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『富永太郎 ― 書簡を通して見た生涯と作品』

 投稿者:やす  投稿日:2014年 2月 2日(日)00時06分45秒
  通報 編集済
   折角詩集を入手した富永太郎ですが、恥ずかしながら詩人のことを詳しく知らなかったので『富永太郎 ― 書簡を通して見た生涯と作品』(大岡昇平著1974中央公論社342p)といふ評伝の古書をamazonから最安値でとりよせたところ、なんとサイン本でありました。で、読み始めたら釈く能はずそのまま一気に読了。

 著者の大岡昇平は、生前の面識こそなかったものの詩人の弟と同級生になったのを皮切りに、かの中原中也、小林秀雄、河上徹太郎などなど、フランス象徴詩の受容史に関係する友人とは悉く深いい交友を結び、仲間内では最も年少の筈ですが誰とも互角に渡りあった豪胆な気性の持ち主。殊に不遇のうちに夭折した中原中也と富永太郎にとっては、世に送り出すに与って力のあった謂はばスポークスマン的存在でもあります。愛憎を突き放したやうな筆致には、富士正晴が伊東静雄に対するやうな感触もあり、何度も改訂を経た評伝に対する責任を果たした感もあり、しかし当時から先輩に対する態度はこんなだったのでせう、当時の文学青年の知的共有圏を説明するに硬軟、幅広くあけすけに本質を突いた叙述にひきこまれてしまひました。
 ボードレールもヴェルレーヌもランボーも、もとよりフランス語を解せぬ自分ですが、前半は人妻との恋愛事件に始まった詩人の、といふか大正期青年の性欲に言及する姿勢に、後半はやはり迷走を始めた京都時代以降、中原中也や小林秀雄と交友を結びながら「真直に死まで突走った」晩年の足跡について、そして全体を通しては正岡忠三郎、冨倉徳次郎の二人の親友の友情に感じ入った次第です。

 本関連のことでいへば、このたび私が入手した昭和二年に刊行された私家版の遺稿詩集は、彼が生前まみゆることなく私淑した日夏耿之介と佐藤春夫に指導・助言を仰ぎ、長谷川巳之吉の尽力を俟って実現した出版であったこと、後書に記されてゐる通りです。
 当時、日夏耿之介は例の豪華定本詩集3巻本を第一書房で刊行中であり、社主長谷川巳之吉とは蜜月時代にありました。その後「パンテオン」編集をめぐって堀口大学と争った際、同じ新潟出身の巳之吉とも袂を分つことになるのですが、富永太郎の当時はといへば、結核の転地療養に精神耐へず鎌倉より脱走。節約しなければならぬ家産事情も上の空、“譲価”五十円といふこの破格の予約出版を、死の床から「とりあへず発注」したのだといひます。もっとも没後、代金はそっくり『富永太郎詩集』の刊行費用の足しに宛てられたのでせう。背革こそ張られてゐませんが、サイズもほぼ同じで、これを羨んだ中原中也が『山羊の歌』を同サイズで作ったエピソードは有名ですが、なるほどそのまた原型として、この『日夏耿之介定本詩集』はゴシック・ローマン詩体に私淑した亡き詩人のために装釘を倣ったものだったといってよいのかもしれません。
 けだし富永太郎は北村初雄のやうに良家の長男坊で絵心もありましたし、措辞はもちろん、「保津黎之介」といふ平井功(最上純之介)より露骨なペンネームさへ持ってゐた。専門を英仏とする違ひはあれ、黒衣聖母時代の日夏門を叩かなかったことが不思議にさへ思はれることです。

 さういへば先日、ネットオークションで大正時代の無名詩人の孔版詩集を手に入れたのですが、当時の不良文学青年(?)の、今ならさしづめ“絶対領域”といふんでせうか、フェティッシュに対する感情が同じい結構でわだかまってゐる様子を、興味深く拝見した(家人にアホといはれた也)ので、一寸写してみます(笑)。


 金髪叔女(淑女)の印象
                    大澤寒泉 『白銀の壷』(大正12年3月序)より

六月の雨けぶる新橋駅近き
とある果物店の前
ふと擦り違ひし金髪の淑女
足早に――洋傘斜に過ぎ去りし。

紫紺のショート スカートの下
ブラックストッキングを透して
ほの見えし脛(はぎ)の白きに
淡き肉感のときめきしが……。

夕(ゆふべ)、 ふとも思ひいづる
かの瞬間の不滅の印象
秋なれば かの果物店に
くれなゐの
林檎の肌や
つややかに並び居るらん。



 大澤寒泉といふ詩人は、童謡雑誌「赤い鳥」に寄稿してゐた川越在の青年らしいのですが、関東大震災ののち名前をみません。御教示を仰ぎます。

 そしてこちらが富永太郎の無題詩。やみ難きエロチシズムに表現を与へ、文学の名を冠して発表することは、由来一種の性的代償行為であり、日夏耿之介が創始したパルナシアン風の措辞(ゴシック・ローマン詩体)は、黒外套のやうな韜晦効果を以て、羞恥と衒ひを病むハイブロウな大正期文学青年輩にひろく伝播したのでありませう。大岡昇平も呆れてゐますが、「社会と現実に完全に背を向けた若者」には関東大震災に関する日記も手紙も一切遺されてゐなかった、といふ徹底ぶりでありました。


 無題
                   富永太郎(大正11年11月)

幾日幾夜の 熱病の後なる
濠端のあさあけを讃ふ。

琥珀の雲 溶けて蒼空に流れ、
覺めやらで水を眺むる柳の一列(ひとつら)あり。

もやひたるボートの 赤き三角旗は
密閉せる閨房の扉をあけはなち、
暁の冷氣をよろこび舐むる男の舌なり。

朝なれば風は起ちて、雲母(きらら)めく濠の面をわたり、
通學する十三歳の女學生の
白き靴下とスカートのあはひなる
ひかがみの青き血管に接吻す。

朝なれば風は起ちて 濕りたる柳の葉末をなぶり、
花を捧げて足速に木橋をよぎる
反身なる若き女の裳(もすそ)を反す。
その白足袋の 快き哄笑を聽きしか。

ああ夥しき欲情は空にあり。
わが肉身(み)は 卵殻の如く 完く且つ脆くして、
陽光はほの朱く 身うちに射し入るなり。




なほ、個人ホームページである本サイトでは向後、今回の『白銀の壷』のやうな、片々たるコレクションや著作権満了状況が不明の資料に特化した公開を心がけてゆきたいと考へてゐます。と申しますのも、国会図書館では今年から「図書館向けデジタル化資料送信サービス」が始まり、「近代デジタルライブラリー」未公開資料に対する閲覧・複写サービスが劇的に改善されたからです。わが職場でも端末が更新され次第申請の予定。これまで古書界に通用してゐた「おいそれと読めないがための高額本」といふ事態だけは、いよいよこの日本から払拭されることになりさうで、どこの図書館も予算削減の折から、これはまことに慶賀の至り。と同時に、本サイトでこれまで公開してきた稀覯詩集も、その役目を終へるものがいくつか出て来さうです。いづれ画像を整理する時が来るかもしれませんので、必要な向きには今のうちに取り込んで置かれますこと、お報せ方々お願ひを申し上げます。

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