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詩誌「びーぐる」22号 『風立ちぬ』の時代と詩歌の功罪

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月26日(日)23時46分37秒
   季刊詩誌「びーぐる」22号の寄贈に与りました。

 特集が「『風立ちぬ』の時代と詩歌の功罪」といふことで今回、私などにもアンケートのお鉢が回ってきたのに吃驚。その冊子が送られて参りましたが1冊でしたので、自分の回答部分のみ掲げさせて頂きます。各先輩諸氏の回答はぜひ書店にてご確認を。

①「四季」派の詩を今どう評価されますか。

 雑誌『四季』に拠った「四季」派の詩人といふより、知的ではあるが線の細い、自己否定・批判精神の希薄な戦前抒情詩人たちの精神構造に対し「四季派」といふ呼称が行はれました。元来は戦後詩壇から軽侮される際に使用されたレッテルであり、特に戦争への対応に於いて批判され続けてきました。現代詩に解消されることなく、ただ過去の遺産の根強い読者を以て命脈を繋いできた、受容のみに偏った戦後このかたの在り様は、やさしい口語詩であるだけに異様とさへ云へます。
 四季派に限らずすぐれた抒情詩が表現すべきものは、丸山薫が夙に「物象」と呼んだところの、(伝統的花鳥風月に限らぬ)「物質に仮託した心象」につきます。その観照が成功するためには、同時にフレームとして状況なり文体を詩人が宿命として身に負ふてゐることが必須です。抒情には自己否定も批判精神も本来関係ないです。
 戦前に於いては意識的・無意識的にせよ、肯定的・否定的にせよ天皇制が統べる世界観、その空気圧がフレームとしてあらゆる表現者に働いてゐたと思ひます。宿痾が人生の重石になってゐた詩人たちは、ある意味、戦争も天皇制も関係ないところで詩作し得た人々でした。
ですから今、抒情詩を書いたり読んだりするには、病気持ちとして切実な孤立点を生きるか、もしくは今日の日本を総べる自由の野放図さ、おめでたさを宿命と観じ、何らかのフレームを設定して自ら向き合ふ必要があるのではないでせうか。四季派は「派」ではなく孤立点の集りでしかありませんが、戦後現代詩詩人の多くが溺れた、コスモポリタリズムを約束するかのやうな思想に流されることなく、TPPや原発・電力浪費社会が招来する殺伐とした世界に対峙する論拠を基盤に深く蔵してゐると思ひます。

②「四季」派で好きな詩人と作品をあげてください。(字数オーバーの故もあって省略。尤もこのサイトに全部のっけてあります。笑)

 特集に関する論考は、やはり四季派について語る場合、避けて通ることのできない戦争詩との関りについて。以倉紘平氏、高階杞一氏がいみじくも指摘された以下のやうな視点について、胸のすく思ひで拝読。

「私は賞味期限付き戦後思想より三好達治という詩人の<号泣>とその作品を信じたい」5p
「三好が賛美した戦争詩は、日中戦争に対しては一篇も存在しない。彼が肯定した戦争とは、アジアを侵略し植民地化した英米蘭国に対する大東亜戦争である。」6p
「憂国の詩人・三好達治」以倉紘平氏 より

「これまで述べてきたように吉本の論にはおかしな点が多々ある。達治の問題について書きながら、それをいつのまにか四季派全体の問題にすり替えたり、四季派の詩人たちが戦争詩を書いたことを、彼らの自然観や自然認識に問題があったからだと書きながら他のほとんどすべての詩歌人が戦争詩を書くに至ったこととの違いが示されていない。戦争協力詩=四季派、という図式で捉え、責任を四季派に帰趨させようとしている。」25p
「吉本隆明「「四季」派の本質」の本質」高階杞一氏 より


またアンケートでは、

「「抒情」ということばでひとくくりに解決済みとされているものとは何だろうか。それを問う機会を与えてくれる資料として、「四季」には複雑な裾野の広がりがあると思う。」貞久秀紀氏49p

「詩の核心は<感傷>にあるのではないかということだ。(中略)心の傷みを言葉に造形するのが詩であり、文学である。」藤田晴央氏54p

などといふ回答があり、もっと社会的な立場からやっつけられるかと思ってをりましたので、今日的課題を社会的関心に絡めて提出した私こそ浮き上がった感じす。

ここにても御礼を申し上げます。ことにも高階様には拙ブログの紹介まで賜り厚く感謝申し上げます。ありがたうございました。

季刊詩誌「びーぐる」22号 2014.1.20 澪標(みおつくし)刊行 ISBN:9784860782634  1,000円

◆論考「風立ちぬ」の時代と詩歌の功罪◆
憂国の詩人・三好達治 以倉紘平4
第三次『四季』の堀辰雄 阿毛久芳10
吉本隆明「「四季」派の本質」の本質 高階杞一16
萩原朔太郎と『四季』 山田兼士29
堀辰雄の強さ 細見和之35
「四季」をめぐる断章 四元康祐41

◆アンケート「四季」派について◆
安藤元雄46 池井昌樹46 岩佐なを47 岡田哲也47 神尾和寿48 北川透48
久谷雉48 貞久秀紀49 新川和江50 陶原葵50 鈴木漠51 添田馨51
田中俊廣52 冨上芳秀52 中嶋康博53 中本道代53 藤田晴央54 松本秀文54
水沢遙子55 八木幹夫55 安智史56 山下泉57

以下通常頁(~129p)
 
 

新刊『森の詩人』 野澤一のこと

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月13日(月)14時10分0秒
   昨夏、拙サイトを機縁に知遇を辱くした坂脇秀治様から、詩人野澤一(のざわはじめ:1904-1945)の作品を紹介・解説した御編著『森の詩人』新刊の御寄贈に与りました。出版をお慶びするとともに、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

 戦後日本の自由を味はふことなく、41歳で結核に斃れた山梨県出身の自然詩人。自然のなかで自然を歌ったといふ意味だけでなく、大学を中退して六年間を地元「四尾連(しびれ)湖」畔の掘建て小屋に籠もり、村人・友人から命名されるまま「木葉童子(こっぱどうじ)」と自らも称した彼自身が、私淑したH.D.ソローに倣って酔狂な自炊生活に勤しんだ自然児詩人でありました。その作品はもちろんのことですが、むしろさうした天衣無縫のひととなりが面白く、このたびの新刊巻末40ページにわたる坂脇様による解説、そして詩友だった故・一瀬稔翁が前の再刊本で披露された回想に、語られるべき風貌や逸話は詳しいので、ぜひ読んで頂きたいのですが、昭和初期の口語自由詩が花開いた時期、実践生活からもぎとった自分の言葉で、すでに時代を突き抜けた詩を書いてゐた彼は、その脱俗の様が徹底してゐる点で特筆に値する詩人でした。恒産を案ずることなく政治体制からも超絶してゐたといふ点では、四季派同様、お坊ちゃんの現実逃避・体制承認との批判も耳をかすめさうですが、私はさうは考へません。戦争詩の類ひにも一切手は染めてゐないやうです。

 もとより物欲なく、肉食を嫌ひ、詩人は一日2升の水(!)を飲み、蟻やねづみやこほろぎの子供を炉辺の友として、散歩と詩作(思索)にあけくれることを日課としたといひます。歌や祈りが朗々たる声で庵前の湖に捧げられ、感極まれば地に額づいて土壌や灰を食らったりするといふ、かなり奇特な変人の趣きです。「その姿は求道者のようにも、野生児のようにも、仙人のようにも、あるいは世捨て人のようにも映る」と坂脇様が記してをられますが、作られる詩も作文も「なつかしい」といふ言葉の用法のほか、稚気を含んだ助詞の使ひ方など、舌足らずな独特の言ひ回しが清貧を貫いた詩人的人格と相俟り、なんとも不思議な雰囲気を醸し出してゐます。

 灰

灰を食べましたるかな
灰よ
食べてもお腹をこはしはしないかな
粉の如きものなれども
心に泌みてなつかしいものなれば
われ 灰を食べましたるかな

しびれのいほりにありて
ウパニイの火をたく時
この世の切なる思ひに
灰を舌に乗せ
やがて 寒々と呑み下しますのなり
このいのちの淋しさをまぎらはすこの灰は
よくあたたかきわが胃の中を
下り行くなり

しづかに古(いにしへ)の休息(いこひ)を求め
山椒の木を薪となして
炉辺に坐れば
われに糧のありやなしや
なつかし この世の限り
この灰は
よくあたたかきわが胃をめぐり めぐりて
くだりゆくなり



 ちっぽけな自分を「壷中の天地」ならぬ「湖中の天地」に放下して、得られた感興を赴くままに、詩といはず散文といはず、生命讃歌に昇華させるべく腐心した様子の彼ですが、しかし同時に野狐禅を嘯く自身の姿については客観視もできてをり、だからこそ風変りな謫居生活も、村人から安心を以て迎へられ、否、親しみさへ込めて遇せられたのでありませう。やがて彼は正直にも「嫁さんが欲しくなったから」と庵をたたんで山を下りるのですが、妻帯して子供も儲け、東京で父の家業を手伝ひ、何不自由のない市民生活者として上辺を振舞ひながら、その実、森のなかで過ごした青春の六年間を懐古し、鬱々と思慕する日々を送るやうになるのです。けだし彼の命を縮める遠因ともなったやうな気がします。

 前掲の「灰」ほか、彼の理想化された湖畔の独居生活の様子は、山から下りてから刊行した詩集『木葉童子詩経』(昭和8年自家版2段組242p)に明らかに、惜しみなく公開されてゐます(このたびの新刊ではうち32編を抄出)。たしかに電気もガスも無ければ、御馳走も食卓を飾ることがなかった耐乏生活には違ひないですが、森に囲まれた周囲1キロの湖と四方の山々を、借景として独り占めできた生活といふのは、ある意味こんなに贅沢な生活はないかもしれない。彼は詩集を献じた有名詩人たちのなかで、唯このひとと見定めた高村光太郎に対し、詩的独白を書き連ねた長文の手紙をほとんど毎日、250通近くも送り続けるといふ、まことに意表をつく挙に出るのですが、子供が三人もある社会人となっても、都会暮らしに馴染めず、ロマン派詩人たる多血質の性分を病根のごとく抱へて生きざるを得なかった人だったやうです。といって光太郎の弟子になりたいとかいふのではなく、敢へてそのやうな仕儀を断つため手紙では「先生」ではなく「さん」付で呼びかけて、高名な詩人を自分の唯一の同志・知己と勝手に恃んだ上で、詩的な心情を吐露し続け、手紙として送りつけ続けた。そんなところに彼なりの矜恃と甘えとの独擅場が窺はれるのではないでせうか。残念なことに、殆ど一方的だったといふそれら往信の束と、光太郎からの貴重な来信は、ともに戦災により焼失し、今日控へ書きによってその一端が窺ひ知られるに過ぎません。ですが、詩人の本領を遺憾なく伝へる内容は圧倒的な迫力に満ち、詩集以後、同人誌に発表された詩篇・散文とともに全容が紹介されることが今後の課題であります。

 「自由」や「地球」や「人民」や、所謂コスモポリタリズム思想のもとで詩語を操った人道主義や民衆詩派に与することを潔しとせず、敢へて身の丈に合った小環境に閉ぢ籠り、自然との直接交感を、身近な命たちを拝むことによって只管に希った詩人、野澤一。この世に生きて資本主義物質文明から逃げ果せることができないことは重々承知しつつ、なほ寒寺の寺男となって老僧との対話を夢想し、彼なりに宗教的命題に対して自問自答を構へるなど、晩年の思索には西洋のソローよりも、良寛さらに宮澤賢治といった仏教的、禅的な境地に心惹かれてゆくやうになるのですが、抹香臭いところは微塵もなく、坂脇様が指摘するやうに、生涯を通じて野生の林檎の如き野趣を本懐とする、やはり規格外の爽快さを愛すべき自然詩人であったやうに思はれてなりません。

 野澤一については、かつてサイト内で拙い紹介を草してをり、それを御覧になった坂脇様、そして坂脇様を通じて詩人の御子息である俊之様との知遇を賜ることになったのでした。読み返せば顔あからむばかりの文章ですが、現代の飽食社会・電力浪費社会に一石を投ずるやうな此度の新刊が、忘れられんとする詩人の供養となりますことを切に願ひ、恥の上塗りを承知でふたたび詩人の紹介を書き連ねます。


 山の晩餐

きうりとこうこうの晩餐のすみたれば
わたくしは
いざ こよひもゆうべの如く
壁を這ふこほろぎの子供と遊ばんとする

こほろぎよ
よく飽きずこの壁を好みて来りつる
秋の夜長なり
我は童子 いま
腹くちくなりて書を採るももの憂し

こほろぎの子供よ
(なれ)もうりの余りを食ひたりな
嬉しいぞや
さらば目を見合せ
ことばもなうこころからなる遊びをせん

しびれの山に湖(うみ)は静まり
草中(くさなか)に虫の音もしげし
大いなる影はわたくし
小さなる影は汝
共に心やはらかく落ち流れたり

さらば世を忘れ
しばし窓を開きて
こほろぎの子供よ
へだてなく
恙なき身をいたはりて
共にしばしの時を遊ばん
 

今年もよろしくお願ひ申し上げます。

 投稿者:やす  投稿日:2014年 1月 1日(水)00時01分39秒
編集済
  立原道造年賀状葉書(昭和12年)

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よいお年を。

 投稿者:やす  投稿日:2013年12月31日(火)00時28分3秒
  年末に舟山逸子様より同人詩誌「季」98号(2013.12関西四季の会)をお送り頂きました。
精神的支柱だった杉山平一先生の死を乗り越へて、一年ぶりの再始動。お祝ひの意をこめて、私も一篇、寄せさせて頂きましたが、
今年刊行した拙詩集への収録を見送った十年前の未定稿に手を入れたもの。詩想が涸渇したこの間をふり返り・・・いろいろの思ひがよぎりました。
ここにても御礼を申し上げますとともに、同人皆様の更なる御健筆をお祈り申し上げます。これまでの御鞭撻ありがたうございました。

その「季」に発表してきた大昔の作品を中心に、集成にしてはあまりにも薄すぎる詩集でしたが、只今以て反応はとぼしく、
今年は「風立ちぬ」なんて映画も公開されましたが、抒情詩が相変らず現代詩人の評価ネットワークの埒外にある酷しい現実だけは、しっかり見せつけられた気がいたします。
書評を書いて下さった冨永覚梁先生、最後の戦前四季派詩人である山崎剛太郎先生からのお手紙は忘れられません。ありがたうございました。



さて今年の主な書籍収穫。

寄贈頂いた本から
清水(城越)健次郎 詩文集 『麦笛』昭和51年
『クラブント詩集』(板倉鞆音訳)平成21年
山崎剛太郎 詩集 『薔薇の柩』平成25年
斎藤拙堂 評伝 『東の艮齋 西の拙堂』平成25年
井上多喜三郎 詩集 『多喜さん詩集』平成25年
成島柳北 漢詩 EPUB出版『新柳情譜』平成25年
茅野蕭々 詩集 EPUB出版『茅野蕭々詩集』平成25年など

いただきものから
館高重 詩集 『感情原形質』昭和2年
『詩之家年刊詩集1932』昭和7年
雑誌「詩魔」5,9,10,34
<tt>雑誌「木いちご」昭和4年</tt>
明田彌三夫 詩集 『足跡』昭和4年
城越健次郎 詩集 『失ひし笛』昭和13年などなど

購入書から
平岡潤 詩集 『茉莉花』 昭和17年
河野進 詩集 『十字架を建てる』昭和13年
牧田益男 詩集 『さわらびの歌』昭和22年
北條霞亭『霞亭渉筆 薇山三觀』文化13年など

嬉しかったのは、三重県桑名の詩人平岡潤の詩集で戦前の中原中也賞を受賞した限定120部の『茉莉花』や
「季」の先輩でもあった清水(城越)健次郎氏の詩集、岐阜での詩作をまとめた夭折詩人館高重の詩集『感情原形質』など。
ありがたうございました。


今年はまた実生活でも新しく出発を始めた記念すべき年でした。
記憶力の減退に悩むやうになりましたが、新しいことを始めなくては、と思ってゐます。

来年もよろしくお願ひを申し上げます。
皆様よいお年を。
 

保田與重郎ノート2 (機関誌『イミタチオ』55号)

 投稿者:やす  投稿日:2013年12月28日(土)22時06分38秒
編集済
   金沢星稜高等学校の米村元紀様より、所属する文芸研究会の機関誌『イミタチオ』55号(2013.12金沢近代文芸研究会)をお送り頂きました。同氏執筆に係る論考「保田與重郎ノート2」(11-50p)を収めます。

 対象を保田與重郎の青年期に絞り、これまでの、大和の名家出身たるカリスマ的な存在に言及する解釈の数々を紹介しながら、最後にそれらを一蹴した渡辺和靖氏による実証的な新解釈、いな、糺弾書といふべき『保田與重郎研究』(2004ぺりかん社)のなかで開陳されてゐる、保田與重郎の文業に対する根底からの批判に就いて、その実証部分を検証しながら、それで総括し去れるものだらうか、との疑問も提示されてゐる論文です。

 渡辺和靖氏による保田與重郎批判とは、反動への傾斜を詰る左翼的論調がもはやイデオロギー的に無効になりつつある今日の現状を見越し、この日本浪曼派の象徴的存在に対しては、反動のレッテルを貼るより、むしろ戦時中の青年達を熱狂させた彼の文業のライトモチーフそのものが、文学出発時の模倣からつひに脱することがなかった、つまり先行論文からの剽窃を綴れ合はせた作文にすぎなかったのだと、一々例証を挙げて断罪したことにあります。彼の文体にみられる華麗な韜晦も、さすれば倫理的な韜晦として貶められ、文人としての姿勢そのものを憐れんだ渡辺氏はその上で、日本浪曼派もプロレタリア文学やモダニズム文学と同じく1930年代の時代相における虚妄を抱へた、思想史的には遺物として総括が可能な文学運動として、止めを刺されたのであります。

 私などは、「論文らしい形式を嫌ひ」「先行思想家の影響に口をつぐんで」大胆な立論を言挙げしてゆく壮年期の独特の文体には、ドイツロマン派の末裔である貴族的な文明批評家シュペングラーにも似た鬱勃たる保守系反骨漢の魅力を感じ、参考文献を数へたてることなくして完成することはない大学教授の飯の種と同列に論ずることとは別次元の話ではないだらうか、などと思ってしまふところがあるのですが、実証を盾にしつつ実は成心を蔵した渡辺氏の批判に対して、米村氏も何かしら割り切れないものを感じてをられるやうで、批判対象となった初期論文と周辺文献とをもっと精緻に読み込んでゆくことで、さらなる高みからこの最後の文人の出自を救ひ出すことはできないか、斯様に考へてをられる節も窺はれます。米村氏の帰納的態度には渡辺氏同様、いな先行者以上の探索結果が求められるのは言ふまでもないことながら、同時に渡辺氏の文章にはない誠実さを感じました。

 後年の文章に比して韜晦度は少ないとはいへ、マルクスなり和辻哲郎なり影響を受けたと思しき文献を見据ゑながら、客気溢れる天才青年の文章を読み解いてゆくのは並大抵の作業ではありません。ところどころに要約が用意されてゐるので、私のやうな読者でも形の上では読み通してはみたのですが、新たな視点に斬り込むために提示された「社会的意識形態」などの概念は、社会科学に疎い身には正直のところなかなか消化できるところではありませんでした。
 しかし誠実さを感じたと申し上げるのは、生涯を通じて保田與重郎がもっとも重んじた文学する際の基本的な信条(と私が把握してゐる)、ヒューマニズムを動機において良しとする態度と、今の考へ方を以て昔のひとびとものごとを律してはいけないといふ態度と、この二点について米村氏が同感をもって論証をすすめてをられる気がするからであり、その上で、恣意的な暴露資料としても利用され得る新出文献の採用態度に、読者も自然と頷かれるだらうと感じたからであります。

 けだし戦後文壇による抹殺期・黙殺期を経て、最初に再評価が行はれた際の保田與重郎に対するアプローチといふのは、「若き日の左翼体験の挫折」を謂はば公理に据ゑ、捉へ難い執筆モチベーションを政治的側面から演繹的に総括しようとするものでした。米村氏は「日本浪曼派(保田與重郎)と人民文庫(プロレタリア文学)とは転向のふたつのあらはれである」と述懐した高見順を始めとするかうした二者の同根論に対しては慎重に疑問を呈してをられます。
 管見では、ヒューマニズムを動機においてみる態度に於いて同根であっても、今の考へ方を以て昔のひとびとものごとを律してはいけないといふ態度に於いて両者(保田與重郎とプロレタリア文学者)は決定的に異なる。その起因するところが世代的なものなのか、郷土的なものなのか、おそらく両者相俟ってといふことなのかもしれませんが、米村氏の論考も今後さらに続けられるものと思はれ、機会と読解力があれば行方をお見守りしたく存じます。

 とまれ今回の御論文に資料として採用された、先師田中克己の遺した青春日記ノート『夜光雲』欄外への書付や、「コギト」を全的に支へた盟友肥下恒夫氏に宛てた書簡集など、保田與重郎青年が楽屋内だけでみせた無防備の表情が学術論文に反映されたのは初めてのことではないでせうか。
 ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

『天皇御崩日記』

 投稿者:やす  投稿日:2013年12月 2日(月)11時51分38秒
   大分県宇佐市在住の宮本熊三様より、以前紹介した『天皇御崩日記』という折本について、その作者「岩坂大神健平」についてメールから御教示を賜りました。(建平、連、村路、左衛士とも;なお「大神」姓は、宇佐宮祠官の名門である大神氏の子孫であることをしめす)

 また『国立歴史民俗博物館研究報告』第122,128,146,159集に『平田国学の再検討』の表題のもと、岩坂建平のことが出てゐるとのこと。以下の二点について合せて御教示を得ました。

 岩坂建平は、嘉永七年(1854)正月十九日、三十歳の時に平田門に入門。逆算すると1825年(文政八年)生。
 『平田門人録』 、豊橋市図書館 羽田八幡宮文庫デジタル版 歴史/48 平田先生授業門人録中 和281-36-2 1 / 5を見る 23コマ

 そして入門から四年後の安政五年(1858)に、彼は同じ宇佐宮祠官の国学者で後に明治の大蔵官僚となった奥並継(1824 - 1894)や、おなじく国学者で明治の外交官・実業家・ 政治家となった島原藩士の丸山作楽(さくら1840 - 1899)の入門紹介者となってゐる由。
 『平田門人録』 、豊橋市図書館 羽田八幡宮文庫デジタル版 歴史/48 平田先生授業門人録中 和281-36-2 2 / 5を見る 4コマ

 丸山作楽は島原藩士でしたが、島原藩の飛地領が宇佐郡にあり、宇佐神宮が実質島原藩の管理下にあったこと。そのため当時荒廃した宇佐宮を、島原藩・中津藩・幕府の三者で修復・再建することを、彼等は江戸に留まり何年もかけて幕府に請願し続けてゐた模様です。

 宇佐神宮が神仏習合の歴史に深く関わってゐるといふことや、また忌日の考へは仏教に起源があって神道ではあまり重要視されてゐなかったことなど、初耳に属することでしたが、しかしこの折本の作り様からして「日々の勤行に使用するため」だけに刷られた印刷物のやうにも思はれてなりません。それほど宇佐といふ土地柄においては神仏習合が身近であり、一般庶民に対する尊王広報活動も、安政当初はかうした次元から始められてゐたのだ、といふことでありませうか。謎は尽きません。

 御教示ありがたうございました。
 

『新柳情譜』

 投稿者:やす  投稿日:2013年11月14日(木)07時57分20秒
   西岡勝彦様よりEPUB出版有料版の第二弾、成島柳北による新橋・柳橋の芸妓列伝『新柳情譜』をお送り頂きました。ここにても御礼申し上げます。書き下し文に懇切な注記が付された内容の詳細についてはサイト解説をご覧ください。

 これから残った人生をいそしんでゆきたい日本の漢詩文ですが、明治のものだからといって、また書き下し文にされたからといってすらすら理解できるかといへば、そんなことは全くなく、これは暫く口語詩の世界に戻ってゐた私の目を覚まさせるに充分のプレゼントでありました。森銑三翁をして「明治年間を通じての名著」と云はしめた未単行本の雑誌連載記事なのですが、翁が評価されたのは、花柳世界の実地実体験をつぶさに報告してゐる面白さに加へて、各章に一々茶々を入れてゐる“評者”秋風同人も語るらく、やはり「時勢一変、官を捨てて顧みず放浪自ら娯しむ。而して裁抑すべからざるの気あり。時に筆端に見る。」ところに存するもののやうにも思はれます。

 「地獄」といひ「一諾一金」といひ、あからさまな藝妓の呼名もあったものだと呆れたことですが、とまれ藝妓各人に対する解説文言・賛詩・評辞と、菲才かつ野暮天の私には落とし所の可笑しさが分からない段が多くて情けない限りです。何難しさうなもの読んでるんですか、とタブレットを覗かれて、にやにや顔を返すことができるくらいにはなりたいものです。

 ありがたうございました。
新柳情譜』西岡勝彦編 全265p 電子出版 晩霞舎刊
 

ご感想ならびに受領連絡の御礼

 投稿者:やす  投稿日:2013年10月17日(木)12時32分46秒
編集済
   このたびの拙詩集刊行につきましては、少ないながら寄贈者の皆様からのまことに手厚い激励のお言葉を賜りました。旧き友人知己のありがたさをあらためてかみしめてをります。

 なかでもむかし詩集を刊行した当時には消息さへ知らずにをり、今回初めてお手紙でその不明を詫びて御挨拶させていただきました山崎剛太郎様より、新刊詩集『薔薇の柩』とともに長文のお手紙を、きびしい視力をおして認めて頂きましたことには、感謝の言葉もございません。小山正孝の親友、『薔薇物語』の作者として晩年の立原道造が計画した雑誌『午前』構想のひとりに員へられた方であり、敗戦前後にはマチネポエティクの人々の盟友として、四季派詩人としての青春期を過ごされた、いまや当時を知る唯一の生き証人の先生であられます。

 また受領のしるしに詩誌「gui」「柵」「ガーネット」の各最新号をお送りいただきましたことにつきましても、あつく御礼申し上げます。
ありがたうございました。
 

モダニズム詩人荘原照子 聞書最終回「猫の骸に添い寝して」

 投稿者:やす  投稿日:2013年10月13日(日)22時54分22秒
編集済
  手皮小四郎様より『菱』183号を拝受いたしました。毎号楽しみにしてをりましたモダニズム詩人荘原照子の聞書が、6年間(23回)にも及ぶ連載を経てこのたび完結を迎へました。感慨も深くここにても御礼かたがたお慶びを申し上げます。ありがたうございました。

「一体に身辺に血のつながる身寄りをもたないも老女が、それも異郷の地にあって老いさらばえて死んでゆくというのはどういうことであろうか。」


今回は文学上の記述はありません。役所の手続き等、手皮様が私生活のサポートまでされた当時82歳の詩人の落魄したさまの報告が興味ふかく、表題の「猫のむくろに添い寝して」ゐたなどは無頓着に過ぎますが、しかしその平成三年から四年にかけて聞書きをされた手皮様の当時の記憶そのものが、テープの内容とは別に、謎の多い詩人の年譜の最終ページにも当たるわけです。けだしこれまでの聞書きの内容にしても、そのままが資料として威力を発揮することは少なくて、インタビューされた場が再現されるなかで、手皮様による批判的なフォローを俟ってはじめて、その肉声の意味が明らかになってくる態のものでありました。当時の手皮様の記憶こそは、聞書きに直結する終端地点であり、正確な伝記の一部に自分も参加してゐる貴重な体験記でありませう。

その場では当然話題になったに違ひない、子供など縁者の消息をはじめとして、手皮様が文中では口ごもられたことや、日常生活で萌し始めた認知症のことなど、身寄りがなく、また世間体を気にしない詩人らしさのために、あっけないほど無防備に手皮様の手に落ちていった彼女のプライバシーについては、却って手皮様の側で面くらふ仕儀となり、その結果、生活弱者としての老詩人をほって置けない羽目にも陥ってしまひます。次第に文学上の興味を逸脱して、厄介にも思はれていったらうことも自然に拝察されるのです。かつての閨秀詩人の知的な気位の高さは今や老女の偏屈さに堕し、苛立ちさへ催させるものとなってゐる――。しかし聞書きを終へた後に詩人との関係を裁ったこと、そのときはそれでよかったと思はれたことが、時を経ての自問自答、つまりこれまでは何がなし気位の強いこの先輩詩人を客観的に突き放して書いてこられた手皮様が、最後になって自分がなすべきだったことについて吐露された一節――これは全体の眼目となりますのでここでは抄出しません。一切感傷を雑へないがゆゑに却って突き刺さる告白が応へました。

昭和初期モダニズム詩といふ、ある意味「非人情」「スタイリッシュ」の極みといふべき、個性偏重の詩思潮を体現したといってよい、謎多き女詩人荘原照子。その晩年に偶然接触を持たれ、聞き書きを得た手皮様でしたが、放置されたテープの存在が、年月と共に心の中で大きくなってゆき、その意味をはっきりさせ決着をつけるために始められた連載でありました。もちろんそのまま報告しても面白いに決まってますが、手皮様は生身の詩人の息遣ひに対するに実証的なフィールドワークでもって脇を固め、その結果、日本の近代史に翻弄された一人の女性の生きざまを剔抉し、モダニズムや詩史に興味のない人の通読にも耐へる読み物に仕上げられることに成功しました。それは単なる伝記といふより、忘れられんとする過去の詩人の生涯の端っこに、報告者の存在意義をも位置づけて自分ごと引っ張りあげる作業ではなかったでせうか。謎の多い彼女の生涯を追って結末が慟哭に終ったこと、私には気高くもいじらしい詩人に対する何よりの供養に思はれてならなかったのであります。

おそらく予定されてゐる単行本化にあたっては、連載中の6年間に新たに明らかにされた事実も反映されませう。なにとぞ満願の成就されますことをお祈りするとともに、ひとこと御紹介させて頂きます。



また西村将洋様より田中克己先生の未見の文献(昭和19年11月『呉楚春秋』)につきまして、コピーを添へて御教示を賜りました。外地で編集されたやうな雑誌には、今でも知られないままの文献もまだまだあるのでせう。
ほか山川京子様より「桃だより」14号を拝受。あはせて深謝申し上げます。
ありがたうございました。
 

とりいそぎの報知まで

 投稿者:やす  投稿日:2013年 8月29日(木)00時03分32秒
編集済
  本日8/28中日新聞13面、詩人冨永覚梁氏の連載欄[中部の文芸]において拙詩集が御紹介に与りました。予告なき突然の記事、もちろんマスコミ上で斯様な扱ひを受けることも初めてのことにて吃驚してをります。ここにても篤く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

【追記】拙詩集を読むことのできる(予定の)図書館は以下の通り(2013.12.20現在)。

岐阜県図書館
岐阜市立図書館
関市立図書館
恵那市中央図書館
大垣市立図書館
各務原市立中央図書館
飛騨市図書館
美濃加茂市中央図書館

国立国会図書館

北海道立図書館
札幌市中央図書館
山形県立図書館
福島県立図書館
栃木県立図書館
茨城県立図書館
千葉県立東部図書館
都立中央図書館
富山県立図書館
県立長野図書館
愛知県図書館
三重県立図書館
神戸市立図書館
滋賀県立図書館
岡山県立図書館
徳島県立図書館
香川県立図書館
福岡県立図書館
長崎県立長崎図書館
鹿児島県立図書館
沖縄県立図書館

県立と市町村立との所蔵分野の住み分けが進むなか、
受入れの意向を頂いた他府県の基幹図書館には感謝の極みです。
篤く御礼を申し上げます。
 

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