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「淺野晃先生をしのぶ集い」

 投稿者:やす  投稿日:2015年 6月 4日(木)00時50分59秒
  通報 編集済
   偲ぶべき故人の膨大な著作を、詩集以外は碌に読んでゐません。生前、一方的に拙詩集を送りつけ御返事を頂いたとうそぶいてゐたといふだけで、出席者のどなたにもお会ひしたこともない文学の集まりに、よく出席などできたねと仮に言はれたとしても反す言葉はないのであります(えばっちゃいけない)。

 先週、五月の晦日に東京竹芝のホテルで行われた「淺野晃先生をしのぶ集い」に、それなら私のやうな人間がなぜ参加したのかといへば、ひとへに中村一仁氏に御挨拶さしあげたかったから。同人雑誌『昧爽』の創刊時より十年にも及ぶ書簡(メール)と寄贈とのやりとりをかたじけなくした中村さんが、私淑された日本浪曼派の文学者である淺野晃の『詩文集』を独力で編集・刊行し、このたびは自身の研究活動に一区切りをつけるため、詩人の御遺族や、立正大学の教へ子、文学関係者・研究者にひろく働きかけて斯様な催し物を企画した、その御苦労をどうしてもお会ひして直接ねぎらひたかったからであります。

 『淺野晃詩文集』の刊行は2011年のことでしたが、今回の集まりは、私の中では、だから少々遅れた詩文集の出版記念会に他ならないものでありました。同じ思ひで臨んだ参会者も少なくなかったのではないでせうか。

 近代文学における伝統の問題をひろく論じてきた文芸同人誌『昧爽』は、中村一仁氏と山本直人氏との共同編集で、創刊準備号を2003年6月に発行して以後、年に2~3冊を発行し続け、2009年12月に19号を出してからは久しく休刊してゐます。ことさら「休刊」と記すのは20号で終刊する旨をあらかじめ宣言してゐたからですが、本来は、『淺野晃詩文集』の出版を祝する記念号ととして、一緒に出される予定のものと思ってゐました。ところが中村さんの故郷である北海道の公的資料室に収められた淺野晃の関係資料の調査が、町村合併によって金銭的に行き詰まり、また詩人の最初の妻で戦前共産主義の殉教者である伊藤千代子を、転向した夫から切り離して顕彰しようとする地元文学グループの政治的思惑に制せられて、この同時進行の遠大な計画には暗雲が立ち込めた。すくなくとも私には当時そのやうに観じられたのでありました。

 中村さんらしいポレミックな刊行予告文にも一抹の不安を抱いた私は、お手紙でこそ引き続き進捗状況をお知らせいただいてゐたものの、2010年、詩人歿後二十年の命日に『詩文集』が間に合はず、年末に発行予定の20号も出ず、もしや計画は広げられたまま頓挫したのではなからうか、と思ひはじめた矢先のことでありました。東日本大震災の直後、700ページにもおよぶ『詩文集』が送られてきたときには、全く意表を突かれた思ひでしばし大冊を前にして呆然とするばかり。しかしその感慨は、震災を原因とした小火によって中村さんのアパートと蔵書が甚大な被害に遭ったことを知るに至り、痛切なものに変化したのでありました。

 あれから五年が経ちました。ひょんなことから私たちが三人ともTwitterやFacebookを始めたことを知り、近しく情報を共有する間柄にはなりましたけれど、中村さんは『詩文集』刊行の反応について、やはりおもはしくないとの感想をお持ちの様子。さきの地元文学者たちに対する思ひも強ければ、しばしば既存文学に対する懐疑と苛立ちがぶつけられた「つぶやき」に接しては心配もしたことでした。このたび思ひ切って雑誌の終刊号のことをお訊ねしたところ、休刊の間が空きすぎてしまった旨を釈明されました。とは言ふものの今回の「偲ぶ集い」は中村さんの周旋によって実現にこぎつけ、当日も御遺族のほか、文芸評論家の桶谷秀昭氏をはじめ、ネット上で詩人の聞書きを公開されてゐる野乃宮紀子氏ら、約40名の参加者を迎へて盛会のうちに終へることができたのでありました。会後の中村・山本・中嶋の歓談もまた、傾蓋故のごとき実に楽しいひとときであったことを報告します。すでに私は書評をサイトに上してしまったところではあり(ちょこっと手を入れました)、終刊号に寄せるべき『昧爽』にまつはる回想を、詩人淺野晃の御霊の冥福をお祈りするとともに、偲ぶ集ひに参加させていただいた喜びにかこつけてここに語る次第です。中村一仁様、山本直人様、そして発起人の先生方、本当にお疲れさまでございました。

 さて翌日は、淺野晃とは日本浪曼派の文化圏をともにした先師田中克己先生のお宅から、遺された日記帳を借り受け、さらに神保町にては大学卒業時よりお世話になってゐます田村書店に御挨拶。席を移してお昼を御馳走になり、通ひ始めて四半世紀、初めて店主の奥平さんから近しく古本の内輪話をお聞かせいただく機会を得て感激しました。宿泊したのは日本橋で、立原道造の生家跡を散歩できましたし、また電話ではありますが、八木憲爾潮流社会長(92)の御元気なお声にも元気づけられて、貴重な上京、月またぎの両日を終始たのしく有意義な時間のうちに過ごすことができました。

 ここにても皆様に御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 
 
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