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近況 2

 投稿者:やす  投稿日:2014年 4月 3日(木)23時32分23秒
編集済
  ○昨日は山川京子女史の義甥にあたる山川雅典様が、詩人山川弘至の妹君敏子様御夫妻(関市在)を伴ひ、東京より職場まで遠路をお越し下さいました。
御葬儀の様子などを伺ったのですが、入学式の忙殺中のさなか何のお構ひもできず、まことに申し訳なく、恐縮いたしました。
当日配られたリーフレットをいただきましたが、録されてあったのは、書斎の歌稿ノートに遺された三月十日付の、遺詠となった三首でした。

 いちにんの君を思ひて七十歳 面影は今も若くうつくし

 いちにんの君を思ひて幾十歳 昔を今に嘆かるるかな

 老いてなほ思はるるかな めぐまれしひとりの恋の何ぞめでたき

 亡くなる前日の夜も、普段とお変りなく御自身で床を延べて休まれたといひます。普段からその全ての詠草が遺言に等しいものであったことは、主宰された「桃」の会員の皆々様のよく御存じのところ。しかし余りにも突然のことにて、謂はば世に思ひを刻むことを一念に生きてこられた方にして、さて一期にのぞんで何の遺言をのこすこともなかった大往生に一番驚いてをられるのは、あるひは御本人であるかもしれません。夫婦の再会を寿ぐなどいふお悔やみのおざなりを、今はまだ申し上げることができません。
 あらためて御冥福をお祈り申し上げます。
 
 

近況

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月30日(日)10時18分4秒
編集済
  ○ホームページを休止すると発表しましたら、「稀覯本の世界」管理人様からミラーサイトなるものを作って下さるとの有難いお申し出がありました。
できあがりは半分くらいの容量になるさうで、楽しみです。
ここにても篤く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

追記:サイトコンテンツの取り込みについて、便利なコマンドを使って順調に取り込みが終了したとのこと。当初の予定通り3月31日をもってホームページを休止いたします。永い間ありがたうございました。



○先日の山川京子女史御葬儀弔電にお供へしました三首を録します。

 悼

ふるさとの古きさくらの枝に咲く言葉のごとき人は今なく

ふるさとの花は未だしまちこがるその山川にかへりしひとはも

山川のよどみなければうたかたの消ゆる思ひもつきることなく



○五十三になりました。年をとったとて何の感慨もないですが、岳父、丈母が一緒に食事をして祝ってくれました。老母、荊妻、耄碌犬みな恙ないのが嬉しいです。
 

鯨書房 山口省三さんの訃

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月22日(土)19時17分29秒
編集済
   本夕さきほど、自分の図書館異動のことを、最近めっきり本を買はなくなって縁遠くなってしまったご近所の古本屋さん、鯨書房にお詫び方々お報せに行ったところ、反対に御店主山口省三さんが亡くなったことを奥様から伺って絶句する。それも最近のことではない。昨年12月21日未明、神田町で呑んでの帰りに長良上天神バス停近くの溝に浸かって亡くなってゐるのがみつかったのだといふ。発見の経緯や、生前の口癖だった「俺が死んでも葬式はするな」といふ遺言を半ば守り、内うちに済ませた葬儀のことなど、ご親切にも不躾に私が訊ねるままにお話下さったが、警察の調べでは事件性はなく、さりとて命旦夕に迫る持病も無かったとのことで、涙を浮かべて当時を語られる奥様の心中の混乱、察するに余りある。

 お店は一緒に手伝ってをられた御子息がそのまま継がれてゐる。訃報は新聞にも載せず、ホームページでも知らされず、これまで直接お店にやって来た常連さんに限って伝へられてゐた。店売りのお客はインターネットと無縁なのだらうか、どこのブログにもTwitterにも何の言及も無く、3ヵ月も経った挙句に私なんかがかうして訃報を記すといふのも、ここ何年か「インターネット(日本の古本屋)の所為で忙しくなってね、困っとる。昔に帰りたいよ。」と、例の嗄がれ声で微笑みながらいつもボヤいてをられた御店主にして、まことに皮肉な思ひでもって泉下から苦笑ひしてをられるやうな気がしてならない。

 私が高校生の時に開業(レジ横に設へてあったエロ本の平台こそが我が古本との出会ひであった)、角刈りに度付きサングラスといふ強面ルックスで(斜視でいらした)、どこかしらに学生運動華やかなりし時代の反骨の闘士の面影を残し(当否を伺ったことはない)、その後10余年を経て帰郷した私の最も盛んなる古本購入時代に於いては、地元の戦前詩集・漢詩集の収集のことでお世話になった一番の恩人であった(高木斐瑳雄のアルバムを散佚寸前の際で救ひ私に御連絡下さったことなど数限りない)。
 2013年12月21日未明、岐阜の昔ながらの古本屋、名物店主だった山口省三さん逝く。昭和24年10月1日生れ、享年六十四。

 山川京子女史の突然の逝去といひ、わが図書館からの異動、ホームページの休止といひ、今やこの非常の春に、天変地異にも似た、何か自分の運命に対する終末的気分と変革的予感とを、同時に、ひしひしと感じてゐる。
 まことに間抜けな元常連の顧客より、とりいそぎのお悔やみを申し上げます。
 

【急報】山川京子様 訃報

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月20日(木)23時21分22秒
編集済
  歌人山川京子様、本日正午ご逝去の由さきほど御連絡を頂きました。休止するホームページ最後のお報せがこのやうな悲しいものになるとは…言葉がございません。謹んでお悔やみを申し上げます。

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/essey/shiki10.htm
http://6426.teacup.com/cogito/bbs/837


【追伸】2014.3.21 11:54 御遺族山川雅典様からのメールをそのまま添付いたします。
**********************************************************************************

桃の会主宰で歌人の山川京子が、昨日、逝去致しました。
享年92歳、患うことなく眠るような大往生でした。
生前、皆様から賜りましたご厚情に心から感謝申し上げます。

通夜  3月25日(火) 午後6時~7時
告別式 3月26日(水) 午前10時30分~12時
場所  代々幡斎場
住所  東京都渋谷区西原2-42-1
電話 03-3466-1006  FAX 03-3466-1651

喪主 赤木圭子(姪)
連絡先 京子宅 03-3398-6585

ご生花のご注文・お問い合わせは、下記までご連絡ください。
電話 03-5770-5521 FAX 03-5770-5529 (株)一願
 

サイト休止の御挨拶【予告】

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月17日(月)12時05分33秒
   私こと長らく勤めてきました職場の図書館からはなれ、この春より一学科部局の事務職への異動を仰せつかりました。残念ですが新しい大学図書館構想から現状の体制を省みますと、事務課長として力量不足、反省面もありますが致し方ない気もしてをります。

 さて仕事上もさることながら、図書館サーバーの空き領域を拝借して開設してをりました当個人サイト(6Gb)も、保守ができなくなるため休止せざるを得ません。大学にはHP運営を黙認頂いたことに対し感謝申し上げるとともに、これまでコンテンツのために各種御協力を賜った近代文学研究者・詩人たちの御遺族・古書業界等々の関係者各位の皆様にはまことに申し訳なく、いつかは考へなくてはならない移転問題を先送りにして胡坐をかいてきた怠慢を詫びるほかございません。
 新任地では頭を冷やし、ふたたび出直すべく、暫しインターネットからも遠ざかることになるもしれませんが、精神衛生を第一に養生・修養に努めます。不徳の管理者の心中なにとぞ御推察のほどよろしくお願ひを申し上げます。

 なほ、トップと「ごあいさつ」ページ、および掲示板はこのまま残します。今後、コンテンツごとになるかと思ひますが、どのやうな形で復活させられるかは、また掲示板の方でお報らせいたします。よろしくお願ひ申し上げます。

 ありがたうございました。
 

『棟方志功の眼』

 投稿者:やす  投稿日:2014年 2月23日(日)12時56分14秒
編集済
   毎年お送り頂いてゐる素敵なカレンダーに続き、石井頼子様から、以前に予告もございましたの初めての著書『棟方志功の眼』が出版の運びとなり、このたびは貴重な一冊を賜りました。

 冒頭と巻末に、それぞれ

「淡々とした職人のような生活の中から厖大な作品が生まれた。そこにはおそらく多くの人が抱くイメージとは少し異なる棟方が居る。4p」

「映像ではいつも制作しながら鼻歌を歌ったり、しゃべったりしているんだけど、それは映像用のパフォーマンスで、実際はそうじゃない。今「そうじゃないんだよ」と言い続けているのは、実際の棟方の方がもっと面白いからです。162p」


 と記されてゐますが、とかく奇人扱ひされることの多い棟方志功そのひとの普段着の様子を、間近にあった祖父の記憶として織り交ぜながら、遺愛の品々をとりあげて、多角的な面から(画伯として・摺職人として・好事の目利きとして・道義の人として)論じてをられます。とりわけ著者の絶対的な信頼が、適度な客観視を許す描写となってゐるところが、気持ちよく感じられました。

「雨の予報が出ると家の中がわさわさし始め」「画室中に張り巡らされた洗濯紐にぬれぬれとした作品が万国旗のように翻る」話や、スピンドルバックチェアを疎開のために梱包するのに使はれた十大弟子版木の話、テープレコーダが届くと孫を前に突然歌ひ出されたねぶた囃子のこと、そして手も足も出ぬ入院中の境遇をたくさんの達磨に描いて人々に送った話など、興味は尽きません。 もっとも古本のことしか知らない私にとって、師と仰ぎ、交歓をともにされた民藝運動の巨擘の面々はもとより、連載時毎に話題に挙げられた「萬鐵五郎の自画像、コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集、河井寛次郎の辰砂碗、尾形乾山の掛軸、サインに付された折松葉の意匠、通溝の壁画、梁武事仏碑懲忿窒慾の拓本、有名な「棟」の陶印、胸肩井戸茶碗、上口愚朗の背広、」などなど・・・無学者はインターネットで検索しては、一々確かめながら読み進めていったやうな次第です。

 巻末対談における深澤直人氏(日本民藝館館長)とのやりとりのなかで披露された、お二人の含蓄ある鋭い観察がまた読みどころとなってゐます。

深澤氏 「ただ民藝と棟方志功は別で、棟方志功は完全なアーティストだと私は思っている。民藝というのは自分が作家だと思ってない人がつくったものです。ここが大きく切り分けるところなんです。棟方志功が上手いも下手も関係なくグアッとつくっていける強さと、ほんとに下手な人が一所懸命につくったものの良さとは違います。154p (中略) 可愛いというのは、完全じゃないというもっと別の魅力になってくるんです。それが民藝館を支えている大きなファクターで、そのなかの一番の魅力が棟方志功のなかにも脈々と流れている。157p (後略)」

石井氏 「古語で言うところの「なつかしい」という感じ。郷愁ではなくて、心がやさしく寄り添うという意味合いですね。158p」


 ここにても厚くお礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

『富永太郎 ― 書簡を通して見た生涯と作品』

 投稿者:やす  投稿日:2014年 2月 2日(日)00時06分45秒
編集済
   折角詩集を入手した富永太郎ですが、恥ずかしながら詩人のことを詳しく知らなかったので『富永太郎 ― 書簡を通して見た生涯と作品』(大岡昇平著1974中央公論社342p)といふ評伝の古書をamazonから最安値でとりよせたところ、なんとサイン本でありました。で、読み始めたら釈く能はずそのまま一気に読了。

 著者の大岡昇平は、生前の面識こそなかったものの詩人の弟と同級生になったのを皮切りに、かの中原中也、小林秀雄、河上徹太郎などなど、フランス象徴詩の受容史に関係する友人とは悉く深いい交友を結び、仲間内では最も年少の筈ですが誰とも互角に渡りあった豪胆な気性の持ち主。殊に不遇のうちに夭折した中原中也と富永太郎にとっては、世に送り出すに与って力のあった謂はばスポークスマン的存在でもあります。愛憎を突き放したやうな筆致には、富士正晴が伊東静雄に対するやうな感触もあり、何度も改訂を経た評伝に対する責任を果たした感もあり、しかし当時から先輩に対する態度はこんなだったのでせう、当時の文学青年の知的共有圏を説明するに硬軟、幅広くあけすけに本質を突いた叙述にひきこまれてしまひました。
 ボードレールもヴェルレーヌもランボーも、もとよりフランス語を解せぬ自分ですが、前半は人妻との恋愛事件に始まった詩人の、といふか大正期青年の性欲に言及する姿勢に、後半はやはり迷走を始めた京都時代以降、中原中也や小林秀雄と交友を結びながら「真直に死まで突走った」晩年の足跡について、そして全体を通しては正岡忠三郎、冨倉徳次郎の二人の親友の友情に感じ入った次第です。

 本関連のことでいへば、このたび私が入手した昭和二年に刊行された私家版の遺稿詩集は、彼が生前まみゆることなく私淑した日夏耿之介と佐藤春夫に指導・助言を仰ぎ、長谷川巳之吉の尽力を俟って実現した出版であったこと、後書に記されてゐる通りです。
 当時、日夏耿之介は例の豪華定本詩集3巻本を第一書房で刊行中であり、社主長谷川巳之吉とは蜜月時代にありました。その後「パンテオン」編集をめぐって堀口大学と争った際、同じ新潟出身の巳之吉とも袂を分つことになるのですが、富永太郎の当時はといへば、結核の転地療養に精神耐へず鎌倉より脱走。節約しなければならぬ家産事情も上の空、“譲価”五十円といふこの破格の予約出版を、死の床から「とりあへず発注」したのだといひます。もっとも没後、代金はそっくり『富永太郎詩集』の刊行費用の足しに宛てられたのでせう。背革こそ張られてゐませんが、サイズもほぼ同じで、これを羨んだ中原中也が『山羊の歌』を同サイズで作ったエピソードは有名ですが、なるほどそのまた原型として、この『日夏耿之介定本詩集』はゴシック・ローマン詩体に私淑した亡き詩人のために装釘を倣ったものだったといってよいのかもしれません。
 けだし富永太郎は北村初雄のやうに良家の長男坊で絵心もありましたし、措辞はもちろん、「保津黎之介」といふ平井功(最上純之介)より露骨なペンネームさへ持ってゐた。専門を英仏とする違ひはあれ、黒衣聖母時代の日夏門を叩かなかったことが不思議にさへ思はれることです。

 さういへば先日、ネットオークションで大正時代の無名詩人の孔版詩集を手に入れたのですが、当時の不良文学青年(?)の、今ならさしづめ“絶対領域”といふんでせうか、フェティッシュに対する感情が同じい結構でわだかまってゐる様子を、興味深く拝見した(家人にアホといはれた也)ので、一寸写してみます(笑)。


 金髪叔女(淑女)の印象
                    大澤寒泉 『白銀の壷』(大正12年3月序)より

六月の雨けぶる新橋駅近き
とある果物店の前
ふと擦り違ひし金髪の淑女
足早に――洋傘斜に過ぎ去りし。

紫紺のショート スカートの下
ブラックストッキングを透して
ほの見えし脛(はぎ)の白きに
淡き肉感のときめきしが……。

夕(ゆふべ)、 ふとも思ひいづる
かの瞬間の不滅の印象
秋なれば かの果物店に
くれなゐの
林檎の肌や
つややかに並び居るらん。



 大澤寒泉といふ詩人は、童謡雑誌「赤い鳥」に寄稿してゐた川越在の青年らしいのですが、関東大震災ののち名前をみません。御教示を仰ぎます。

 そしてこちらが富永太郎の無題詩。やみ難きエロチシズムに表現を与へ、文学の名を冠して発表することは、由来一種の性的代償行為であり、日夏耿之介が創始したパルナシアン風の措辞(ゴシック・ローマン詩体)は、黒外套のやうな韜晦効果を以て、羞恥と衒ひを病むハイブロウな大正期文学青年輩にひろく伝播したのでありませう。大岡昇平も呆れてゐますが、「社会と現実に完全に背を向けた若者」には関東大震災に関する日記も手紙も一切遺されてゐなかった、といふ徹底ぶりでありました。


 無題
                   富永太郎(大正11年11月)

幾日幾夜の 熱病の後なる
濠端のあさあけを讃ふ。

琥珀の雲 溶けて蒼空に流れ、
覺めやらで水を眺むる柳の一列(ひとつら)あり。

もやひたるボートの 赤き三角旗は
密閉せる閨房の扉をあけはなち、
暁の冷氣をよろこび舐むる男の舌なり。

朝なれば風は起ちて、雲母(きらら)めく濠の面をわたり、
通學する十三歳の女學生の
白き靴下とスカートのあはひなる
ひかがみの青き血管に接吻す。

朝なれば風は起ちて 濕りたる柳の葉末をなぶり、
花を捧げて足速に木橋をよぎる
反身なる若き女の裳(もすそ)を反す。
その白足袋の 快き哄笑を聽きしか。

ああ夥しき欲情は空にあり。
わが肉身(み)は 卵殻の如く 完く且つ脆くして、
陽光はほの朱く 身うちに射し入るなり。




なほ、個人ホームページである本サイトでは向後、今回の『白銀の壷』のやうな、片々たるコレクションや著作権満了状況が不明の資料に特化した公開を心がけてゆきたいと考へてゐます。と申しますのも、国会図書館では今年から「図書館向けデジタル化資料送信サービス」が始まり、「近代デジタルライブラリー」未公開資料に対する閲覧・複写サービスが劇的に改善されたからです。わが職場でも端末が更新され次第申請の予定。これまで古書界に通用してゐた「おいそれと読めないがための高額本」といふ事態だけは、いよいよこの日本から払拭されることになりさうで、どこの図書館も予算削減の折から、これはまことに慶賀の至り。と同時に、本サイトでこれまで公開してきた稀覯詩集も、その役目を終へるものがいくつか出て来さうです。いづれ画像を整理する時が来るかもしれませんので、必要な向きには今のうちに取り込んで置かれますこと、お報せ方々お願ひを申し上げます。

http://

 

「季」98号

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月26日(日)23時52分15秒
編集済
   さてその「四季」派の残党ともいふべき同人詩誌「季」は、わが古巣でもありましたが、精神的支柱であった杉山平一先生の死を乗り越え、茲に矢野敏行大兄の詩「喪のおわり」の副題を持つ「十月に」を巻頭に掲げて再出発されました。


 十月に  喪のおわり
                    矢野敏行

明け方、虫声はひときわ盛んに、地から湧き上るように、天に
響いている。その虫声を、私は、聞き分けることが出来る。

エンマは優しく、オカメは忙しげに、ツヅレサセは語りかける
ように。カネタタキはそれから少し、間遠く。

空には冬の巨人が、青白く輝くセイリオスを連れて、昇ってき
ている。その先では、プレイアスの娘達が、ささめいている。

この世から消えていった、大切な人達よ。貴方達は、この虫声
を、どこで聞き、星々を、どこで見ているのか。

もしかしたら、一枚の銀幕を、ひらりと捲れば、すぐそこに
皆、居たりするのか。

藍色をした薄明は、短い。虫の声も星の光も、消えていく。
ちょうど貴方達のように、消えていく。

いや、そうではない。貴方達は、すぐそこに居る。いや、もう
すでに、私の中に、居る。

私は聞き分けることが出来る。貴方達の声を、私は、聞き分け
ることが出来る。



津村信夫の呼吸法を矢野さん独自の解釈で、ふたたび彼等にお返ししてゐるやうな趣きです。
私も詩集に収録を見送った詩を一篇寄稿、宣伝までして頂きました。ありがたうございました。ここにても厚く御礼を申し上げます。

「季」98号 (2013.12.20 関西四季の会刊行)  500 円

十月に・夏 矢野敏行4
草は踏まれて・あの日の日記から 杉本深由起8
峠ちかくで 中嶋康博12
花の蔭 紫野京子14
山里・植木鉢の花・愚問 高畑敏光16
母・戦争反対・悪態・死なないで・お題目 奥田和子20
龍の火 小林重樹29
百合の気持 小原陽子32
夏の終わり・どこへ? 舟山逸子34
後記 38


【追伸】今週は稀覯本『富永太郎詩集』を入手したり、「きりのなかのはりねずみ」「話の話」などのアニメーションで有名な映画監督ユーリ・ノルシュテイン先生の講演会&サイン会(1/25於岐阜県美術館)に赴き、憧れの映像詩人を間近にしては、嬉しくてどうにかなりさうな週末でした。詳細はTwitter、Facebookにて。
 

詩誌「びーぐる」22号 『風立ちぬ』の時代と詩歌の功罪

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月26日(日)23時46分37秒
   季刊詩誌「びーぐる」22号の寄贈に与りました。

 特集が「『風立ちぬ』の時代と詩歌の功罪」といふことで今回、私などにもアンケートのお鉢が回ってきたのに吃驚。その冊子が送られて参りましたが1冊でしたので、自分の回答部分のみ掲げさせて頂きます。各先輩諸氏の回答はぜひ書店にてご確認を。

①「四季」派の詩を今どう評価されますか。

 雑誌『四季』に拠った「四季」派の詩人といふより、知的ではあるが線の細い、自己否定・批判精神の希薄な戦前抒情詩人たちの精神構造に対し「四季派」といふ呼称が行はれました。元来は戦後詩壇から軽侮される際に使用されたレッテルであり、特に戦争への対応に於いて批判され続けてきました。現代詩に解消されることなく、ただ過去の遺産の根強い読者を以て命脈を繋いできた、受容のみに偏った戦後このかたの在り様は、やさしい口語詩であるだけに異様とさへ云へます。
 四季派に限らずすぐれた抒情詩が表現すべきものは、丸山薫が夙に「物象」と呼んだところの、(伝統的花鳥風月に限らぬ)「物質に仮託した心象」につきます。その観照が成功するためには、同時にフレームとして状況なり文体を詩人が宿命として身に負ふてゐることが必須です。抒情には自己否定も批判精神も本来関係ないです。
 戦前に於いては意識的・無意識的にせよ、肯定的・否定的にせよ天皇制が統べる世界観、その空気圧がフレームとしてあらゆる表現者に働いてゐたと思ひます。宿痾が人生の重石になってゐた詩人たちは、ある意味、戦争も天皇制も関係ないところで詩作し得た人々でした。
ですから今、抒情詩を書いたり読んだりするには、病気持ちとして切実な孤立点を生きるか、もしくは今日の日本を総べる自由の野放図さ、おめでたさを宿命と観じ、何らかのフレームを設定して自ら向き合ふ必要があるのではないでせうか。四季派は「派」ではなく孤立点の集りでしかありませんが、戦後現代詩詩人の多くが溺れた、コスモポリタリズムを約束するかのやうな思想に流されることなく、TPPや原発・電力浪費社会が招来する殺伐とした世界に対峙する論拠を基盤に深く蔵してゐると思ひます。

②「四季」派で好きな詩人と作品をあげてください。(字数オーバーの故もあって省略。尤もこのサイトに全部のっけてあります。笑)

 特集に関する論考は、やはり四季派について語る場合、避けて通ることのできない戦争詩との関りについて。以倉紘平氏、高階杞一氏がいみじくも指摘された以下のやうな視点について、胸のすく思ひで拝読。

「私は賞味期限付き戦後思想より三好達治という詩人の<号泣>とその作品を信じたい」5p
「三好が賛美した戦争詩は、日中戦争に対しては一篇も存在しない。彼が肯定した戦争とは、アジアを侵略し植民地化した英米蘭国に対する大東亜戦争である。」6p
「憂国の詩人・三好達治」以倉紘平氏 より

「これまで述べてきたように吉本の論にはおかしな点が多々ある。達治の問題について書きながら、それをいつのまにか四季派全体の問題にすり替えたり、四季派の詩人たちが戦争詩を書いたことを、彼らの自然観や自然認識に問題があったからだと書きながら他のほとんどすべての詩歌人が戦争詩を書くに至ったこととの違いが示されていない。戦争協力詩=四季派、という図式で捉え、責任を四季派に帰趨させようとしている。」25p
「吉本隆明「「四季」派の本質」の本質」高階杞一氏 より


またアンケートでは、

「「抒情」ということばでひとくくりに解決済みとされているものとは何だろうか。それを問う機会を与えてくれる資料として、「四季」には複雑な裾野の広がりがあると思う。」貞久秀紀氏49p

「詩の核心は<感傷>にあるのではないかということだ。(中略)心の傷みを言葉に造形するのが詩であり、文学である。」藤田晴央氏54p

などといふ回答があり、もっと社会的な立場からやっつけられるかと思ってをりましたので、今日的課題を社会的関心に絡めて提出した私こそ浮き上がった感じす。

ここにても御礼を申し上げます。ことにも高階様には拙ブログの紹介まで賜り厚く感謝申し上げます。ありがたうございました。

季刊詩誌「びーぐる」22号 2014.1.20 澪標(みおつくし)刊行 ISBN:9784860782634  1,000円

◆論考「風立ちぬ」の時代と詩歌の功罪◆
憂国の詩人・三好達治 以倉紘平4
第三次『四季』の堀辰雄 阿毛久芳10
吉本隆明「「四季」派の本質」の本質 高階杞一16
萩原朔太郎と『四季』 山田兼士29
堀辰雄の強さ 細見和之35
「四季」をめぐる断章 四元康祐41

◆アンケート「四季」派について◆
安藤元雄46 池井昌樹46 岩佐なを47 岡田哲也47 神尾和寿48 北川透48
久谷雉48 貞久秀紀49 新川和江50 陶原葵50 鈴木漠51 添田馨51
田中俊廣52 冨上芳秀52 中嶋康博53 中本道代53 藤田晴央54 松本秀文54
水沢遙子55 八木幹夫55 安智史56 山下泉57

以下通常頁(~129p)
 

新刊『森の詩人』 野澤一のこと

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月13日(月)14時10分0秒
   昨夏、拙サイトを機縁に知遇を辱くした坂脇秀治様から、詩人野澤一(のざわはじめ:1904-1945)の作品を紹介・解説した御編著『森の詩人』新刊の御寄贈に与りました。出版をお慶びするとともに、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

 戦後日本の自由を味はふことなく、41歳で結核に斃れた山梨県出身の自然詩人。自然のなかで自然を歌ったといふ意味だけでなく、大学を中退して六年間を地元「四尾連(しびれ)湖」畔の掘建て小屋に籠もり、村人・友人から命名されるまま「木葉童子(こっぱどうじ)」と自らも称した彼自身が、私淑したH.D.ソローに倣って酔狂な自炊生活に勤しんだ自然児詩人でありました。その作品はもちろんのことですが、むしろさうした天衣無縫のひととなりが面白く、このたびの新刊巻末40ページにわたる坂脇様による解説、そして詩友だった故・一瀬稔翁が前の再刊本で披露された回想に、語られるべき風貌や逸話は詳しいので、ぜひ読んで頂きたいのですが、昭和初期の口語自由詩が花開いた時期、実践生活からもぎとった自分の言葉で、すでに時代を突き抜けた詩を書いてゐた彼は、その脱俗の様が徹底してゐる点で特筆に値する詩人でした。恒産を案ずることなく政治体制からも超絶してゐたといふ点では、四季派同様、お坊ちゃんの現実逃避・体制承認との批判も耳をかすめさうですが、私はさうは考へません。戦争詩の類ひにも一切手は染めてゐないやうです。

 もとより物欲なく、肉食を嫌ひ、詩人は一日2升の水(!)を飲み、蟻やねづみやこほろぎの子供を炉辺の友として、散歩と詩作(思索)にあけくれることを日課としたといひます。歌や祈りが朗々たる声で庵前の湖に捧げられ、感極まれば地に額づいて土壌や灰を食らったりするといふ、かなり奇特な変人の趣きです。「その姿は求道者のようにも、野生児のようにも、仙人のようにも、あるいは世捨て人のようにも映る」と坂脇様が記してをられますが、作られる詩も作文も「なつかしい」といふ言葉の用法のほか、稚気を含んだ助詞の使ひ方など、舌足らずな独特の言ひ回しが清貧を貫いた詩人的人格と相俟り、なんとも不思議な雰囲気を醸し出してゐます。

 灰

灰を食べましたるかな
灰よ
食べてもお腹をこはしはしないかな
粉の如きものなれども
心に泌みてなつかしいものなれば
われ 灰を食べましたるかな

しびれのいほりにありて
ウパニイの火をたく時
この世の切なる思ひに
灰を舌に乗せ
やがて 寒々と呑み下しますのなり
このいのちの淋しさをまぎらはすこの灰は
よくあたたかきわが胃の中を
下り行くなり

しづかに古(いにしへ)の休息(いこひ)を求め
山椒の木を薪となして
炉辺に坐れば
われに糧のありやなしや
なつかし この世の限り
この灰は
よくあたたかきわが胃をめぐり めぐりて
くだりゆくなり



 ちっぽけな自分を「壷中の天地」ならぬ「湖中の天地」に放下して、得られた感興を赴くままに、詩といはず散文といはず、生命讃歌に昇華させるべく腐心した様子の彼ですが、しかし同時に野狐禅を嘯く自身の姿については客観視もできてをり、だからこそ風変りな謫居生活も、村人から安心を以て迎へられ、否、親しみさへ込めて遇せられたのでありませう。やがて彼は正直にも「嫁さんが欲しくなったから」と庵をたたんで山を下りるのですが、妻帯して子供も儲け、東京で父の家業を手伝ひ、何不自由のない市民生活者として上辺を振舞ひながら、その実、森のなかで過ごした青春の六年間を懐古し、鬱々と思慕する日々を送るやうになるのです。けだし彼の命を縮める遠因ともなったやうな気がします。

 前掲の「灰」ほか、彼の理想化された湖畔の独居生活の様子は、山から下りてから刊行した詩集『木葉童子詩経』(昭和8年自家版2段組242p)に明らかに、惜しみなく公開されてゐます(このたびの新刊ではうち32編を抄出)。たしかに電気もガスも無ければ、御馳走も食卓を飾ることがなかった耐乏生活には違ひないですが、森に囲まれた周囲1キロの湖と四方の山々を、借景として独り占めできた生活といふのは、ある意味こんなに贅沢な生活はないかもしれない。彼は詩集を献じた有名詩人たちのなかで、唯このひとと見定めた高村光太郎に対し、詩的独白を書き連ねた長文の手紙をほとんど毎日、250通近くも送り続けるといふ、まことに意表をつく挙に出るのですが、子供が三人もある社会人となっても、都会暮らしに馴染めず、ロマン派詩人たる多血質の性分を病根のごとく抱へて生きざるを得なかった人だったやうです。といって光太郎の弟子になりたいとかいふのではなく、敢へてそのやうな仕儀を断つため手紙では「先生」ではなく「さん」付で呼びかけて、高名な詩人を自分の唯一の同志・知己と勝手に恃んだ上で、詩的な心情を吐露し続け、手紙として送りつけ続けた。そんなところに彼なりの矜恃と甘えとの独擅場が窺はれるのではないでせうか。残念なことに、殆ど一方的だったといふそれら往信の束と、光太郎からの貴重な来信は、ともに戦災により焼失し、今日控へ書きによってその一端が窺ひ知られるに過ぎません。ですが、詩人の本領を遺憾なく伝へる内容は圧倒的な迫力に満ち、詩集以後、同人誌に発表された詩篇・散文とともに全容が紹介されることが今後の課題であります。

 「自由」や「地球」や「人民」や、所謂コスモポリタリズム思想のもとで詩語を操った人道主義や民衆詩派に与することを潔しとせず、敢へて身の丈に合った小環境に閉ぢ籠り、自然との直接交感を、身近な命たちを拝むことによって只管に希った詩人、野澤一。この世に生きて資本主義物質文明から逃げ果せることができないことは重々承知しつつ、なほ寒寺の寺男となって老僧との対話を夢想し、彼なりに宗教的命題に対して自問自答を構へるなど、晩年の思索には西洋のソローよりも、良寛さらに宮澤賢治といった仏教的、禅的な境地に心惹かれてゆくやうになるのですが、抹香臭いところは微塵もなく、坂脇様が指摘するやうに、生涯を通じて野生の林檎の如き野趣を本懐とする、やはり規格外の爽快さを愛すべき自然詩人であったやうに思はれてなりません。

 野澤一については、かつてサイト内で拙い紹介を草してをり、それを御覧になった坂脇様、そして坂脇様を通じて詩人の御子息である俊之様との知遇を賜ることになったのでした。読み返せば顔あからむばかりの文章ですが、現代の飽食社会・電力浪費社会に一石を投ずるやうな此度の新刊が、忘れられんとする詩人の供養となりますことを切に願ひ、恥の上塗りを承知でふたたび詩人の紹介を書き連ねます。


 山の晩餐

きうりとこうこうの晩餐のすみたれば
わたくしは
いざ こよひもゆうべの如く
壁を這ふこほろぎの子供と遊ばんとする

こほろぎよ
よく飽きずこの壁を好みて来りつる
秋の夜長なり
我は童子 いま
腹くちくなりて書を採るももの憂し

こほろぎの子供よ
(なれ)もうりの余りを食ひたりな
嬉しいぞや
さらば目を見合せ
ことばもなうこころからなる遊びをせん

しびれの山に湖(うみ)は静まり
草中(くさなか)に虫の音もしげし
大いなる影はわたくし
小さなる影は汝
共に心やはらかく落ち流れたり

さらば世を忘れ
しばし窓を開きて
こほろぎの子供よ
へだてなく
恙なき身をいたはりて
共にしばしの時を遊ばん
 

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