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『感泣亭秋報』十号

 投稿者:やす  投稿日:2015年12月 1日(火)21時57分50秒
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  小山正見様より『感泣亭秋報』十号をお送りいただきました。

 柿色に毎年実る秋報もたうとうこれで10冊。小山正孝といふ所謂「四季派第2世代」のマイナーポエットとその周辺をめぐる論考だけで成り立ってゐる雑誌が、途絶することもなく、年刊ながら号を追ふ毎にページ数が増へてゆくといふ考へられないことが起こって十年が経ちました。今回も常子未亡人を追悼した前号に劣らぬ質と量であるのは、年始に完成をみた『小山正孝全詩集』の刊行記念号として、制作・執筆陣ともにひと区切りを意識した気合の一冊に仕上がってゐるからです。
 まづは巻頭、詩人の盟友であり、四季派詩壇最高齢でもある山崎剛太郎先生が不如意の筆をおして「この全集で彼は彼の人生を多彩に語り、微細に変調する感性で、人生の多様性に迫った」と満腔の祝辞を述べられてゐます。没後13年、泉下の詩人ならびに常子夫人、坂口正明氏をはじめ、この一文を掲げ得た刊行者、すなはち白寿目前の翁を「山崎のおじちゃん」と幼時より慕ってこられた刊行者にして詩人の御子息である正見様の胸中も偲ばれるといふものです。

 寄稿に至っては、本格的論考から、私の如き『全詩集』巻末の解説をかいなでに紹介して責をふさいだものまで、目次の通り多種多様となりました。その『全詩集』解説を書かれた渡邊啓史氏ですが、本号においても第5詩集『山の奥』テキストに寄り添ひ、詳しい作品分析を行ってをられます。
渡邊氏の説によれば、詩人が戦後展開させた詩境のうち、所謂「愛憎の世界」では第2詩集『逃げ水』の混沌から掬はれた上澄みとして第3詩集『愛し合ふ男女』が成り、そののち分け入った「形而上世界」においても同様に、第5詩集『山の奥』が第4詩集『散ル木ノ葉』を洗練させた主題的展開として位置づけられると云ひます。詩風の区分と対応する詩集との相関関係は、シュールかつ愛憎が韜晦する戦後の作風になじみ難い私にとっても明快な道標となり、助けられる思ひです。

 また國中治氏よりは、第2詩集『逃げ水』にみられる混沌が、ソネット(十四行詩)といふ形式のみならず「立原道造的なもの」へ志向する心情と、そこからの脱却を図らうとする矛盾そのものの露呈として分析され、さうした葛藤こそが抒情詩を書く全ての戦後詩人に課せられてきた現代詩の身分証明だったのだと総括されてゐます。「立原道造的なもの」すなはち四季派の本質を「理想化された西洋文化と伝統的日本文化とのアマルガムを憧憬と郷愁によって濾過・精煉した高純度の情緒」と規定されてゐますが、成立条件にはさらに時代の制約が関係してをり、それが失はれた為に現代詩の彷徨が始まったのだともいへるでしょう。
さらに渡邊氏と同様、第4詩集から第5詩集への発展関係が指摘されるものの、「立原道造的な」自己探求のモチーフとして選ばれる「なぜ・だれ・どこへ」といった詩語・詩句の単位が、第5詩集『山の奥』では詩行単位のレトリックに切換へられ、それが詩人独自の「形而上世界」の構成をなしてゐるのではないか、との切口は新機軸です。つまり詩境を変じたのちにおいても詩人と立原道造との間には、ともに混沌(デモーニッシュなもの)に対する視点が「やや排他的な、密やかな共鳴によって結ばれていたのではないだろうか」と推察されてゐるのですが、四季派詩人の生理の内奥に身の覚えもありさうな、四季派学会理事の國中氏ならでは独壇場の明察であり、感じ入りました。

 そのほか胸に詰まったのは、『朔』誌上でも愛妻との離別を綴られた相馬明文氏からの一文でした。また毎号誌上で一冊づつ「小山正孝の詩世界」を解説してこられた近藤晴彦氏は、今回最後の第8詩集『十二月感泣集』をとりあげ「感泣」の意味を問はれます。蘇東坡の故事においては喜悦感涙の意味を持つものださうですが、けだし杜甫に親しんだ詩人なれば「感泣」はやはり老残の嘆き、ならば「秋報」も年報であると同時に「愁報」さ、などとシニカルな詩人なら答へられるかもしれません。
 とまれ近藤氏が指摘された日本人のメンタリティの特色。本音と建前を使ひ分けることが江戸時代このかたこの国に近代的個人が完全に成立しなかった理由であるといふ指摘に頷かされ、さうしていかなる建前にも臣従することなかった小山正孝について、さらに池内輝雄氏が「小山正孝の“抵抗”」と題して、大東亜戦争開戦当時の『四季』(昭和17年2月号)誌上にあたり、実証してをられます。『四季』巻末に田中克己が記した編集後記は、
「大東亜戦争の勃発は日本人全体の心を明るくのびのびした、大らかなものにした。詩人たちも一様に従来の低い調子を棄てて元気な真剣な詩を書きだした。」
といふもの。引き較べて小山正孝は同誌上で書評の姿を借りて戦争詩の在り方を問ひ、それらが本当に「真剣な詩」だったか、先輩詩人たちがつくったのは「感動のないたくさんの詩」のかたまりではなかったかと言ひ放ち、当時としては精一杯の抵抗を巷の熱狂に対し呈してゐるのですが、両者がそれなら反目の関係にあるのか、戦後はそれなら袂を分かったのかといふと、さうではないところがまた興味深いところです(そもそも編集子が載せてゐる訳ですしね)。拙稿で触れてありますが、今年公開をはじめた戦時中の「田中克己日記」にあたっていただけたらと思ひます。

 さて、このたびは近藤晴彦氏と、戦後出版界再編の事情と実態を(小山正孝を含め)発行者の立場から関った詩人たちを軸にして詳細に論じてこられた蓜島亘氏と、両つの大きな連載が一区切りをつけ、正見氏自身「やめるなら今がやめ時だ」と終刊も考へられたといふことですが、渡邊啓史氏が余す各論はあと3冊分あり、若杉美智子氏による「小山=杉浦往復書簡」の紹介も、新事実を添へてまだまだ続けられる予定であってみれば、近代詩と現代詩にまたがる一詩人を通して昭和詩の命運を俯瞰してゆかうとする試みは、来年以降も続けられることがあらためて宣言され、ひとまづ安堵されました。

 気になった論考の2,3を紹介、この余は本冊に当たられたく目次を掲げます。
 茲にてもあつく御礼を申し上げます。ありがたうございました。



『感泣亭秋報』十号 目次

詩 つばめ横町雑記抄(絶筆) 小山正孝4p

    特集『小山正孝全詩集』
『小山正孝全詩集』全二巻に寄せて 山崎剛太郎7p
「感泣五十年」 八木憲爾9p
小山正孝の“抵抗” 池内輝雄13p
『小山正孝全詩集』刊行に際して――「あひびき」の詩を中心に 菊田守17p
いのちのいろどり『小山正孝全詩集』に寄せて 高橋博夫20p
『山の奥』の詩法――今あらためて立原道造と小山正孝の接点を問う 國中治22p
小山正孝についての誤解 三上邦康25p
花鳥風月よりも何よりも「人」を愛したソネット詩人小山正孝 小笠原 眞26p
「灰色の抒情」 大坂宏子37p
“私わたくし”的の『小山正孝全詩集』 相馬明文38p
雪つぶてをめぐる回想 森永かず子40p
「アフガニスタンには」に触れ想念す 深澤茂樹43p
心惹かれる『山居乱信』 萩原康吉46p
『十二月感泣集』から 里中智沙47p
『小山正孝全詩集』に接して 近藤晴彦49p
『小山正孝全詩集』作者の目 藤田晴央52p
『小山正孝全詩集』刊行によせて――小山正孝と田中克己 中嶋康博54p
『山の樹』から感泣亭へ 松木文子58p

造化の当惑――詩集『山の奥』のために 渡邊啓史62p
小山正孝の詩の世界9 『十二月感泣集』 近藤晴彦92p
最後の小説「傘の話」を読んでみた 相馬明文97p

「雪つぶて」に撃たれて 山田有策102p
「雪つぶて」作曲のこと 川本研一107p
正孝氏のジャケット 坂口杜実109p
お出かけする三角 絲りつ112p

詩 薔薇 里中智沙118p
詩 机の下 小山正孝「机の上」へのオマージュ 森永かずこ120p
詩 互いの存在 大坂宏子124p
詩 第二章  絲りつ127p

小山正孝の周辺4――戦後出版と紙 蓜島亘128p
昭和二十年代の小山正孝6――小山=杉浦往復書簡から 若杉美智子140p

感泣亭アーカイヴズ便り 小山正見144p

2015年11月13日 感泣亭アーカイヴズ発行
問合せ先(神奈川県川崎市中原区木月3-14-12) 定価1000円(〒共)
 
 
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