teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


今年もよろしくお願ひ申し上げます。

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月 1日(水)00時01分39秒
編集済
  立原道造年賀状葉書(昭和12年)

http://

 
 

よいお年を。

 投稿者:やす  投稿日:2013年12月31日(火)00時28分3秒
  年末に舟山逸子様より同人詩誌「季」98号(2013.12関西四季の会)をお送り頂きました。
精神的支柱だった杉山平一先生の死を乗り越へて、一年ぶりの再始動。お祝ひの意をこめて、私も一篇、寄せさせて頂きましたが、
今年刊行した拙詩集への収録を見送った十年前の未定稿に手を入れたもの。詩想が涸渇したこの間をふり返り・・・いろいろの思ひがよぎりました。
ここにても御礼を申し上げますとともに、同人皆様の更なる御健筆をお祈り申し上げます。これまでの御鞭撻ありがたうございました。

その「季」に発表してきた大昔の作品を中心に、集成にしてはあまりにも薄すぎる詩集でしたが、只今以て反応はとぼしく、
今年は「風立ちぬ」なんて映画も公開されましたが、抒情詩が相変らず現代詩人の評価ネットワークの埒外にある酷しい現実だけは、しっかり見せつけられた気がいたします。
書評を書いて下さった冨永覚梁先生、最後の戦前四季派詩人である山崎剛太郎先生からのお手紙は忘れられません。ありがたうございました。



さて今年の主な書籍収穫。

寄贈頂いた本から
清水(城越)健次郎 詩文集 『麦笛』昭和51年
『クラブント詩集』(板倉鞆音訳)平成21年
山崎剛太郎 詩集 『薔薇の柩』平成25年
斎藤拙堂 評伝 『東の艮齋 西の拙堂』平成25年
井上多喜三郎 詩集 『多喜さん詩集』平成25年
成島柳北 漢詩 EPUB出版『新柳情譜』平成25年
茅野蕭々 詩集 EPUB出版『茅野蕭々詩集』平成25年など

いただきものから
館高重 詩集 『感情原形質』昭和2年
『詩之家年刊詩集1932』昭和7年
雑誌「詩魔」5,9,10,34
<tt>雑誌「木いちご」昭和4年</tt>
明田彌三夫 詩集 『足跡』昭和4年
城越健次郎 詩集 『失ひし笛』昭和13年などなど

購入書から
平岡潤 詩集 『茉莉花』 昭和17年
河野進 詩集 『十字架を建てる』昭和13年
牧田益男 詩集 『さわらびの歌』昭和22年
北條霞亭『霞亭渉筆 薇山三觀』文化13年など

嬉しかったのは、三重県桑名の詩人平岡潤の詩集で戦前の中原中也賞を受賞した限定120部の『茉莉花』や
「季」の先輩でもあった清水(城越)健次郎氏の詩集、岐阜での詩作をまとめた夭折詩人館高重の詩集『感情原形質』など。
ありがたうございました。


今年はまた実生活でも新しく出発を始めた記念すべき年でした。
記憶力の減退に悩むやうになりましたが、新しいことを始めなくては、と思ってゐます。

来年もよろしくお願ひを申し上げます。
皆様よいお年を。
 

保田與重郎ノート2 (機関誌『イミタチオ』55号)

 投稿者:やす  投稿日:2013年12月28日(土)22時06分38秒
編集済
   金沢星稜高等学校の米村元紀様より、所属する文芸研究会の機関誌『イミタチオ』55号(2013.12金沢近代文芸研究会)をお送り頂きました。同氏執筆に係る論考「保田與重郎ノート2」(11-50p)を収めます。

 対象を保田與重郎の青年期に絞り、これまでの、大和の名家出身たるカリスマ的な存在に言及する解釈の数々を紹介しながら、最後にそれらを一蹴した渡辺和靖氏による実証的な新解釈、いな、糺弾書といふべき『保田與重郎研究』(2004ぺりかん社)のなかで開陳されてゐる、保田與重郎の文業に対する根底からの批判に就いて、その実証部分を検証しながら、それで総括し去れるものだらうか、との疑問も提示されてゐる論文です。

 渡辺和靖氏による保田與重郎批判とは、反動への傾斜を詰る左翼的論調がもはやイデオロギー的に無効になりつつある今日の現状を見越し、この日本浪曼派の象徴的存在に対しては、反動のレッテルを貼るより、むしろ戦時中の青年達を熱狂させた彼の文業のライトモチーフそのものが、文学出発時の模倣からつひに脱することがなかった、つまり先行論文からの剽窃を綴れ合はせた作文にすぎなかったのだと、一々例証を挙げて断罪したことにあります。彼の文体にみられる華麗な韜晦も、さすれば倫理的な韜晦として貶められ、文人としての姿勢そのものを憐れんだ渡辺氏はその上で、日本浪曼派もプロレタリア文学やモダニズム文学と同じく1930年代の時代相における虚妄を抱へた、思想史的には遺物として総括が可能な文学運動として、止めを刺されたのであります。

 私などは、「論文らしい形式を嫌ひ」「先行思想家の影響に口をつぐんで」大胆な立論を言挙げしてゆく壮年期の独特の文体には、ドイツロマン派の末裔である貴族的な文明批評家シュペングラーにも似た鬱勃たる保守系反骨漢の魅力を感じ、参考文献を数へたてることなくして完成することはない大学教授の飯の種と同列に論ずることとは別次元の話ではないだらうか、などと思ってしまふところがあるのですが、実証を盾にしつつ実は成心を蔵した渡辺氏の批判に対して、米村氏も何かしら割り切れないものを感じてをられるやうで、批判対象となった初期論文と周辺文献とをもっと精緻に読み込んでゆくことで、さらなる高みからこの最後の文人の出自を救ひ出すことはできないか、斯様に考へてをられる節も窺はれます。米村氏の帰納的態度には渡辺氏同様、いな先行者以上の探索結果が求められるのは言ふまでもないことながら、同時に渡辺氏の文章にはない誠実さを感じました。

 後年の文章に比して韜晦度は少ないとはいへ、マルクスなり和辻哲郎なり影響を受けたと思しき文献を見据ゑながら、客気溢れる天才青年の文章を読み解いてゆくのは並大抵の作業ではありません。ところどころに要約が用意されてゐるので、私のやうな読者でも形の上では読み通してはみたのですが、新たな視点に斬り込むために提示された「社会的意識形態」などの概念は、社会科学に疎い身には正直のところなかなか消化できるところではありませんでした。
 しかし誠実さを感じたと申し上げるのは、生涯を通じて保田與重郎がもっとも重んじた文学する際の基本的な信条(と私が把握してゐる)、ヒューマニズムを動機において良しとする態度と、今の考へ方を以て昔のひとびとものごとを律してはいけないといふ態度と、この二点について米村氏が同感をもって論証をすすめてをられる気がするからであり、その上で、恣意的な暴露資料としても利用され得る新出文献の採用態度に、読者も自然と頷かれるだらうと感じたからであります。

 けだし戦後文壇による抹殺期・黙殺期を経て、最初に再評価が行はれた際の保田與重郎に対するアプローチといふのは、「若き日の左翼体験の挫折」を謂はば公理に据ゑ、捉へ難い執筆モチベーションを政治的側面から演繹的に総括しようとするものでした。米村氏は「日本浪曼派(保田與重郎)と人民文庫(プロレタリア文学)とは転向のふたつのあらはれである」と述懐した高見順を始めとするかうした二者の同根論に対しては慎重に疑問を呈してをられます。
 管見では、ヒューマニズムを動機においてみる態度に於いて同根であっても、今の考へ方を以て昔のひとびとものごとを律してはいけないといふ態度に於いて両者(保田與重郎とプロレタリア文学者)は決定的に異なる。その起因するところが世代的なものなのか、郷土的なものなのか、おそらく両者相俟ってといふことなのかもしれませんが、米村氏の論考も今後さらに続けられるものと思はれ、機会と読解力があれば行方をお見守りしたく存じます。

 とまれ今回の御論文に資料として採用された、先師田中克己の遺した青春日記ノート『夜光雲』欄外への書付や、「コギト」を全的に支へた盟友肥下恒夫氏に宛てた書簡集など、保田與重郎青年が楽屋内だけでみせた無防備の表情が学術論文に反映されたのは初めてのことではないでせうか。
 ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

『天皇御崩日記』

 投稿者:やす  投稿日:2013年12月 2日(月)11時51分38秒
   大分県宇佐市在住の宮本熊三様より、以前紹介した『天皇御崩日記』という折本について、その作者「岩坂大神健平」についてメールから御教示を賜りました。(建平、連、村路、左衛士とも;なお「大神」姓は、宇佐宮祠官の名門である大神氏の子孫であることをしめす)

 また『国立歴史民俗博物館研究報告』第122,128,146,159集に『平田国学の再検討』の表題のもと、岩坂建平のことが出てゐるとのこと。以下の二点について合せて御教示を得ました。

 岩坂建平は、嘉永七年(1854)正月十九日、三十歳の時に平田門に入門。逆算すると1825年(文政八年)生。
 『平田門人録』 、豊橋市図書館 羽田八幡宮文庫デジタル版 歴史/48 平田先生授業門人録中 和281-36-2 1 / 5を見る 23コマ

 そして入門から四年後の安政五年(1858)に、彼は同じ宇佐宮祠官の国学者で後に明治の大蔵官僚となった奥並継(1824 - 1894)や、おなじく国学者で明治の外交官・実業家・ 政治家となった島原藩士の丸山作楽(さくら1840 - 1899)の入門紹介者となってゐる由。
 『平田門人録』 、豊橋市図書館 羽田八幡宮文庫デジタル版 歴史/48 平田先生授業門人録中 和281-36-2 2 / 5を見る 4コマ

 丸山作楽は島原藩士でしたが、島原藩の飛地領が宇佐郡にあり、宇佐神宮が実質島原藩の管理下にあったこと。そのため当時荒廃した宇佐宮を、島原藩・中津藩・幕府の三者で修復・再建することを、彼等は江戸に留まり何年もかけて幕府に請願し続けてゐた模様です。

 宇佐神宮が神仏習合の歴史に深く関わってゐるといふことや、また忌日の考へは仏教に起源があって神道ではあまり重要視されてゐなかったことなど、初耳に属することでしたが、しかしこの折本の作り様からして「日々の勤行に使用するため」だけに刷られた印刷物のやうにも思はれてなりません。それほど宇佐といふ土地柄においては神仏習合が身近であり、一般庶民に対する尊王広報活動も、安政当初はかうした次元から始められてゐたのだ、といふことでありませうか。謎は尽きません。

 御教示ありがたうございました。
 

『新柳情譜』

 投稿者:やす  投稿日:2013年11月14日(木)07時57分20秒
   西岡勝彦様よりEPUB出版有料版の第二弾、成島柳北による新橋・柳橋の芸妓列伝『新柳情譜』をお送り頂きました。ここにても御礼申し上げます。書き下し文に懇切な注記が付された内容の詳細についてはサイト解説をご覧ください。

 これから残った人生をいそしんでゆきたい日本の漢詩文ですが、明治のものだからといって、また書き下し文にされたからといってすらすら理解できるかといへば、そんなことは全くなく、これは暫く口語詩の世界に戻ってゐた私の目を覚まさせるに充分のプレゼントでありました。森銑三翁をして「明治年間を通じての名著」と云はしめた未単行本の雑誌連載記事なのですが、翁が評価されたのは、花柳世界の実地実体験をつぶさに報告してゐる面白さに加へて、各章に一々茶々を入れてゐる“評者”秋風同人も語るらく、やはり「時勢一変、官を捨てて顧みず放浪自ら娯しむ。而して裁抑すべからざるの気あり。時に筆端に見る。」ところに存するもののやうにも思はれます。

 「地獄」といひ「一諾一金」といひ、あからさまな藝妓の呼名もあったものだと呆れたことですが、とまれ藝妓各人に対する解説文言・賛詩・評辞と、菲才かつ野暮天の私には落とし所の可笑しさが分からない段が多くて情けない限りです。何難しさうなもの読んでるんですか、とタブレットを覗かれて、にやにや顔を返すことができるくらいにはなりたいものです。

 ありがたうございました。
新柳情譜』西岡勝彦編 全265p 電子出版 晩霞舎刊
 

ご感想ならびに受領連絡の御礼

 投稿者:やす  投稿日:2013年10月17日(木)12時32分46秒
編集済
   このたびの拙詩集刊行につきましては、少ないながら寄贈者の皆様からのまことに手厚い激励のお言葉を賜りました。旧き友人知己のありがたさをあらためてかみしめてをります。

 なかでもむかし詩集を刊行した当時には消息さへ知らずにをり、今回初めてお手紙でその不明を詫びて御挨拶させていただきました山崎剛太郎様より、新刊詩集『薔薇の柩』とともに長文のお手紙を、きびしい視力をおして認めて頂きましたことには、感謝の言葉もございません。小山正孝の親友、『薔薇物語』の作者として晩年の立原道造が計画した雑誌『午前』構想のひとりに員へられた方であり、敗戦前後にはマチネポエティクの人々の盟友として、四季派詩人としての青春期を過ごされた、いまや当時を知る唯一の生き証人の先生であられます。

 また受領のしるしに詩誌「gui」「柵」「ガーネット」の各最新号をお送りいただきましたことにつきましても、あつく御礼申し上げます。
ありがたうございました。
 

モダニズム詩人荘原照子 聞書最終回「猫の骸に添い寝して」

 投稿者:やす  投稿日:2013年10月13日(日)22時54分22秒
編集済
  手皮小四郎様より『菱』183号を拝受いたしました。毎号楽しみにしてをりましたモダニズム詩人荘原照子の聞書が、6年間(23回)にも及ぶ連載を経てこのたび完結を迎へました。感慨も深くここにても御礼かたがたお慶びを申し上げます。ありがたうございました。

「一体に身辺に血のつながる身寄りをもたないも老女が、それも異郷の地にあって老いさらばえて死んでゆくというのはどういうことであろうか。」


今回は文学上の記述はありません。役所の手続き等、手皮様が私生活のサポートまでされた当時82歳の詩人の落魄したさまの報告が興味ふかく、表題の「猫のむくろに添い寝して」ゐたなどは無頓着に過ぎますが、しかしその平成三年から四年にかけて聞書きをされた手皮様の当時の記憶そのものが、テープの内容とは別に、謎の多い詩人の年譜の最終ページにも当たるわけです。けだしこれまでの聞書きの内容にしても、そのままが資料として威力を発揮することは少なくて、インタビューされた場が再現されるなかで、手皮様による批判的なフォローを俟ってはじめて、その肉声の意味が明らかになってくる態のものでありました。当時の手皮様の記憶こそは、聞書きに直結する終端地点であり、正確な伝記の一部に自分も参加してゐる貴重な体験記でありませう。

その場では当然話題になったに違ひない、子供など縁者の消息をはじめとして、手皮様が文中では口ごもられたことや、日常生活で萌し始めた認知症のことなど、身寄りがなく、また世間体を気にしない詩人らしさのために、あっけないほど無防備に手皮様の手に落ちていった彼女のプライバシーについては、却って手皮様の側で面くらふ仕儀となり、その結果、生活弱者としての老詩人をほって置けない羽目にも陥ってしまひます。次第に文学上の興味を逸脱して、厄介にも思はれていったらうことも自然に拝察されるのです。かつての閨秀詩人の知的な気位の高さは今や老女の偏屈さに堕し、苛立ちさへ催させるものとなってゐる――。しかし聞書きを終へた後に詩人との関係を裁ったこと、そのときはそれでよかったと思はれたことが、時を経ての自問自答、つまりこれまでは何がなし気位の強いこの先輩詩人を客観的に突き放して書いてこられた手皮様が、最後になって自分がなすべきだったことについて吐露された一節――これは全体の眼目となりますのでここでは抄出しません。一切感傷を雑へないがゆゑに却って突き刺さる告白が応へました。

昭和初期モダニズム詩といふ、ある意味「非人情」「スタイリッシュ」の極みといふべき、個性偏重の詩思潮を体現したといってよい、謎多き女詩人荘原照子。その晩年に偶然接触を持たれ、聞き書きを得た手皮様でしたが、放置されたテープの存在が、年月と共に心の中で大きくなってゆき、その意味をはっきりさせ決着をつけるために始められた連載でありました。もちろんそのまま報告しても面白いに決まってますが、手皮様は生身の詩人の息遣ひに対するに実証的なフィールドワークでもって脇を固め、その結果、日本の近代史に翻弄された一人の女性の生きざまを剔抉し、モダニズムや詩史に興味のない人の通読にも耐へる読み物に仕上げられることに成功しました。それは単なる伝記といふより、忘れられんとする過去の詩人の生涯の端っこに、報告者の存在意義をも位置づけて自分ごと引っ張りあげる作業ではなかったでせうか。謎の多い彼女の生涯を追って結末が慟哭に終ったこと、私には気高くもいじらしい詩人に対する何よりの供養に思はれてならなかったのであります。

おそらく予定されてゐる単行本化にあたっては、連載中の6年間に新たに明らかにされた事実も反映されませう。なにとぞ満願の成就されますことをお祈りするとともに、ひとこと御紹介させて頂きます。



また西村将洋様より田中克己先生の未見の文献(昭和19年11月『呉楚春秋』)につきまして、コピーを添へて御教示を賜りました。外地で編集されたやうな雑誌には、今でも知られないままの文献もまだまだあるのでせう。
ほか山川京子様より「桃だより」14号を拝受。あはせて深謝申し上げます。
ありがたうございました。
 

とりいそぎの報知まで

 投稿者:やす  投稿日:2013年 8月29日(木)00時03分32秒
編集済
  本日8/28中日新聞13面、詩人冨永覚梁氏の連載欄[中部の文芸]において拙詩集が御紹介に与りました。予告なき突然の記事、もちろんマスコミ上で斯様な扱ひを受けることも初めてのことにて吃驚してをります。ここにても篤く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

【追記】拙詩集を読むことのできる(予定の)図書館は以下の通り(2013.12.20現在)。

岐阜県図書館
岐阜市立図書館
関市立図書館
恵那市中央図書館
大垣市立図書館
各務原市立中央図書館
飛騨市図書館
美濃加茂市中央図書館

国立国会図書館

北海道立図書館
札幌市中央図書館
山形県立図書館
福島県立図書館
栃木県立図書館
茨城県立図書館
千葉県立東部図書館
都立中央図書館
富山県立図書館
県立長野図書館
愛知県図書館
三重県立図書館
神戸市立図書館
滋賀県立図書館
岡山県立図書館
徳島県立図書館
香川県立図書館
福岡県立図書館
長崎県立長崎図書館
鹿児島県立図書館
沖縄県立図書館

県立と市町村立との所蔵分野の住み分けが進むなか、
受入れの意向を頂いた他府県の基幹図書館には感謝の極みです。
篤く御礼を申し上げます。
 

『茅野蕭々詩集』西岡勝彦編

 投稿者:やす  投稿日:2013年 8月18日(日)01時25分37秒
編集済
 


『茅野蕭々詩集』西岡勝彦編 全434p 電子出版 晩霞舎刊

 開設草創時から拙ないサイトを見守って下さってゐる西岡勝彦様(「従吾所好」管理人) よりは、これも戦前の翻訳文学者による変り種の新刊本を御寄贈いただきました。『リルケ詩抄』(1927)の訳者として有名なドイツ文学者である茅野蕭々(1883-1946)の、これは訳詩集ではなく其のひと本人の詩集で、変り種と申しましたのは、なんとe-Bookであるからです。抑も、紙・電子を通してこのたびが初めての集成となるわけですが、分量400ページにも垂んとする作品の探索を、初出底本の一覧年譜とともに地道にまとめ上げられた努力にまず脱帽、言葉がありません。「明星」「スバル」に籍を置いて出発した作品は、もちろん大半が文語詩なのですが、今日このやうな内容を商業出版に乗せることは、確かにむつかしいことでありませう。電子出版に上した意義と可能性についてサイト上に刊行メモが記されてありました。

 わが任に余る文語詩の感想・評価は避けますが、巻末には編集作業を通じてみえてきた作風の変化や特徴を、当時の状況と、それから作品に即して、西岡様が概括を試みた覚書ノート「蕭々私記」が付せられてゐます。これまた初めての詩人論となりませうが、浩瀚な本書をひもとく際の、初学者にはまことに懇切なガイドになってをります。

 さて私にとって茅野蕭々といへば、詩人津村信夫の庇護者としての側面、つまり『北信濃の歌』のなかで紹介された、津村信夫の婚約者昌子さんのために世話を焼く養家夫妻としてのエピソードに親しんでをりますが、やはり一般には前述した『リルケ詩抄』、あの天地を少し落とした私好みの究極の版型(笑)の、豪華な革背本一冊の印象につきるやうです。透かし入りの洋紙に余白を充分にとり、十全の吟味を経て選ばれた一語一語の活字が、やや間をとって布置されたレイアウト。それは歴史的仮名遣ひとともに、思索的で、沈潜する詩境を強調するに適した印刷効果を発揮して、内容の解釈に先立ち、何がなしリルケの四季派的な受容が、高雅な装釘と相俟って嚮導された、さう呼んでも大げさではないやうな気がするわけです。新しい抒情詩人たちに与へた影響は、同じく押し出し満点の第一書房版の豪華本であった、堀口大学の『月下の一群』(1925)や『フランシスジャム詩抄』(1928)に劣るものではなかったでせう。訳詩の妙諦は詩心を写すことを最優先に心得てゐたに違ひない彼の訳業によって、リルケの受容史がどのやうに偏ったとか、そんなことはどうでもよく、覚書の冒頭、西岡様もこの詩人に興味を持つ発端となった口語詩「秋の一日」について、ゲオルゲの訳詩との関係から説き起こされてゐますが、季節の移り変りを人心になぞらへて思索する流儀など、また尾崎喜八の語り口にも親近するものを感じさせます。・・・などと三流詩人によるハッタリ紹介はこれ位にします(汗)。


 しかし学者詩人の詩人たる前身の風貌を辿ったこのたびの一冊の俯瞰を通じて、西岡様がされた次のやうな指摘、

「しかし、泣菫と違い蕭々は詩作をやめなかった。一時代を築いた有明・泣菫と違い、蕭々はまだ何事も成していないのだから、簡単に野心を捨てることはできなかったろう。」

「蕭々の詩作への意欲は未完に終わった。とはいえ、残された詩業を通観すると、文語定型詩から文語自由詩、そして口語自由詩へと、日本の近代詩とともに変転してきた二十年の詩歴に未完の印象はない。」


 かうした、詩人の位置をざっくり捉へて最初に語り得た意義は大きく、真の愛読者にしかできないことを大書したいです。『クラブント詩集』は刊行物ではないため図書館でも閲覧不可ですが、同じく図書館には所蔵のないものの、こちらは手軽に読むことができます。以上、ここにても御礼かたがた御紹介させていただきます。ありがたうございました。

http://

 

『クラブント詩集』板倉鞆音 編訳

 投稿者:やす  投稿日:2013年 8月17日(土)23時41分16秒
編集済
 

 残暑お見舞申し上げます。

 お盆も終はり、まだまだ秋の気配には遠いですが、拙詩集に対し皆様から頂いた温かい御言葉を読み返し、また合せて御返礼にお送り頂いた編著書・刊行物の数々をゆるゆる拝読してをります。

『クラブント詩集』板倉鞆音 編訳 全141p 21cm和綴

 和紙二色刷りの、まことに瀟洒な装釘の和本仕立ての詩集をお送り頂きました。なぜか刊記(奥付)がありません。なのでどこの図書館にも所蔵はありません。せめて制作メモのやうなものでも巻末に付されるとよかったのですが、おそらく刊行時のものと思はれるレポートがありましたので参照ください(daily-sumus2009/12/08)。御寄贈頂きました制作者の津田京一郎様には、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

 クラブント(Klabund :1890-1928)はドイツの詩人ですが、これも板倉鞆音氏の訳で有名なリンゲルナッツ(1883‐1934)と同様、第一次大戦後の混乱期、批判精神とペーソスたっぷりの青春を謳歌し、ナチスによって“退廃芸術”が一掃される前に、さっさとこの世から退場してしまった無頼派の詩人のやうです。生前すでに鴎外の『紗羅の木』(1915)に訳出されてをり、このブログでも紹介した『布野謙爾遺稿集』でも度々の言及のある、戦前の詩人たちにとっては同時代の最先端海外詩人の一人だったことがわかります。

 内容が5つの“圏”に分かたれてゐるのは原書に倣ったもののやうですが、ところどころ「落丁」があるのは遺された原稿のままを写してゐるからでありませう、訳者板倉鞆音氏に対する謹飭な私淑態度が示されてゐます。むしろこれを以て定本原稿と認めて欲しくない、といふ制作者のメッセージを読み取るべきかも。だからこそ、これだけ立派な内容をも「刊行物」とはならぬやう、奥付を廃した「複製」の体裁にしたのでありませう。さても何冊つくられたのか、これを“簡易製本”と称せらるゆかしき事情を慮っては、寄贈に与り胸がいっぱいになってしまった一冊。私は純愛を盛った第3の圏が好きです。


  さあ お前の手を

さあ お前の手をおだし
春が牧場に燃えている
お前を濫費せよ
この一日を濫費せよ

お前の膝に寝て おれは
お前の視線をさがす
お前の眼は霞んで空を
空はお前を投げかえす

ああ 白熱して縁をこえて
お前たちは休みなく流れ去る
空がお前になった
お前が空になった



  果てしない波

海の波が
上を下へと打ちよせるように
お前を捕えたい 抱きたい
おれの願いは果てしなく浪だつ

この妄想をどう逃れたらいいか
船から下をのぞけば
たった一つのこの思いが
海の中で上を下へと揺らいでいる


 板倉鞆音氏(1907-1990.1.19)はリンゲルナッツのほかにも、昭和11~12年の初期の「コギト」誌上に於いて、すでに服部正己のマイヤーや田中克己のハイネとならんで「ケストナァ詩抄」を連載されてゐます。クラブントにせよリンゲルナッツにせよケストナーにせよ、戦前から一貫して反骨の詩人ばかりを対象に据ゑてゐるのは、自身は政治的態度を誇示する人ではなかっただけに、却って特筆に値するかと思ひます。雑誌「四季」をめぐる先達文学者のなかでも、燻し銀的な存在であり、戦後は丸山薫のゐる愛知大学にあって、ふたたび服部氏とは官舎を隣にしてをられた由。私は処女詩集をお送りしましたが、眼病すでに篤くお目を通していただけたかどうか、大きな文字の受領葉書が唯一度きり賜ったお言葉となりました。

【板倉鞆音 参考文献】 雑誌『Spin』vol.22007.8発行 津田京一郎「板倉鞆音捜索」27-41p

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【追記】 2013.8.25 津田京一郎様より頂いた訂正コメントを付します。ありがたうございます。

 『クラブント詩集』のご紹介ありがとうございました。この詩集の成り立ちにつき少し説明させて戴きます。
 板倉鞆音の未完訳詩集『クラブント詩集』の原稿コピーは板倉鞆音の『リンゲルナッツ抄 動物園の麒麟』(国書刊行会、1988)『ドイツ現代詩抄 ぼくが生きるに必要なもの』(書肆山田、1989)を編集された川村 之さんより戴いたものです。板倉さんより預かった生原稿をオートシートフィーダーでコピーをとった際に、紙送りの不具合により残念なことに“落丁”と記した部分が失われました(ノンブル入り原稿だったためノンブルが飛んでいることで判明)。また“あとがき”部分は未完のまま板倉鞆音さんは亡くなりました。返却された生原稿の行方も不明のままです。
 原書についてはタイトルとして『クラブント詩集』で「第1の圏」「第2の圏」…という章立てになっているものは見当たらないとのことです。収録されている詩篇の多くはそれぞれほかのクラブントの詩集に収録されていることが判明しているため、この詩集は過去の複数のクラブント詩集から再編集されたものではないか、と考えられています。
 まだ実現はしていませんが、川村さんはこの詩集としては膨大な再編集詩集をまるごと1冊にするよりも、(1)可能なかぎり原詩を集める、(2)原典がわかった詩篇をふるいにかけて、(3)適度な分量でうまく編集して1冊にまとめて刊行したいと考えています。
 それまでの“仮の詩集”としてテキスト化したものを簡易製本(20部くらい)したため刊記はつけなかったのです。
 『沙羅の木』については、ミクシィに以下のように書きました。

『沙羅の木』 2011年04月29日14:29
 Mさんのご教示で、森林太郎『沙羅の木』にクラブントの訳詩十篇が収録されていることを知った。早速復刻版を入手し調べてみると、板倉鞆音も訳しているものが四篇あった。以下に両者をひく。(原詩略)

Ich kam 「己は来た」

己は来た。
己は往く。
母と云ふものが己を抱いたことがあるかしら。
父と云ふものを己の見ることがあるかしら。
只己の側には大勢の娘がゐる。
娘達は己の大きい目を好いてゐる。
どうやら奇蹟を見るに都合の好さそうな目だ。
己は人間だらうか。森だらうか。獣だらうか。
                                                    森林太郎『沙羅の木』

Ich kam 「おれは来た おれは行く」

おれは来た
おれは行く
いつか母の腕に抱かれたことがあるだろうか
いつか父を見かけることがあるだろうか

ただ大勢の女どもがおれのそばにいる
みんなおれの大きな目が好きだという
恐らく奇蹟を見るのに役だつのだろう
おれは人か 森か 動物か
                                                    板倉鞆音『クラブント詩集』


Fieber 「熱」

折折道普請の人夫が來て
石を小さく割つてゐる。
そいつが梯子を掛けて、
己の脳天に其石を敲き込む。

己の脳天はとうとう往来のやうに堅くなつて、
其上を電車が通る、五味車が通る、柩車が通る。

                                                    森林太郎『沙羅の木』


Fieber 「熱」

ときどき道路工夫が来て
石を砕き
梯子をかけて
おれの脳天に石を打ちこむ

頭が街路のように固くなり
その上を市電が、堆肥車が、霊柩車がかたかた走ってゆく
                                                    板倉鞆音『クラブント詩集』

 


Still schleicht der Strom 「川は静に流れ行く」

川は静に流れ行く、
同じ速さに、
波頭の
白きも見えず。

覗けば黒く、
渦巻く淵の険しさよ。
こはいかに。いづくゆか
我を呼ぶ。

顧みてわれ
色を失ふ。
漂へるは
我骸ゆゑ。
                                                    森林太郎『沙羅の木』


Still schleicht der Strom 「川は静かに」

川は静かに
同じ早さで流れている
流れに
白い波頭も立たぬ

一と所 黒い淵が
激しく渦巻いて
おれを呼ぶ声が
聞こえるようだ

おれは顔をそむけて
蒼ざめる
おれのなきがらが
流れてゆく-----
                                                    板倉鞆音『クラブント詩集』

 

Hinter dem grossen Spiegelfenster 「ガラスの大窓の内に」

己はカツフエエのガラスの大窓の内にすわつて、
往来の敷石の上をぢつと見てゐる。
色と形の動くので、己の情を慰めようとしてゐる。
女やら、他所者やら、士官、盗坊、日本人、黒ん坊も通つて行く。
皆己の方を見て、内で奏する樂に心を傾けて、
夢のやうな、優しい追憶に耽らうとするらしい。
だが己は椅子に縛り付けられたやうになつて、
ぢつと外を見詰めてゐる。
誰ぞひとりでに這入つて來れば好い。
髪の明るい娘でも、髪の黒い地獄でも、
赤の、黄いろの、紫の、どの衣を着た女でも、
いつその事、脳髄までが脂肪化した、
でぶでぶの金持の外道でも好い。
只這入つて來て五分間程相手になってくれれば好い。
己はほんに寂しい。あの甘つたるい曲を聞けば、
一層寂しい。ああ己がどこか暗い所の
小さい寝臺のなかの赤ん坊で、
母親がねんねこよでも歌つてくれれば好い。
                                                    森林太郎『沙羅の木』


Hinter dem grossen Spiegelfenster 「大きな鏡窓の中で」

喫茶店の大きな鏡窓のなかに坐って
おれはじっと大通りの舗道を眺めやり
色彩と物体の混雑のなかに感傷的な悲しみの治療を求めている
大勢の女、見なれぬ男、はでな将校、詐欺師、日本人、
ニグロのマスターまで通る
みんなおれの方を見て中の音楽をうらやみ
夢のような和やかな音(おん)を思い出そうとする
だが、おれは椅子に縛りつけられ燃えつきて
目もそらさず外を見つめて見とれている
誰かこないものか 無理強いでなくて自発的に
金髪の少女 -----褐色の娼婦-----
ピンクの、黄色の、すみれ色のシュミーズなんか着て------
----- いや、太っちょの扶助料暮しのごろつきの
脂ぎった、脳にコレステロールのたまった奴だって
ただおれの前に五分間だけ姿を現してくれたら――
おれはとても孤独だ 甘いオペレッタがおれを一層孤独にする
ああ、どこかの夜の暗がりで寝たいものだ
子供ベッドの中の子供になって
母親にやさしく寝かしつけられて
                                                    板倉鞆音『クラブント詩集』


 クラブント(Klabund, 本名 Alfred Henschke)はドイツの小説家・詩人で1890年11月4日にクロッセンで生まれ、1928年8月14日に結核のためスイスのダヴォスの結核療養所で亡くなった。1913年に第一詩集『朝焼け!クラブント!夜が明ける!(Morgenrot! Klabund!Die Tage dämmern!)』(Erstdruck: Berlin (Erich Reiss))を出版、『沙羅の木』に訳出されている詩は全てこの詩集から、並び順に訳されている。クラブントの略歴、著作目録、著作内容については以下のサイトが詳しい。

 (略) 

 またユルゲン・ゼルケ著・浅野洋 訳・叢書・20世紀の芸術と文学
『焚かれた詩人たち ナチスが焚書・粛清した文学者たちの肖像』(アルファベータ、1999)P153-175でクラブントの生涯と作品が紹介されている。


クラブントが生前に刊行した詩集は以下の4冊のようです。
1. Morgenrot! Klabund! Die Tage dämmern!  [Erstdruck: Berlin (Erich Reiss) 1913.]
2. Der himmlische Vagant [Erstdruck: München (Roland-Verlag) 1919.]
3. Das heisse Herz [Erstdruck: Berlin (Erich Reiss) 1922.]
4. Die Harfenjule [Erstdruck: Berlin (Verlag Die Schmiede) 1927.]

 

http://

 

レンタル掲示板
/77