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「陳曼壽と日本の漢詩人との交流について」

 投稿者:やす  投稿日:2015年 5月 1日(金)20時31分17秒
  通報 編集済
   成蹊大学日野俊彦先生より紀要「成蹊国文」48号の抜き刷り「陳曼壽と日本の漢詩人との交流について」をお送りいただきました。

 日中の漢詩人同士の交流。江戸時代にも、長崎出島にやってくる多少文事の嗜みのある商賈たちとの交流が、あるにはあったやうです。しかし明治に入って鎖国が解け、日本の漢詩人たちはそれまで自分達の教養・趣味を規定してきた中華文明の実態に直接触れる機会を持つことになります。明治初期の漢詩壇に陳曼壽なる清人の名がしばしば上ることは承知してゐましたが、彼がまとめた中国人による初めての日本人漢詩アンソロジー『日本同人詩選』の実態や、彼が本国での不本意な待遇から逃れてあるひは食ひ詰めて来日した下級官吏の身分であったことなど、知りませんでした。

 西欧列強の帝国主義に翻弄された日中両国の力関係がはっきりするなかで、漢文教養主義といふものはその後の日本において、在野の側からゆっくり瓦解の道をたどってゆくことになります。漢詩が「詩」であるための根源的な音声学を、書物を通じて理屈として学んできた涙ぐましい日本人の営為に対し、もはや本場のマイスターによる添削やお墨付きが必要とされなくなってしまふ事態――それがよりにもよって物・人の交流が実際に始まった明治時代にさうなってしまったといふのは、なんとも皮肉と言はざるを得ません。伝統的な文人生活を彩ってきた漢詩文の威光が色褪せてゆく一方で、青少年の詩的嗜好は西欧に範をとった新興新体詩へと流れてゆく。当路の人間たちがアジアの盟主たるべく和臭の漢文脈で述志をふりかざし続ける一方で、庶民は中国の現状を馬鹿にし、中華文明を骨董視するやうに変化してゆきます。(今日の中国政府が求める「日本が示すべき歴史的反省」といふのも、実はここらあたり上下でねじれた文化面からほぐしてゆかないと意味がないのではないかと私は思ってゐます。)

 しかしながら漢詩の盛況は、頼山陽の登場にはじまり倒幕維新をゴールとする草莽述志の余勢を駆って、当時の日本では依然として、否むしろ明治に入ってしばらくの期間こそ、空前の量的活況を呈してゐたことが『和本入門』のなかでも明らかにされてゐます。そして本国では左程知られてゐた訳でもない陳曼壽に対する我国の歓待ぶりといふのも、両国文化交流における最も幸せな邂逅のひとつ、日本文化が恩恵を蒙った中華文明の当事者に対して直接敬意を払った記念すべきケースであったといってよいのだと思ひます。来日時すでに小原鉄心が亡くなってゐたのは残念ですが、大垣の漢詩檀との交流などふくめ、詳細な分析結果を興味深く拝読させていただきました。


 また池内規行様より「回想の青山光二(抄)」を掲載する『北方人』21号(2015.4.1北方文学研究会発行)の御寄贈に与りました。さきに「月の輪書林古書目録」内に併載された同名原稿の続編です。小説に迂遠な自分には感想など書くことができず歯痒い限りですが、代作依頼や文学賞への応募、はては著書のサクラ購入の依頼などなど、文壇における先生と弟子との間合を書簡における肉声のやりとりを通じて拝見し、生身の小説家の生理に少しばかり触れ得た思ひいたしました。

 あはせてここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 
 
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