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『西征詩』の初刷本

 投稿者:やす  投稿日:2015年 5月20日(水)18時23分19秒
  このたびオークションで入手した梁川星巌の処女詩集『西征詩』下冊のみの端本です。
家蔵本と較べると、奥付はまったく同一であるにも拘わらず、最初の4丁だけ微妙に版が異なることが分かりました。
まったく同じ部分の丁も、罫線のかすれををよくよく見比べてゆくと、どうやらこのたびの本の方が古いものであるらしいのです。最初の4丁だけかぶせ彫りにした理由とは何でせう。版木を奥付の本屋で分け合ったために起きた、再刷に関はるトラブル処理だったのかもしれません。

さきに、生前最後の詩集となったアンソロジー『近世名家詩鈔』において、安政の大獄前後に刷られた異本について示しましたが、処女詩集においてもマイナーチェンジが行はれてゐたんですね。詩集が広島から出された経緯とともに、新たな謎となりました。


画像を掲げますので興味のある方はごらんください。
 
 

「陳曼壽と日本の漢詩人との交流について」

 投稿者:やす  投稿日:2015年 5月 1日(金)20時31分17秒
編集済
   成蹊大学日野俊彦先生より紀要「成蹊国文」48号の抜き刷り「陳曼壽と日本の漢詩人との交流について」をお送りいただきました。

 日中の漢詩人同士の交流。江戸時代にも、長崎出島にやってくる多少文事の嗜みのある商賈たちとの交流が、あるにはあったやうです。しかし明治に入って鎖国が解け、日本の漢詩人たちはそれまで自分達の教養・趣味を規定してきた中華文明の実態に直接触れる機会を持つことになります。明治初期の漢詩壇に陳曼壽なる清人の名がしばしば上ることは承知してゐましたが、彼がまとめた中国人による初めての日本人漢詩アンソロジー『日本同人詩選』の実態や、彼が本国での不本意な待遇から逃れてあるひは食ひ詰めて来日した下級官吏の身分であったことなど、知りませんでした。

 西欧列強の帝国主義に翻弄された日中両国の力関係がはっきりするなかで、漢文教養主義といふものはその後の日本において、在野の側からゆっくり瓦解の道をたどってゆくことになります。漢詩が「詩」であるための根源的な音声学を、書物を通じて理屈として学んできた涙ぐましい日本人の営為に対し、もはや本場のマイスターによる添削やお墨付きが必要とされなくなってしまふ事態――それがよりにもよって物・人の交流が実際に始まった明治時代にさうなってしまったといふのは、なんとも皮肉と言はざるを得ません。伝統的な文人生活を彩ってきた漢詩文の威光が色褪せてゆく一方で、青少年の詩的嗜好は西欧に範をとった新興新体詩へと流れてゆく。当路の人間たちがアジアの盟主たるべく和臭の漢文脈で述志をふりかざし続ける一方で、庶民は中国の現状を馬鹿にし、中華文明を骨董視するやうに変化してゆきます。(今日の中国政府が求める「日本が示すべき歴史的反省」といふのも、実はここらあたり上下でねじれた文化面からほぐしてゆかないと意味がないのではないかと私は思ってゐます。)

 しかしながら漢詩の盛況は、頼山陽の登場にはじまり倒幕維新をゴールとする草莽述志の余勢を駆って、当時の日本では依然として、否むしろ明治に入ってしばらくの期間こそ、空前の量的活況を呈してゐたことが『和本入門』のなかでも明らかにされてゐます。そして本国では左程知られてゐた訳でもない陳曼壽に対する我国の歓待ぶりといふのも、両国文化交流における最も幸せな邂逅のひとつ、日本文化が恩恵を蒙った中華文明の当事者に対して直接敬意を払った記念すべきケースであったといってよいのだと思ひます。来日時すでに小原鉄心が亡くなってゐたのは残念ですが、大垣の漢詩檀との交流などふくめ、詳細な分析結果を興味深く拝読させていただきました。


 また池内規行様より「回想の青山光二(抄)」を掲載する『北方人』21号(2015.4.1北方文学研究会発行)の御寄贈に与りました。さきに「月の輪書林古書目録」内に併載された同名原稿の続編です。小説に迂遠な自分には感想など書くことができず歯痒い限りですが、代作依頼や文学賞への応募、はては著書のサクラ購入の依頼などなど、文壇における先生と弟子との間合を書簡における肉声のやりとりを通じて拝見し、生身の小説家の生理に少しばかり触れ得た思ひいたしました。

 あはせてここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

『日夏耿之介の世界』

 投稿者:やす  投稿日:2015年 4月21日(火)10時15分10秒
編集済
  新刊『日夏耿之介の世界』(井村君江著2015国書刊行会)の読後感をサイトのBookReviewおよびamazonにupしました。(写真は詩人のしかめつら にてない笑)

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『悲傷の追想―『コギト』編集発行人、肥下恒夫の生涯 』

 投稿者:やす  投稿日:2015年 3月25日(水)21時38分49秒
編集済
   先日ふと思ひ立って、田中克己先生と杉山平一先生との対談記録(雑誌『文芸広場』昭和59年)を、ホームページに上すべくテキストにおこしてゐた時のことです。対談中、何度となく“同情を禁じえない”といふ態度で話題に上ってゐた、肥下恒夫氏について、なんとなく気になったのでインターネットで検索してゐたら『悲傷の追想―『コギト』編集発行人、肥下恒夫の生涯 』といふ書下ろしの新刊本が、2012年に刊行されてゐることを思ひがけず発見したのです。コギトの名を冠したホームページを運営してをりながら、全く迂闊なことですが、著者の澤村修治といふ方はこれまで全く存じ上げない未知の方でありました。
早速注文して到着したのが肥下氏の御命日前日のこと。一連の行動が御霊に呼ばて行ったもののやうに思はれてならず、祥月命日の一日、粛然とした気持ちで繙いてをりました。

 「政治的なものから意図的にずれようとした・若き不良知識人たち(同24p)」がつどった同人雑誌『コギト』。雑誌を経済的に支へ、編集雑務の一切を引き受け、『コギト』の母ともいふべき役回りを自ら演じたのは、同人中の奇特な地主素封家であった肥下恒夫でした。「協同の営為」に生涯を捧げた彼の運命はしかし、戦後を境に暗転します。

軍の協力者という誤解を含んだ否定項と、地主という戦後改革での明確な否定項をともに引き受けることになった肥下は、一方で繊細な知識人であった。(『悲傷の追想』53p)

 繊細なばかりではない、至って正義感の強い人でありました。
 本書はその悲劇的な最期に報ずるため、御遺族の協力によって得られた新資料をもとに書きおろされた伝記。前半を割いて戦後の後半生に迫った「胸中恒に花あり」(12-119p)を眼目としてゐます。

 農地改革を受け、売渡式の「祝辞」まで書いて手放した土地が、只同然で取り上げられたことより、時代とともに農地以外の貌に変っていったことの方がむしろ彼にとって不本意なものではなかったかといふ指摘(同54p)にはハッとさせられます。自ら鍬を握り、残った土地で始めた農業が立ち行かず、さりとて学校の教員にもなれず(裕福ゆゑ無理に大学を卒業しなかった)、折角得た病院事務の仕事も内部の不正に耐へられず辞めてしまふ。かつての盟友と会ふことにも気後れが生じ始めるといった条りには、彼を自殺に追ひ詰める複線が一本また一本と張られていくやうで、胸に詰まるものを覚えます。

 本書には、既出資料では大妻女子大学紀要にまとまって公開された「肥下恒夫宛保田与重郎書簡」、それから田中克己先生の回想文がしばしば引用されてゐます。が、なんといっても肥下家に遺された日記と、養女里子氏からの聞き書きといふ、フィールドワークの成果が大きい。戦後となって、訪問のたびにお土産を持ってきてくれた田中先生のことを「ニイタカドロップのおっちゃん」と懐かしく回想されるなど、肥下家と親戚関係にあった田中先生とは気の置けない交友が続いてゐた様子を窺はせる箇所も数多見受けられるのを嬉しく拝見しました。 (大阪高校教諭全田忠蔵夫妻それぞれの甥に当たる)

 読みながら、斯様な『コギト』伝を書けるものならば書きたかった自分の菲才を省み、また最晩年の田中先生の知遇を忝くしておきながら、もっといろんなことを聞いておいたらよかったのにと、怠慢の責にも苛まれてゐるところです。

 さうして本書は、「心を盤石の如くおし鎮め」沈黙に甘んじ沈黙を強いた、謎の多い『コギト』の裏方の実像に迫る優れた伝記であると同時に、初期『コギト』に掲載された肥下恒夫の詩・小説・編集後記を併載して、中断された彼の志を留めた作品集を兼ね、さらに『コギト』の実質的な実体であった保田與重郎、その褒貶さだまらぬ文学史的位置に対しても、もはや政治的な思惑から解放され、時代相を客観的に見つめられる世代から突っ込みを入れてゐる優れた保田與重郎論でもあるのが特徴です。といふより、それが後半の論考「協同の営為をめぐって(122-170p)」、さらに巻末に付載された「情念の論理(237-246p)」に至って特化して全開するのです。――いったい「やや翻訳調で自問自答しながら螺旋状に進んで行く(同136p)」、かの悪文(名文)から衒学的要素を剥ぎ取ったところに残るものは何なのか。

筋道を辿って「わかる」ということが、文章にとって、そもそも“いいこと”でも必要なことでもない。「わかる」は正理を強いて抑圧的だ。「わからない」こそ、飛躍がもたらす混沌の自在に開かれる豊饒な言語体験ではないか。――こういった、いささか倒錯的な理解に自分の頭を馴染ませようとしてしまう。これが保田與重郎の「危険な」ところであり、また魅力でもある。(同237p)


 このやうに愛憎意識を語る著者二十年来のモチベーションこそ、本書を著し使めた真の理由であることは間違ひないと思はれるのです。

 正当な理解を遠ざけ、かえって事態をややこしくしてしまうことを、なぜ保田は選択するのか。たとえ誤解に見舞われたとしても、それを余ってあるほどに、概念や範疇で述べることでは到達しないことがらは重要なのだ、と保田は考えていたと思うしかない。(同243p)

 評論対象に「惚れ」こむことを先行的な第一義とし、古典の甲殻を身に纏ひ、同人誌(非商業)精神に開き直ったドグマの城郭上からイロニーの槍を振り翳す。反俗を掲げ、評者と評されるものと共犯関係を築いて時代相に斬り結ばんとする保田與重郎のロマン派評論は、「おおむね、“書き始めてから”、いささか成り行き任せと思われる調子で行われ(243p)」、一種の「憑依」「酩酊」ともいふべき、むしろ詩作に等しいものであることが了知されます。

「真実獲得を昂然と主張する。ひときわ高くから見下ろす。堂々と高みにたつ。高くから見て何が悪いのだ、という開き直りすら保田にはある。その覚悟によって不純を斬り、ひとを殺す(151p)」


 彼はそのやうな覚悟を以て、英雄の日本武尊を、詩人のヘルダーリンを語りました。
本書が刊行される一年ほど前、私は保田與重郎が肥下恒夫に送った最初の著作集『英雄と詩人』の署名本を手に入れました。これ以上考へられないやうな、全くの極美状態で保存された函カバー付の原本を手にした時、私はこれがどのやうに保存されてきたのか、言葉を失ったことを思ひ出します。(画像参照)

「反ディレッタントをいい、真実追究の訴えをしても、それは階級的なものを考えるのではない。真実を明らかにするというのは、左派のいう社会主義リアリズムへの道では断じてない。また、肉親関係とか愛慾相の暴露剔抉から起こる社会的関係といったものでは断じてない。すなわち、自然主義リアリズムのことをいっているのでもない。」(同149p)

 評伝作家としてすでに宮澤賢治や自然主義リアリズムの徳田秋声について単著をものしてゐた著者ですが、肥下恒夫を合せ鏡に見立てたこの度の伝記兼評論の最後に、保田與重郎の思想について「ある部分は間違いなく死滅するが、ある部分はむしろ正当に生き残るであろう。(246p)」と締め括られてゐます。その死滅するのが政治的に、であり、生き残るのが古典として、であることを思へば、さきに当掲示板で紹介した決定版の解釈書『保田與重郎を知る』(2010前田英樹著)と併せて読まれるべき、新しいスタンダードな研究書の登場を、(二年以上も前の刊行ですが)遅まきながら言祝ぎたい気持でいっぱいです。著者が私と同世代1960年生であるところにも起因するのでせう、保田與重郎の文章を分析中(240p)に発せられた「は?」といふ語句の隣に、顔文字(゜Д゜)を頭に思ひ浮かべてゐる自分が居りました。(笑)



 一方、テキストに起こして公開しました田中克己先生と杉山平一先生との対談ですが、雑誌編者の方が語ってゐるやうに、気分屋で好悪のはげしい田中克己先生の“聞き出し”役として、これ以上の人選は考へられず、特に戦前戦中の細々とした人脈事情を、呼び水を注しつつ引き出すことのできるひとは杉山平一先生を措いて居なかったやうに思はれます。機嫌よい日の田中先生ならではのリップサービスや、それも織り込み済みで話を進めてゆかれる杉山先生の大人ぶりが眼前に髣髴とするやうです。

 なかで肥下氏が自殺直前2日ほど前に保田與重郎邸まで愁訴に赴いた日のことが述べられてゐます。これは後日保田夫妻もしくは肥下夫人から田中克己に語られた伝聞ではありますけれども、8日前まで付けられてゐたといふ日記にはその様な記録がないことを確認済の、前述著者の澤村氏が、もしこの対談の一文を読まれてゐたら、との思ひを深くいたしました。保田與重郎は肥下恒夫のお葬式には出席されなかったやうです。今生の別れとなった一日、いったい何が話し合はれたのでありませうか。
 ここには書けませんが、結婚前の保田さんが肥下さんをめぐって田中夫妻を前にして放ったといふ不穏な冗談を耳にしてびっくりしたことがあります。なんでもかんでも、もっといろいろなエピソードを田中先生におたずねして聞き質しておけばよかったと、本当に今更に悔いてゐるのです。

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四字熟語漢詩

 投稿者:やす  投稿日:2015年 3月 7日(土)20時09分30秒
   偶得

身軽言微詩人嘆   身軽言微、詩人の嘆

心広体胖細君頼   心広体胖、細君頼もし(笑)

遠謀深慮能錬胆   遠謀深慮、能く胆を錬り

慎始敬終安天命   慎始敬終、天命に安んぜん


 漢字検定の勉強過程で四字熟語に親しむ機会が多くなりました。さうして戯れに『四字熟語辞典』を繰って、開いたページに載ってゐた熟語を使って漢詩もどきをこしらへてみた訳であります。もとより平仄も脚韻もない「似非漢詩」ですが、四字熟語のお尻に3つ漢字をくっつけるだけでできるので安直この上なく、前半四字を音読すれば語調は頗るよろしい♪ 今回たまたま開いたページで作ってみましたが、同一音から始まることを一種の制約とすれば、図らずも頭韻を踏むことになります(今回は転句をわざと深謀遠慮→遠謀深慮と外してみました)。地口に落ちてしまふ虞の多い日本語で押韻詩をつくることは難しく、そもそも漢詩の脚韻など訓読すれば意味を成さない訳だから、どうでせう、みなさんも川柳レベルの心構へで「四字熟語漢詩」、試してみては如何。

 ちなみにこの詩はわが身に現在差し迫ってゐる危機の憂さを遣ったもの。





【漢字検定の勉強方法】

 といふことで漢字検定1級を受験、頓に難化が取り沙汰されるなか、前回初受験時は2点足らず(合格率6.1%)捲土重来、このたび無事合格を果たしてホッとしてをります。

 たずねられるのは勉強方法ですが、もちろん協会が制定してゐる『漢検漢字辞典』と『漢検四字熟語辞典』に親しむの以外、捷径はないといってよいのでせう。ただし私の場合、『漢字辞典』は覚えるためではなく確かめるために使ひました。

 種類の尠い問題集の中ではリピーターのみなさんが仰言るやうに『本試験型(成美堂出版)』が、手っ取り早く自信を(特に読み問題について)つけるのにはよかったです。もちろん出題者も「過去問さへやれば合格できる資格」に思はれぬやう、これまでの問題集を回避すべく色々知恵を絞って来ます。自分の場合、今や古書でしか出回ってゐない小学館の『蘊蓄字典』など、問題集ではない別の切口からも勉強してみました。

 しかし先づはみっちり取り組むべきは、多くの受験者が仰言るやうに四字熟語の書きとりだったやうに思ひます。覚える際に私が重宝したのは、ネット上にフリーで配布されてゐたimeの四字熟語辞書でした。これを印刷して膨大な単語カードに貼りつけ、できなかったものを残しながら反復して減らしてゆくのです。

 『四字熟語辞典』を片っ端から覚えてゆくのは容易ではありません。当然「1級・準1級」配当に絞り込んだものから覚えてゆく訳ですが、本番では毎回必ず下級クラスの熟語を使って足元を掬ってきます。また「“人名もの”はパスしてよい」といふジンクスももはや反故になったやうです※。このあたりが思案のしどころですが、満点を狙ふ訳ではないから労力の節減を図るのもよいでせう。下級クラスの熟語は後回しにする、次項に述べますが熟字訓は過去問以外のものには当たらない。事実、僻字の極みのやうな地名や動植物名は本当に役立たない知識です。

 さて、そして問題なのが、書き問題の際に毎回のやうに新出語が出てきてリピーターを悩ませてゐるといふ二字熟語(三字熟語)であります。さきの『蘊蓄字典』、大昔に買ったもので誤記も散見されますが、覚える熟語を絞り込んでゆく際の指標としてはなかなか優れてゐると思った次第。

 熟語を覚える際に一番大切なことは2つあります。ひとつは、故事成語もしくはそれに類した定型の用例ごと覚えてしまふことです。しかし『漢検漢字辞典』の見出し語には用例が挙げられてゐません。そして意味も読みも書いてない小見出し部に挙げられたものから出題されることも少なくない。『漢字辞典』を覚えるためではなく確かめるために使ったといふのはそのためであり、『蘊蓄字典』の熟語にはそこのところがちょろちょろっとゴシックで書いてあったりして重宝しました。宣伝してしまったので、もうamazonで1円では買えなくなるかもしれませんね(笑)。

 そしてもうひとつ大切なのは、「偏」ではなく「旁」でグルーピングして覚えて行くといふことです。音順で並べられた『漢検漢字辞典』は、大筋がその趣旨に叶ってゐるのですが、これに特化した辞書はまだ現れて居ません。幸ひなことに、ネット上で篤志家の方が学習用に作成した懇切なブログが公開されてゐて、これは大変役に立ちました。また複数読みがある場合の読みわけの法則も『漢検漢字辞典』には記してないのですが、ブロガーのみなさまが実例を挙げて解説してくれてをり、大変裨益を蒙りました。

 以上、我流ですが漢字検定1級の勉強方法まで。ここ最近の難易度がいつまで続くのかは分かりませんが、新規取得をめざす方が拙サイト訪問者の中に居られましたら御健闘を祈ります。


※同義の四字熟語が存在する場合、消去法と音感から類推することが可能な様に、配慮もされてゐるやうです(例へば今回なら「濫竿充数」を知って居れば「南郭らんすい濫吹」に到達は可能)
 

「薄明の時代の詩人」ブログ ふたたび

 投稿者:やす  投稿日:2015年 2月12日(木)21時06分7秒
編集済
   日経たずして再びブログ「薄明の時代の詩人」において、拙詩が紹介に与りました。詩人冥利に尽きるお言葉を圭復、目頭を熱くしてをります。

 今回の詩も当時その翻訳の雰囲気に酔ひ痴れてゐたドイツロマン派の影響が色濃く、「詩人の夢」は大好きだったハンス・トマの「wiesenlandschaft」といふ1871年の画を下敷きにしたもの。主人公を画家からビーダーマイヤーの詩人に翻案し、その後の姿に、天上の階段を蹈み進む初期ロマン派のヘルダーリンの姿を重ね合はせて私淑を表明した、私にしては長編(?)に属する一篇です。
 もとより孤独や喪失感といふのは憧憬をこととするロマン派詩人の必須条件なのかもしれませんが、矢野様に「たった一人屹立」などとお見立て頂いたのも、実は周りが見えない、ただの孤立点だっただけのこと。しかしながら鬱々とかなしいことばかりに満ちてゐた青春時代をこんな言葉で弔って頂けると、本当に浮かばれる気がいたします。

「2015年は、世界の歴史の分岐の一つとして刻まれるかもしれません。」(「薄明の時代の詩人」2015.2.8)

 海外においては、たとい中立国のスイスにあっても、在留邦人の身の処し方も留意すべきことが増へてゆくかもしれない今日この頃。不穏ないろんなニュースがこちらにも飛び込んで参ります。
 かつては写真家として戦場カメラマンの道に進むことを考へたこともあり、また平和学研究者として、功利主義・拝金物質主義が招来したグローバリズムの問題を取材するために紛争地に赴かうと思ったことも何度もあるといふ矢野様には、このたびの後藤さんをめぐる報道では、身に迫るものがあり一晩眠れなかったほどであったといひます。 今や当事者にもなりつつある日本の現状を踏まへ、くれぐれも御自愛いただけたらと思はずには居られません。

 ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

『小山正孝全詩集』

 投稿者:やす  投稿日:2015年 2月12日(木)12時59分15秒
編集済
   小山正見様より御先考の詩業集成『小山正孝全詩集』の御恵投に与りました。

 これまで御遺族のバックアップのもと、小山正孝研究の第一人者を自他共に任ぜられた故・坂口昌明氏によって刊行されてきた潮流社の一連の著作集(『感泣旅行覚え書き』2004年、『詩人薄命』2004年、『未刊ソネット集』2005年、『小説集 稚兒ヶ淵』2005年)。その体裁をそっくり襲ひ、このたびは気鋭の評論家渡邊啓史氏の協力を得て全詩集に相応しい解題を具へるに至ったこと。さぞ泉下の詩人夫妻が無念の坂口氏を慰めながら感涙に咽んでをられるだらうと、偲ばれもすれば、これが文学出版から遠のいた潮流社から刊行される最新の詩書であることを思ふと、感慨もまた格別なものがあります。

 さても早速解題を拝読しながら、私の大好きな『雪つぶて』時代の詩篇たちに対して、渡邊氏が下された的確な評価には快哉を叫ばずには居られません。
巻頭詩篇「水の上」に対して

「それらは内面の感情を投影した心象風景というよりも、むしろ内面そのものの象徴的表現として作られた風景のように見える。310p」
「(詩篇中の「叛逆」について)恐らくはその裏に悲哀の感情を含む、虚勢に近いものである。311p」


 この「作られた風景」は実作体験から申すなら「捨象された風景」のことで、四季派詩人ならではの表現の搾り出し方を指してゐるのでありませう。「虚勢」もまた四季派詩人に特有な含羞に満ちた「身振り」の謂であり、タイトル詩篇「雪つぶて」に歌はれてゐる心情について、

「ここに歌はれている心情は、ある時期の詩人自身の切実な思い319p」


 であると、世の東西ロマン派詩人の出立期に烙印されるべき波瀾時代の痕跡であることを指摘し、

「ただ一人、詩篇「雪つぶて」の「僕」だけが、自身を閉じ込めていた殻を自らの手で破り、開かれた外の世界に走り去る。その意味で詩篇「雪つぶて」は叶わぬ愛に決別して新たな一歩を踏み出そうとする「僕」の、出発の歌でもあるだろう。318p」

 と、四季派の詩人たちが自足する精神世界の箱庭を脱すべく、殻を破って企投しようともがく契機について触れ、戦後詩の世界を先取りした実存吐露の抒情が「草叢の恋人たちの主題」に結実し、「後年の詩篇にも、さまざまに変奏されて繰り返し現れる。」と、はしなくも喝破されたこと。かうした分析を下し得る渡邊氏の読解には、詩人の後期詩篇に対しても充分に信を置くことができるやうに思はれました。

「風景が単なる背景でなく、孤独な「僕」の内面の象徴的表現であるならば、詩篇「水の上」に於て一篇の構図は、風景を見る人物を風景の片隅に描き込む古代中国の山水画にも似て、「僕」の内面を象徴する風景の中を「僕」自身が蒸気船で下ることになる。詩人後期の詩篇には、自己の二重化、多重化の主題が繰り返し現れる。それらはある時期に突如現れたものでなく、此処に見るような詩人初期の傾向の発展に外ならない。311p」


「第二詩集に小山前期の詩的世界の確立を、また第三詩集にその「ソネット」形式の完成を見ることも出来る。そのことに小山は満足しただろうか。恐らく、そうではない。326p」


 時に露悪も厭はず韜晦をこととした愛の、或は盆景的な戦後詩篇を昧読するに当たって、かうした道標を私のやうな現代詩に迂遠な読者に対し示してくれたことに、まずは感謝したい気持で一杯であるのです。

 まことに身辺騒擾としてをりますが、

「気を落としてはいけません
 僕もあなたと同じやうな目にあったことがありました
 苦境に立つこともありますよ」                『山居乱信』「チョビ髭」より228p


詩人が田中冬二氏からかけられたお言葉に感じ入りながら、余暇の徒然にひもといて参りたいと思ひます。
御上梓のお慶びを申し上げますと共に、ここにても篤く御礼を申し上げます。 ありがたうございました。

『小山正孝全詩集』ⅠⅡ全2冊 2015.1 潮流社刊 (Ⅰ:6,318p Ⅱ:6,379p) 19.3cm 並製 函入 7000円

【付記】
蛇足ながら望蜀を申し述べるならば、折角のこの機会に、若き日の詩人や常子夫人の俤、交友関係を示すやうな写真の何葉かを、各巻の巻頭に掲げて頂けたらよかったといふ一点であります。拙サイト「田中克己文学館」と同様、感泣亭ホームページ上での資料集の充実を庶幾申し上げます。

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「薄明の時代の詩人」ブログ

 投稿者:やす  投稿日:2015年 2月 3日(火)09時47分24秒
  ベルン在住の写真家schaleさんこと矢野正人様より、ブログ「薄明の時代の詩人」にて拙詩を紹介して下さいました。甚だ過賞面映ゆくも、海山のあなたに知己ありの思ひ。感謝の言葉がみつかりません。

 皎潔な空気が胸に溢れ来る写真は、上より南部アイスランドの海岸、スイスHallwiler湖畔、ベルギューン村。google上で地図を歩いてゐると、なんとまあ同じ教会の鐘楼を発見した次第。

 昨年ヨーロッパの土を実際に踏み体験したことで、物珍しい街並みも単なる写真に思はれぬ実感をもったものに感じられるやうにはなりました。ただしかし、アルプスや極北地方に取材された、この世のものとも思はれぬやうな風景写真の数々は、やはりスナフキンの冒険譚に胸躍らせるムーミンのやうな夢見心地でながめるばかりです。

 公私とも気の塞ぐことばかりに満ちみちた日々に、詩人冥利に尽きる御紹介を賜りましたこと、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

未年、何が未だか見えぬ年

 投稿者:やす  投稿日:2015年 1月 1日(木)01時29分12秒
編集済
  新年あけましておめでたうございます。 今年もよろしくお願ひを申し上げます。


わが干支にはあらねどおひつじ座生まれなれば星図を仰ぎて思へる



やれうつな まがきに休む羝羊座


「運命よ、にっちもさっちも動けぬ者をこれ以上打ち据ゑてくれるな…。」
「おひつじ座」の上に「ハエ座」なんてのが飛んでるなんて知りませんでした。


一陽来復、どなたさまにもよいことがありますやうに。

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2014年回顧

 投稿者:やす  投稿日:2014年12月29日(月)16時47分59秒
編集済
   今年は世の中に訃報が飛び交ふ年だったやうに感じます。拙サイトの御縁だけでも、鯨書房山口省三氏山川京子氏、小山常子氏、元上司松本和也氏といった方々の逝去に驚いた一年でした。
 私事にても図書館からの思はぬ異動命令と待遇。骨を埋めるつもりで寄贈した文学研究書は自分の管理下を離れHPも移設。家族だった愛犬が死に、禍棗災梨の詩集は売れる筈もなく。帯状疱疹が治ったと思ったら今度は腰痛が悪化。と、今に至って難儀を重ねてをりますが、家人に連れられ20年ぶりに海外旅行に行ったことは良い思ひ出に、そして本ばかりは良い出会ひにめぐまれ、随分と慰められました。おもなものを挙げます。

【頂きもの】
坂脇秀治著『森の詩人』野澤一の伝記
石井頼子著『棟方志功の眼』
山本正敏ほか著『企画展「世界のムナカタ」を育んだ文学と民藝』図録
舟山逸子著 詩集『夢みる波の』散文集『草の花』
手皮小四郎ほか著『とっとり詩集』6集
池内規行ほか著『月の輪書林古書目録17(特集・ぼくの青山光二)』
日野俊彦著『森春濤の基礎的研究』
雑誌:『びーぐる』22号、『季』98 ,99,100号、『桃の会だより』 15,16,17号、『菱』184,185,186,187号、『感泣亭秋報』9号、『朔』178号、『Gui』101,102,103号、『遊民』9,10号

【購ひもの】
西郡久吾『北越偉人沙門良寛全傳』
イナガキタルホ『第三半球物語』覆刻版
『富永太郎詩集』昭和2年私家版
菊岡久利詩集『貧時交』『時の玩具』『見える天使』
ユーリー・ノルシュテイン絵本『きりのなかのはりねずみ』ロシア版
小野十三郎詩集『古き世界の上に』『大阪』
『南山蹈雲録』村上勘兵衛版
佐藤一英詩集『故園の莱』
田中冬二詩集『故園の歌』
『マチネ・ポエテイク詩集』
上田静榮詩集『海に投げた花』
芳賀檀『指導と信従』(カロッサ全集)
日夏耿之介訳『英国神秘詩抄』
八十島稔句集『柘榴』『炎日』

良いお年を。

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