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田村書店 奥平晃一さん追悼

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2021年12月12日(日)21時34分37秒
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 神田神保町の古書店、田村書店の奥平晃一さんが2021年11月26日に亡くなられました。80才だった由。古本先輩からの一報で知って驚きを隠せません。文学界隈の様々な人たちから、今後自身の思ひ出を交へた追悼コメントが次々にあがるのでありましょう。

 かくいふ私も初めてお店を覗いたのが大学を卒業して上京した昭和の終りだから、思ひ出はかれこれ40年近く前までさかのぼります・・・。

                  ★

 インターネットなんぞ無かったその昔、戦前に刊行された詩集を求めるためには、さうしてそもそも世の中にどんな詩集が出回ってゐるのか知るためには、古本屋が発行してゐる販売目録といふものがありはしましたが、それがいったいどんな詩集なのかはその本屋まで直接足を運ばなければ見ることができませんでした。図書館では読むことが出来ない本の話です。店が遠ければ、そして売れてしまへばそれも叶はないし、もとより買へもしない高価な本は、只みせてほしいと言ったところで「うちは図書館じゃないよ」と断られて当たり前の話でした。

 だから上京して貧乏暮らしをしてゐた“陰キャ”詩人の若者にとって、目録販売をせず、背取りを事とする同業者を立入禁止にしてゐた田村書店は、足を運びさへすれば、有名無名に限らぬ戦前詩人の詩集の現物と出会ふことができる唯一の場所だったのです。
 

 古書目録が知見に役立つと書きましたが、田村書店は過去にただ一度だけ詩集の販売カタログ『近代詩書在庫目録』(1986刊行)を出してゐます。明治期からの近代詩集489冊を書影と共に総覧した古書目録は、伝説のコレクターと呼ばれた小寺謙吉氏が編集した『現代日本詩書綜覧』(1971刊行)といふ詩集図鑑とならんで、そのころ戦前期に刊行された詩集の書影・書誌を知るためのマストアイテムでした。

 ことにも古書目録には身もふたもなく「価格」が明示されてゐます。そこに込められたシビアな価値判断──すなわち「内容」と「装釘」と「ネームバリュー」と「珍しさ」との四者を勘案して示された評価は、こと田村書店のこの古書目録に関して言ふならば、コレクターおよび古書店の間で永らく稀覯本詩集を収集する際の、指標として機能してゐたやうに思ひます(のちに2010年、扶桑書房が同分量の同種目録をカラーで刊行)。

 今ながめると業界の相場も移り変はり、また「内容」については店舗独自の見識が反映されてゐるので、ジャンル単位で補正は必要かもしれません。バブル景気もはじけましたが、新たな富裕層出現により、そのころ台頭した次世代専門店によって吊り上がった稀覯詩集の古書価格は、現在も変化がないやうです。

 ただ田村書店がすごいのは、店売りでは公刊されたこの自店目録とは異なる値付けがされてゐたことで、客の足元を見て無闇に高額にしたがる専門店を牽制するやうな、極力抑へられた値付けが当時からされてゐたことだったと思ひます。扶桑書房が現れるまで掘り出し物はここでしか見つからなかったし、抒情詩はともかく日本浪曼派など全く相手にしなかった奥平さんの値付けは、同じ界隈にある体制寄りの文学者を尊重する古書店の本棚をため息を以て眺め過ぎてゐた私をしばしば狂喜させたものでした。

 それだけに在庫の回転は恐ろしく早く、店外に二足三文で並べられる筋の良い研究書・翻訳本の類ひはもとより、新しく入荷した稀覯詩集も古本屋としてはあり得ないスピードでどんどん売れてゆきます。一冊でも多く詩集と出会ふことを目的とする私のやうなコレクターにとって、覗くたびにワクワクする期待を味はへる本棚はここにしかなく、同時に、見逃したら二度と出会ふことのない一期一会の悔しさを何度となく舐めさせられた「鉄火場」でありました。一巡りして帰ってきたら売れてゐたのは度々のこと、「やっぱり買はう!」と靖国通りを横断してバイクに轢かれた苦い経験は古本仲間の間で笑ひ種になりました。

 新たな本との出会ひが尽きないのは在庫の厚さゆゑですが、「売った本を再び買ひ入れる際には必ず六割を保証する」との奥平さんの公言は、ただいま払底してるからといって阿漕な値付けをする本屋とは異なり、(後年、業界全体が暴落に見舞はれるまで)値付けに対する絶対の自信と信用との証しでした。

 しかしながら私が田村書店を近代文学の初版本を扱ふ最も真摯な店として慕った理由は、実は値段よりその対面販売の姿勢にあります。左様、ここを訪れたことのあるみなさんが一度は被ったと仰言る「洗礼」。すなはち「本を大切にしない人間や、本で稼いでゐる同業者はもとより、研究者にありがちの、たかが本屋風情と見下したビジネスライクの態度をとる客にも、うちの本は売りたくない」といふ、露骨なほどハッキリした奥平さんの古本屋哲学です。

 実際、帳場の後ろの壁一面に敷き詰められた稀覯本に、断りもなくうっかり手を出さうとして叱責された「著者」があったといふのは、通ひ始めた当時すでに広がってゐた伝説でした。しかし商売以前のモットーだったこの姿勢は、私には、在庫に胡坐をかいた横柄な態度ではなく、「本を大切にする読者・研究者に、実際に本を手に取ってもらった上で買ってもらひたい」といふ良心の表れとして映ってゐました。

 東京都心の古書の街、神田神保町で店を経営しながら、古書に対してだけでなくその嫁ぎ先にも慈愛を注ぐためには、斯様に堅固な武装が必要だったかと思はれてなりません。嫌な思ひをして去った人がある一方で、たとい上客でなくとも、私のやうな執念深い探索者には魅力ある古書世界への階梯が開かれたのだと云へるのです。

 ここからは昔話です。

 初めてやってきた人は店に入るなり、名物の番頭さんがグラシン紙の掛かった本の背をトントン叩き回るのをみて、先づ異様な殺気が漂ふのを察知する訳ですね。察知しない人が洗礼をうけます。細長い店内の一番奥、本が山積みにされた司令塔のやうな帳場から、来店する一見の客に向けて鋭い視線を送ってゐた奥平さんは当時40代。その一番恐ろしげだった頃に、田舎からポッと出て来た若者の私がやらかしたのは、

「この本まけてもらへませんか。」

と、ぶっきらぼうに本を差し出したことでした。帳場越しにジロリとにらまれて返された言葉はただ一言、「あんた、関西の人か」。これがキツかった。私の場合は怖い思ひ出ではなく、二の句を継げず、ただ恥ぢ入ってしまったことでした。

 後の祭りですが、これ以後はもうもう畏れて話しかけることもできず、しかしその後も私は5時に仕事が引けると国電を乗り継ぎ、お茶の水から坂を駆け下りて店に駆け込む毎日。店内を縦に仕切った本棚の、詩集を固めて置いてある狭い通路にしゃがみ込み(分かる人は解かる。あそこに坐るのか)、新しく入った詩集を手許に抜いて買はうか買はまいか、閉店する6時半までの短い時間、巻頭から一篇づつ詩を読んでは見返しに貼られた値札をにらみつける日々を送りました。

 古書との出会ひは正に一期一会の真剣勝負。とにかくその場で決めなくてはなりません。何度となく番頭さんに邪魔にされ、腋の下に汗をかきかき黙々と未知の詩人たちと対峙する実地を経験することで、少しは私の審美眼も養はれたでしょうか。

 顔を覚えられて向ふから話しかけられるまで、決してこちらから話しかけはしなかったのは、恐ろしかったのもありますが、ひどく恥をかいた思ひをしたあと、一寸した意地も芽生えたからでした。当時の私は、自分には縁のなささうな寿司屋で黙ってサービスランチを食べてはさっさと帰ってゆく卑屈な流儀を心得てゐましたが、この田村書店でも通したわけです(笑)。

 毎日毎日同じ時間にやって来ては同じ棚の本を見回って安い本ばかり漁ってさっさと帰ってゆく身なりの貧しいふしぎな青年に、奥平さんが会計時に声をかけてくれるまで、どれくらゐ時間が経ったのかは覚えてません。ですが、丁度そのころ田中克己先生のもとに出入りするやうになったので、よほど嬉しかったのでしょう、そのことを伝へると、田中克己が戦争中に『神軍』といふ詩集を出してゐる癇癪持ちで有名な老詩人であるとことを知ってゐる奥平さんは、なんとも奇特な若者だと言う顔をされました。そしてある日の夕方、私を呼び止めて帳場の下から差し出されたのは、なかなか見つからなかった田中先生の最初の詩集『詩集西康省』でした。題簽が剥がれてるからね、と破格値で売って下さった喜びは忘れられません。(こんな時にはいつもそばに奥様が立って一緒に微笑んでをられました。)

 押し戴いて帰った私は、早速「子持ち枠」の題箋紙を作って先生の許に走り、タイトルを手書きして頂いて、世に唯一冊の『詩集西康省』を持ち得る幸せをかみしめたのは言ふまでもありません。

 本の背をトントンやる番頭さんに「函の無いのがもっと安く出るよ」と言はれたのに待ちきれず、上京して初めてもらったボーナスを全額握りしめてショーケースの『黒衣聖母』を出して下さいと申し出た夕べのこと(少し経って半額以下で出ました。親不孝者でした)。仕入れたばかりの『生キタ詩人叢書(ボン書店)』4冊が帳場に広げられ、ひと声「6万円」と言はれて買へなかった夕べのこと。記憶に残ってゐるのは、情けない事も多いですが、いまはすべてが懐かしく思ひ出されます。

                  ★

 昔はそのやうに毎週、判で押したやうに通ひ続けてお世話になった古本屋さんでした。前述したやうに店売りしかしないため、帰郷してからは上京するごとに挨拶かたがたお店を覗くやうな感じになり、却って近況報告とともに短いお話もできるやうになりました。(一緒に写って頂いた唯一の写真は2003年のものです。)

 在京中にはどうしても手が出ず「如何なる状態の本でもよいので」とお願ひしたのが入荷したとお知らせ頂き、とにかくいくらでも買ふつもりでおそるおそる電話して金額を聞き、飛び上がって喜び送ってもらった『春と修羅』が、最初で最後の大きな買ひ物。

 そして最後に挨拶に伺ったのが前回の上京時でもう6年前のことになります。

 自分の詩集を呈して帰らうとしたら、帳場にたむろするお得意とランチに行くとて一緒に連れ出され、初めて御馳走になりました。奥平さんから尋ねられるままに私が話す内輪の昔話を聞くうち、見知らぬその新しいお得意さんが、今は疎遠となったかつての常連のお歴々のことを、所謂ライバル視を以て邪揄ったので、そんなことはないですよ、それに後悔されてるみたいですよ云々と抗弁したのですが、奥平さんはそれを横で黙って聞き入りながら、いかにも懐かしさうな顔をされたのが忘れられない思ひ出となってしまった。辞去する際には「君、もういつまでもやってられないよ。」と応へられた笑顔が、当時すでに闘病中の御返事だったことを、このたび最初に訃音が報じられたブログを読んで知りました。

 インターネットをされない奥平さんには、折々私のサイトを印刷して報告してくださる奇特な方があったやうですが(この場を借りて名前をお聞きしなかった方に厚く御礼申し上げます)、先月アップした、詩集との関はりを振り返った記事は読んで下さっただらうか。古本を安く売ってもらったばかりの、一方的な関係しか無かったものの、私の詩生活・古本人生にとってかけがへのない本屋であり、慕はしいと呼び得る唯一の店主でした。

 これまで蒙った古書恩誼の数々とともに、茲に謹んでご冥福をお祈りいたします。 (2021.12.12)

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