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『福士幸次郎展 図録』 ほか

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 1月16日(土)20時14分27秒
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  青森県近代文学館の資料調査員、一戸晃様より、詩人阿部幾男が紹介された『玲』別冊号、ならびに弘前市立郷土文学館の「福士幸次郎展」図録の御寄贈に与りました。茲にても御礼を申し上げます。ありがたうございました。


○探珠『玲』別冊『暮小路晩爵(阿部幾男)』

晃氏のもとには、祖父の一戸謙三が遺した原稿や来翰など、郷土の近代文学史を証言する貴重な原資料が多数管理されてをり、遺族ならではの視点から編まれた個人研究誌『玲』が現在すでに158号を数へてゐます。
資料の紹介は詩人だった祖父にとどまらずその交友関係にもひろげられてゐますが、これは(かつて坂口昌明氏が指摘されてゐましたが)初期の詩業を整理淘汰した感のある一戸謙三においては、交友を跡付ける資料から若き日の活躍ぶりが明らかになることも多いことから、広義の顕彰活動ともいへるでしょう。このたびは別冊扱ひとなってゐますが、阿部幾男といふ詩人についても、一戸謙三には絶筆と思しき葉書を送ってゐる親密な間柄であったことが知られます。青森市長だった親を持ち、放蕩詩人として宿痾やスキャンダルといった、斯様な素性につきものの逸話がたくさん報告・紹介されてゐますが、手紙や作品のなかにみられる、

「毎日吸入器のゆげばかりたべて生きてゐます。」
「只呆然と貝殻のやうに風を聴き、小川の鮒のやうに空気を呼吸し、みずたまりのやうに目は物の姿を映してゐます」
「その時私はどいふわけか、いつか夏の涼しい縁側で水色の羽織紐を噛んだときのことを思出した。(中略)どんな味がするって?おいしいことはありませんね。」


といった言葉に対する鋭い感性には紛ふ事なき詩人ぶりが感じられ、アンソロジーを旨とした「パストラル詩社」時代に、個人詩集をもつに至らなかった不幸を思ったことでした。

 「四季の目録」  阿部幾男

 春は床の水仙
 夏は岩のしめり
 秋は俥の雨
 冬は煙突のけむり


(平成28年1月 一戸晃発行 A4コピー誌24p)



○『福士幸次郎展 図録』

先達て紹介した『言霊の人 棟方志功』のなかでも、鍛冶屋の息子であった棟方志功が「鍛冶屋のポカンさん」といふ詩を書いた福士幸次郎を訪ねる条りが書かれてゐましたが、大正時代の東北地方の、詩にかぎらぬ文化活動を語る人たちの口に上る「福士幸次郎」といふ要人の名が、今以上に偉大なものとして認知されてゐたことについて、今日の公的文学館が展覧会を開き、解説を試みた意義は大きいと思ひます。

当地との関りでは、福田夕咲(飛騨高山出身)が口語詩揺籃期の盟友として、また放浪時代の一時期を過ごした名古屋との縁もあってか、金子光晴を詩壇にデビューさせた恩人として、佐藤一英とはおなじく音韻詩を模索した先輩詩人として、浅からぬ縁があります。棟方志功が雄飛するきっかけとなったのは佐藤一英の詩「大和し美し」でしたが、彼らの媒をなしたのも福士幸次郎でありました。さうなると一戸謙三をはじめとする門下生の集まる「パストラル詩社」と、福士幸次郎を講演に招いたこともある「東海詩人協会」との接触もあったかもしれません。

一方で当時、盟友からも後発の詩人達からもその詩人的奇行と見識によって尊敬を贏ち得てゐた様子だった彼が、その後およそ国柄とは本質的にそぐはぬ「ファシズム」の名を冠した団体を立ち上げ、晩節を汚したまま亡くなってしまったことにも思ひは及びました。
一家言の理論家肌がわざわひしたものか、提唱した地方主義運動によってかきたてられた郷土愛・祖国愛が、後年創始した日本古代文化史論においても「尾張は日本のメソポタミヤであり、木曽長良の両川はチグリス、ユウフラテスにあたる」といった創見にとどまらず、図らずも彼をファシズムへと迷はせる讖となった可能性はあります。
ほかにも拘泥した理論に音韻詩がありましたが、詩壇を動かすには至らず(これは聯詩を追及した佐藤一英も同じでしたが)、敗戦まもなく急逝してしまったため戦後史観によって黙殺された結果、近代詩を語る際に逸することのできない業績を遺しながら、徒らに名高い不思議なキーパーソンとしての「福士幸次郎」が取り残されてあるやうな気がしてなりません。

しかしながら、この図録に紹介されてゐますが、無名時代を損得抜きで世話になった金子光晴やサトウハチローのやうな破格の人物から生涯敬慕され続けたといふ事実、そして当時の詩壇の盟友達が彼の逸話集なら何ページでも書けると受け合ったといふ話、これらから結ばれる人物像に、およそ「ファシズム」の名も理念もそぐはないこともまた確かでありましょう。大正時代に開花した口語詩を代表する萩原朔太郎、その彼が寄せた一文が、詩人福士幸次郎の本来の面目と地位を裏書きするやうな証言として掲げられてゐるのを読んで、私自身の認識もあらためられた気がしました。

図録には、館蔵資料のほか一戸謙三の許に遺された原資料も多数掲載され、書影・書翰・原稿、そして萩原朔太郎と室生犀星が一緒に写ってゐる珍しいスナップや、金子光晴の『赤土の家』出版記念会など、全国各所の文学館所蔵の写真の数々にも瞠目しました。概してどれも小さく、もっと拡大して掲載して欲しかったところです。

大正詩に詳しい者ではありませんが、以下に目次を掲げて概略を報知・紹介させて頂きます。


『福士幸次郎展 図録』目次

詩篇紹介 「錘」ほか15編

資料紹介
書・色紙・短冊・草稿・書簡・書籍・雑誌

福士幸次郎の生涯
 1弘前に生まれて文学青年となるまで
 2自由詩社に入り、詩を発表
 3第一詩集『太陽の子』 口語自由詩の先駆
 4詩集『展望』とパストラル詩社
 5地方主義運動(1) 地方文化社の設立
 6地方主義運動(2) 地方主義の行動宣言
 7「日本音数律論」 詩のリズム研究
 8『原日本考』 古代の研究
 9館山北条海岸で没す 弘前市に文学詩碑

福士幸次郎を取り巻く詩人たち 竹森茂裕
佐藤紅緑・ハチロー・愛子に愛された福士幸次郎

福士幸次郎自伝
福士幸次郎君について 萩原朔太郎
弟の思ひ出 福士民蔵

福士幸次郎書簡
福士幸次郎年譜

(平成28年1月12日 弘前市立郷土文学館発行 29.6cm 40p)
 
 
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