29日(月)16時47分59秒
編集済
   今年は世の中に訃報が飛び交ふ年だったやうに感じます。拙サイトの御縁だけでも、鯨書房山口省三氏山川京子氏、小山常子氏、元上司松本和也氏といった方々の逝去に驚いた一年でした。
 私事にても図書館からの思はぬ異動命令と待遇。骨を埋めるつもりで寄贈した文学研究書は自分の管理下を離れHPも移設。家族だった愛犬が死に、禍棗災梨の詩集は売れる筈もなく。帯状疱疹が治ったと思ったら今度は腰痛が悪化。と、今に至って難儀を重ねてをりますが、家人に連れられ20年ぶりに海外旅行に行ったことは良い思ひ出に、そして本ばかりは良い出会ひにめぐまれ、随分と慰められました。おもなものを挙げます。

【頂きもの】
坂脇秀治著『森の詩人』野澤一の伝記
石井頼子著『棟方志功の眼』
山本正敏ほか著『企画展「世界のムナカタ」を育んだ文学と民藝』図録
舟山逸子著 詩集『夢みる波の』散文集『草の花』
手皮小四郎ほか著『とっとり詩集』6集
池内規行ほか著『月の輪書林古書目録17(特集・ぼくの青山光二)』
日野俊彦著『森春濤の基礎的研究』
雑誌:『びーぐる』22号、『季』98 ,99,100号、『桃の会だより』 15,16,17号、『菱』184,185,186,187号、『感泣亭秋報』9号、『朔』178号、『Gui』101,102,103号、『遊民』9,10号

【購ひもの】
西郡久吾『北越偉人沙門良寛全傳』
イナガキタルホ『第三半球物語』覆刻版
『富永太郎詩集』昭和2年私家版
菊岡久利詩集『貧時交』『時の玩具』『見える天使』
ユーリー・ノルシュテイン絵本『きりのなかのはりねずみ』ロシア版
小野十三郎詩集『古き世界の上に』『大阪』
『南山蹈雲録』村上勘兵衛版
佐藤一英詩集『故園の莱』
田中冬二詩集『故園の歌』
『マチネ・ポエテイク詩集』
上田静榮詩集『海に投げた花』
芳賀檀『指導と信従』(カロッサ全集)
日夏耿之介訳『英国神秘詩抄』
八十島稔句集『柘榴』『炎日』

良いお年を。

http://

 

『森春濤の基礎的研究』

 投稿者:やす  投稿日:2014年12月26日(金)10時07分19秒
   年末にうれしい贈り物、日野俊彦先生より御高著『森春濤の基礎的研究』の御寄贈に与りました。以前に御論文のコピーをいただいてをりましたが、資料編を万全に付した、立派な装釘に瞠目です。刊行のお慶びを申し上げます。

 内容は三度も賦されなければならなかった悼亡詩をはじめ、「洗児詩」に託す思ひが下敷きとした中国の古典のこと、維新前後の詩人の動静について丹羽花南との関はりや、漢詩時代の掉尾を飾った逐次刊行物『新文詩』の意義。そして春濤といへば必ず挙げられる「竹枝」「香匳体」について。ことにも詩壇から「詩魔」と称された一件に於ける「述志」の詩人岡本黄石との関係にスポットライトを当てての考察は興味深く、最後に野口寧斎が遺した184句にのぼる「恭輓春濤森先生」の追悼詩によって春濤の伝記を概括してゐます。
 これら「基礎的研究」と謙遜される話題の数々について、資料を明示しながら神田喜一郎、入谷仙介、揖斐高ほか先達の考察を踏まへた自説が開陳されてゐるのですが、後世の門外漢たちによって、ともすると不遇な大沼枕山をよしとする為に、まるで政界と癒着して成功を収めたかの如く対比して持ち出されることもあった森春濤のことを、人間性の面から捉へなほさうとする姿勢にまづ敬服です。

 森春濤といへば、私の関心は岐阜にまつはる事迹と、梁川星巌翁はじめ幕府から最も危険視された尊攘グループとどのやうに誼を通じてゐたか、といふことに尽きるのですが、岐阜のことは詳しくは書いてありませんが、高山については幻の選詩集に終った『飛山詩録』のことが述べられてゐます。そして政治へ身を投じることができなかった理由について、妻孥の夭折が決定的に掣肘したのではとの指摘に詩人の苦衷を思ひました。星巌門の末席に連なってゐるといふ意識は大獄の後、どのやうに総括されていったのでありませうか。けだし森春濤・大沼枕山あたりを境にして(もちろん性格と身分に拠るところも大きいのでありませうが)やや年長の小野湖山、岡本黄石といった星巌門の人々は、本当に紙一重のところでの生き残りといった感じが深いのですが、春濤は維新後、それらの人々と文事をもって濃密に交はってをります。如何なる話題が往き来したのか、本書には俊才の弟(渡邊精所)の詩稿を「付録」にしてでも収めることとなった『安政三十二家絶句』の出版事情が、編者家里松嶹からの手紙として紹介されてゐますが、同じく打診されて退けられた佐藤牧山の評価とともにたいへんおもしろい。永井荷風『下谷叢話』の粉本だったともいふ出典『春濤先生逸事談』を読んでみたくなりました。

 かつて中村真一郎は、明治新体詩の新声も、円熟した江戸後期漢詩から精神的にはむしろ後退したところから始まったと喝破して江戸後期の漢詩壇を称揚したのでしたが、では明治時代の漢詩とはいへば、こちらはこちらで市井の人情を盛る役目から、漢詩の特性に相応しい志を述べる役目へと、維新時の志士達からそのまま政界人達に受継がれてゆくに従ひ結局「詩吟」の世界へと硬直してゆかざるを得なかった。当路の人たちを指導した春濤を中心とした漢詩檀サロンの盛況こそ、さうした趨勢を裏書きしてゐるやうに感じます。実地では風俗に通じてゐるだけでなく、家庭的にも教育的にも人間味に富んだ穏健円満な「手弱女振り」ともいふべき漢詩の御師匠さんが、押し寄せる西欧文学から漢詩を救ふ活路を見出すにあたって、政事・軍事を盛りやすい「益良夫振り」が喜ばれる場所を用意した象徴的人物になってしまった、といふのはある意味とても皮肉なことでありませんか。世捨て人型の成島柳北や大沼枕山に後世の人気が傾いたのは仕方がないことですが、管見では、同じ熱情をもちながら実際行動に移すを得ぬまま維新を迎へ、はしなくも斯界の巨擘に育っていった様を、私は詩画二大文化においてもう片方に、孤峰ですが冨岡鉄斎を見立ててみたいとも思ってゐます。

 さて「詩魔」といふレッテルは、時代を下り昭和初期になってから岐阜市内に興った同人詩誌のネーミングとして敢へて踏襲されてゐるのですが、ここに拠った詩人たちは近代詩における香匳体といってよいのか、観光的俗謡の分野で大いに気炎を上げたグループでありました。そして森春濤にせよ梁川星巌にせよ、岐阜から出て斯界を総べるに至ったオーガナイザーの巨星たちには、あとになって懐の深さを誤解される批評が行はれたことも多かったこと。あるひはもっと昔の各務支考をふくめてもいいですが、美濃といふ保守的土地柄が稀に特異点を生む場合の一性格として、風土に関係することがあるのかもしれないと思ったことです。

 星巌も春濤も同じく庶民の出であり、役人の家柄を嫌って野に下り低徊したポーズはない。少年時の無頼によって培はれた反骨精神は、現体制と反対の権威の上で発現しようとする尊王精神に結びつき昇華されるものでありました。上昇志向が未遂に終ったのが星巌であり、雌伏して維新を迎へ成功したのが春濤だったといへるのではないでせうか。本書では成島柳北が槐南青年のバーチャル恋愛詩を揶揄する条りが語られてゐますが、父春濤の若き日の狭斜趣味もまた、不自由なく実地を極め得た柳北の青春とは違ったものであったことでせう。梁川星巌もまた吉原で蕩尽して改心、坊主になり詩禅と名乗ったのでありましたが、苦労人である星巌も春濤もともに禅味といふか、道学仏教に揺曳する脱俗の詩境に韜晦したがる一面を、上昇志向の裏返しと呼んでいいやうな詩人的本質としてもってゐるところも共通してゐます。 最後に、著者は星巌の詩集に妻の名なく紅蘭の詩集に夫の名なしと本書の中で記してをられますが、妻のこと夫のことを歌った詩はあり、行迹行状を顧みてもこの夫にこの妻ありの破天荒さと進取の気性は無双です。死別には終ったものの森春濤の三度の婚娶もまた、閨秀詩人であったり、夫に文才を求めたりと、先師夫妻の形態を襲った面もあるのではないかと思ったりしました。

 もっともかうしたことは全て漢詩を自在に読解することができてはじめて話するべきことがらです。頂いた本から触発され、つまらぬ我田引水の妄想まで書き連ねてしまひました。

 ここにても御礼を申し上げます。有難うございました。
 

おくやみ 松本和也氏(下町風俗資料館初代館長)

 投稿者:やす  投稿日:2014年12月13日(土)15時16分54秒
編集済
   口語自由律俳句の鬼才、嘗てわが上司にして台東区立下町風俗資料館の初代館長でありました、松本和也(まつもとかずや)氏の逝去を、年賀欠礼状によってお知らせいただき、吃驚してをります。さる四月十四日とのこと、二年間の闘病生活を送られてゐたことも存じませんでした。毎年娘さんの描く一風変はったイラストに、一言を添へた年賀状を返していただくのが楽しみでしたが、昨年はお送りした拙詩集に感想もないまま、いただいた賀状の言葉の意味を計りかねてゐた自分を恥かしく思ひかへしてをります。

  思ひ起こせば地方の大学を卒業して仕事も決まらぬまま上京、三月も終りに「来月からどうしよう」と思ひ倦み、上野は不忍池をぶらぶらしてゐたところ、偶然下町風俗資料館の玄関に貼りだしてあった求人広告に目がとまったのでありました。マンガ雑誌「ガロ」の影響で下町風情にあこがれて上京してきたなんぞといふ、学芸員の資格もない訳のわからない男を、よくも一見しただけで採用して下さったものだと、今に当時のことを思って不思議の感にとらはれてなりません。この資料館に私は文化財専門員として1984年から1990年までの間、丸6年お世話になりました。新任職員の賃金を上回ってはならぬといふ待遇規定で毎年更新、区は学芸員を正規採用するつもりはなく、だから私みたいな者が採用されることになった訳ですが、館長が常々仰言る「いつまでもおったらだめだよ」といふ言葉通り、同僚はここをステップにキャリアアップを目指して次々飛びたっていったのに、無目的の私は9時5時勤務で週に三日もあった休みを精神生活の彷徨に費やし(お金はありませんでしたから)、しっかり怠け者の詩人の生活が板についてしまったのでありました。

 「前衛の自負」を標榜された新日本文学派の松本館長にとって四季・コギトの編集同人だった田中克己の門を敲いた私は、謂はば「花鳥風月の詩人」「戦犯詩人」に与する反動派であり、氷炭相容れぬ関係だった筈ですが、一方では公務員らしからぬ無頼派を気取り斜(はす)に構へてみせる。例へば縦縞の入った紫色のスーツで身を固め、職場に通ずるポルノ映画館の路地裏を肩で風を切って、といふか風に吹かれてゐるやうにもみえる、浅草生まれを自負する粋人でもありました。「民主主義は多数決の勝利である」と言挙げしつつ、イデオロギーを超えたロマンとエロスに苛まれた実存を吐き出す場所を求め、あくまでも自由律「俳句」のカオスに拘泥された。お役所体質と公務員気質を心底嫌ってをられましたが、日本で初めてできた下町の文化風俗を展示する博物館(敷地規模のため資料館とされましたが)の、構想から設立・運営の差配をすべて任されたのちは、恐るべき情熱をもってこれに没頭され、明治・大正・昭和の風俗論を実地調査と共に展開して、その成果を公的刊行物らしからぬ言辞の揺曳する図録に次々とまとめてゆかれました。核となった原風景は自身が青春を送った敗戦後の猥雑たる浅草界隈であったと思しく、威圧感を嫌って物腰こそ柔らかいものの、何事につけても独断専行、わくわくするやうなモチベーションが先行した斯様な型破りのキャラクターが、私ら口さがないペーペーの若者職員にとって瞠目・称賛・畏怖・観賞に値するボスでない訳がありませんでした。遠まきに時折り議論めいた詩論をふっかけてくる、何にもわかっちゃいない、歯牙にも掛らぬ若者の生意気な口吻も、たしなめつつ不羈の精神を嘉して、温かく見守って下さった、その御恩を仕事の上で在職中にお返しすることはできませんでした。勇退後の松本館長とはむしろ私が帰郷した後、同人誌や著作のやりとりを通じてお言葉を頂く間に、頑固な四季派それもよろしい、といふ文学上の認可に至ったとも任じてをりました。

 まことに東京砂漠で路頭に迷ふ既の所を救って下さった御恩。そして資料の収集・展示にまつはる面白をかしい失敗譚の数々。当時の同僚や出向事務方との思ひ出とともに、ひさしぶりに三十年前の自分をなつかしく回想してをります。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

http://

 

『季』 100号

 投稿者:やす  投稿日:2014年12月12日(金)21時28分12秒
   同人詩誌『季』が100号を迎へた。精神的支柱に杉山平一先生を戴いた四季派直系の雑誌である。詩を書き始めた頃、拠るべき場所を失った私を迎へ入れてくださった雑誌であり、最年少の身分で好き勝手させてもらったここでの発表が、乏しいわが詩作のピークであったことを憶ふと、お送りいただいた一冊を手に取っては今更の感慨を禁じえない。
同人の詩風はおしなべて雅馴、かつ淡彩ながら各々別あり、私の脱落とすれ違ふやうに入会された杉本深由起氏は、最年少同人の特別席を襲って杉山平一ゆずりエスプリを発揮し、『季』40年の歴史が送り出した選手と呼んでよいのかもしれません。

ちいさな我慢や 怒りが重なって
ミルフィーユみたいになってきたら
紅茶の時間にいたしましょう

カップの中のティーバッグと
白い糸でつながって
ゆらゆら ゆらしているうちに
風とおしのいい丘の上で
凧あげしている気分になってきました
(後略)  
                    杉本深由起「ゆらゆら」より

 長らく編集に携はってこられた舟山逸子、矢野敏行両氏の温和な人柄が、ゆったりした組み方からはじめ雑誌全体の雰囲気を決定し、毎号の扉・表紙を飾る杉山先生の簡潔なカットは、これが雑誌「四季」の衣鉢を継ぐ牙城であることを示す徽章のやうでありました。杉山先生なきあと、さきの98、99、100号と、深呼吸をしたのち再び歩みをすすめてゆかうとされる皆さんの意気込みが、気負ひなく表れてゐる誌面となってゐます。

 ここにてもお慶び申し上げます。ありがたうございました。
 

『感泣亭秋報』9号 『朔』178号 小山常子追悼号

 投稿者:やす  投稿日:2014年12月11日(木)19時32分27秒
   詩人小山正孝の御子息正見様より年刊雑誌『感泣亭秋報』9号を拝受、前後して八戸の圓子哲雄様より『朔』178号の御恵投にも与りました。ともに今春93歳で身罷った小山正孝夫人常子氏を追悼する特集が組まれてをり、感懐を新たにしてをります。拝眉の機会なく、お送り頂いた雑誌に対する感想をその都度これが最後になるかもしれないとの気持でお便り申し上げてきた自分には、今回あらためて寄稿する追悼文の用意がありませんでした。同じく書翰上のやりとりを以て手厚いおくやみを捧げられた『朔』同人のお言葉を拝して恥じ入ってをります。

『感泣亭秋報』9号 (感泣亭アーカイヴズ 2014.11.13発行)
発行連絡先:〒211-002 神奈川県川崎市中原区木月3-14-12

『朔』178号 (朔社 2014.11.20発行)
発行連絡先:〒031-0003 青森県八戸市吹上3-5-32 圓子哲雄様方

 詩作の出発時から現夫人との純愛をテーマに据えてきた「四季」の詩人小山正孝。その片方の当事者自らの筆により楽屋裏からのエピソードを提供、それを契機にエッセイ類を陸続発表されるやうになった常子氏ですが、このたび感泣亭の会合に集はれた皆様、そして『朔』同人の方々から寄せられた回想といふのは、亡き夫君の面影を纏ひつつも常子氏独自の人柄才幹を窺はせるエピソードが興味深く、読み応へのあるものばかりでした。

 そもそも詩人当人より奥方の方が、よほど現実生活において対人的な魅力と包容力に勝ってゐるといふのは、わが先師田中克己夫妻の例を引き合ひに出すまでもなく、詩人と呼ばれるほどの人物の家庭では、必ずやさうなのでありませう。詩人からの“呪縛”と記してをられた方もありましたが、伴侶を失った妻が驥足を伸ばし、夫より長生きするといふのも、常子氏の場合において特筆すべきは、その“呪縛”を自らもう一度縛り直すがごとき殉情ロマンチックな性質のものであったこと。まことに「小山正孝ワールド」において韜晦された愛の真実を証しするもののやうにも感じられます。最愛の夫を失った喪失感を埋めるために始められた執筆が、不自由な青春を強いた戦前戦中に成った夫婦の原風景にまでさかのぼり、たちもとほる、その回想が恐ろしいほどの記憶力を伴ってゐることに、読者のだれもが驚嘆を覚えずにはゐられなかった筈です。

 斯様な消息は、(小説と銘打ってゐますが)このたび『感泣亭秋報』に遺稿として載ることになった雑誌の懸賞応募原稿「丸火鉢」にも顕著で、これが卆寿を超えた女性の書いたものであるとは思はれない等といふ単なる話題性を超え、戦時中の日本の青春の現場が、斯様に若い女性の視点からあからさまに描かれてゐるのも稀有のことならば、戦地へ送り出す新妻の心栄えを杓子定規な御涙頂戴の視点からしか称揚してみせることができない邦画的感傷主義に比してみれば、非社会的なあどけない主人公の心持が、許婚に対する意図しない残酷さを伴って綴られてゐる様は新鮮でさへあり、家族に対する真面目な倫理性との混淆も計算上の叙述といふことであれば、非凡といふほかないと自分には思はれたことです。読み進めての途中からどんどん面白くなり、未来の御主人「O氏」が全面に出てくる前に筆を擱いてゐるところなどは、(自分に小説を語る資格などありませんが、一読者として)唸らざるを得ませんでした。
出版社も事情を飲んで一旦応募した作品の返却によくも応じてくれたものだとも思ひます。掲載に至る経緯をあとがきに読み、感慨を深くした次第です。

 一方の『朔』巻頭には絶筆となった未定稿「the sun」が載せられました。

「何時までも何時までも鼓動しているのでしょうか。私の心臓 一時は困ったことだと思っていましたが此の頃になって私の日常のラストのラストまで未知の経験と冒険の日々を作ってみようかなと思うようになりました。」5p

 生(いのち)の陽だまりに対する感謝が、英語塾の先生らしいウィットを以て太陽(sun)と息子(son)に捧げられたこの短文、御子息の編集に係る『感泣亭秋報』には、立場からすれば一寸手前味噌にも感じられてしまふ内容だっただけに、掲載されて本当に良かったと思ひました。けだし1971年に創刊した抒情詩雑誌『朔』はこの数年、小山常子氏の純情清廉なモチベーションによる貴重な文学史的回想によって、四季派の衣鉢を継ぐ面目を保ち、新たにしたといって過言ではありませんでした。常子氏においても自ら書くことによって亡き詩人の余光を発し続けることができることを悟り、残された自身の存在証明とも言はんばかりの創作意欲を、迎へ入れられた「朔」誌上でみせつけてこられたのは、同じく未亡人であった堀多恵子氏以上の情熱であったといってもいいかもしれない。それ故にこそ、訃報を受け取った圓子氏の心痛も半年以上筆を執ることができなくなったといふ体調不良にまで及んだのでありましたでせうし、常子氏が昨年文業を一冊にまとめられて区切りをつけられたことに、私も某かの讖を感じぬでもありませんでしたが、御高齢とはいへ、明晰な思考と記憶と、そして恋愛を本分とする抒情精神をお持ちだった文章の印象が先行してゐただけに、やはり突然の逝去は、期日と年歯をほぼ同じくした山川京子氏の訃報と共に不意打ちの感を伴ふものでありました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


 また今号の『感泣亭秋報』について補足します。このたびは渡邊啓史氏、蓜島亘氏の労作原稿を得て倍増し、資料的価値満載の150ページを超える大冊の文学研究雑誌となってゐます。渡邊氏は詩人小山正孝の一作一作の業績ごとに肉迫する論考を第4詩集『散ル木ノ葉』に於いて展開。一方の蓜島氏は戦中戦後の文芸雑誌人脈を出版面から実に細かく一次資料に当って描き出し、連載3回目のこのたびは、雨後の筍の如く林立しては淘汰されていった終戦直後の出版界の混乱に、抒情派の旗揚げもまた翻弄される様子が述べられてゐます。新雑誌の盟主に『四季』の名前とともに担ぎ出されんとする堀辰雄をめぐり、あくまで抒情詩の旗頭になってほしいと願ふ四季派第二世代である小山正孝・野村英夫らの若い詩人たち、文学者であるコネクションを発揮して頭角を露さんとする新進出版社主の角川源義、そして両者の間にあって病床の堀辰雄のスポークスマンを買って出た親友の神西清、その三者の思惑が一致せず、堀辰雄晩年の思案顔も髣髴されるやうな状況が、正確を期する記述と小山家に残された書翰によって明らかにされてをります。小山正孝は結局『四季』ではなく、1号で終った『胡桃』といふ雑誌を編集することになるのですが、四季派の抒情詩人として出版に携はった、例へば稲葉健吉といったマイナーポエットなども今回は紹介されてゐます。戦後しばらくの抒情詩陣営の活況を、資料によって相関関係とともに焙り出してゆく蓜島氏らしい実証作業は、現代詩一辺倒の詩史の隙間を埋めるものとして注目に値します。

 とりいそぎの御紹介まで。ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

松本健一さんの訃報

 投稿者:やす  投稿日:2014年11月29日(土)12時37分9秒
   松本健一さんの訃が報じられた。

 先師の詩業『田中克己詩集』を、たった300冊しか刷ってゐないにも拘らず中央雑誌の書評欄で紹介して下さったのは松本健一先生だけでした。

 また小高根二郎氏による浩瀚な評伝が出された後、誰も続いて評する者のなかった蓮田善明について、詩人的側面を切り捨てずに論じた単行本を著すなど、日本浪曼派の文学に深い理解を寄せられる当代一の評論家が、折しも時の民主党政権の顧問に迎へ入れられた時には、吃驚もしたことでした。

 昔、海のものとも山のものとも判らぬ無名の若者が送り付けたペラペラの詩集に対し御感想を賜ったこと、忘れません。
 心より御冥福をお祈り申し上げます。
 

「薄明の時代の詩人」

 投稿者:やす  投稿日:2014年11月12日(水)21時11分39秒
  「薄明の時代の詩人」 スイス在住、写真家にして詩人でもあるschale様のブログを紹介いたします。

 まづはアルプスの山稜や高原、極北の地勢を捉へた風景写真の息を呑むやうな美しさに瞠目です。合せて詩と平和に関する断章が、実存主義に列なる詩人哲学者たちをトリビュートしながら綴られてゐるのに圧倒されました。タイトルはヘルダーリンを評したハイデガーの言葉「乏しき時代の詩人」から。
 驚いたのは、戦後文壇から「日本浪曼派」の中心人物として悪罵の限りを浴びて抹殺された感のある評論家、芳賀檀氏晩年の謦咳に接されたschale様、先師の貴族的精神に対する誤解を釈くべく、ネット上で擁護されてゐることでした。それも政治思想によるのでなく、晩年に至るまで抒情を重んじた思索する詩人としての姿を掲げてをられてゐるのを拝見して、御挨拶さしあげたい方だなと常々思ってをりました。このたび拙詩集をお送りすることが叶って、懇篤なご感想をいただくと共に同庚であることにも聞き及んで、大変励まされてをります。


 また酒田の加藤千晴詩集刊行会、齋藤智様よりは、現在酒田市立資料館で開催中の「吉野弘追悼展」に付随して設けられた、詩人加藤千晴を紹介する小コーナーについて、報告とご案内のお便りをいただきました。こちらは失明によって文字通りの「薄明の世界」を、詩を書くことのみを支へにして生きた四季派詩人ですが、在郷詩人の方々により、この機に合せて顕彰されてゐることを嬉しく思ひました。


 ここにてもお礼を申し上げます。ありがたうございました。  (写真はすべて齋藤智様より)
 

レンタル掲示板
/77