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「保田與重郎ノート3」 紹介

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 6月 8日(水)07時14分57秒
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   金沢の米村元紀様より2年半ぶりの発表となる「保田與重郎ノート3「當麻曼荼羅芸術とその不安の問題」をめぐって」を収めた『イミタチオ』57号(2016.5金沢近代文芸研究会)の御寄贈に与りました。

 このたびも保田與重郎の初期評論が対象に据ゑられてゐるのですが、前回論考において呈された「渡辺和靖氏の保田與重郎批判」に対する再批判が、より徹底的に展開され、保田與重郎をその文学的出発時にさかのぼり、文人としての姿勢に宿す本質において批判と総括を試みた渡辺氏の考察が完全に覆され、のみならず、逆に当の批判者本人の批評家としてのスタンスが問はれる恰好ともなった模様です。

 保田與重郎研究書の真打ちの如き、時期と・分量と・装釘でもって2004年に現れた渡辺氏の研究書『保田與重郎研究』(ぺりかん社刊)でしたが、保田本人と直接親交のあった信奉者と、彼らを敵視した左翼マスコミ系イデオローグ達とが、共に評論の舞台から退場した今日、残されたテキストから問題点の整理をし直した、といふ執筆の姿勢が新鮮にも映ったのは事実です。保田與重郎の独特に韜晦する文意を、周辺文献への博捜によって、外壕を埋めるやうに実証的に質し、解きほぐし得たかにみえた考察でしたが、このたびは同じく実証的スタンスを重んじた米村氏による更なる精査によって、渡辺氏の読解の「拙速さ」が指摘され、否、それは果たして「拙速」であったのか、そもそも渡辺氏の執筆動機には、保田與重郎が今日読まれる意義に対して引導を渡さんがための「歪曲」の意図があったのではと、あからさまに筆には上さないまでも疑念さへ呈されてゐるやうに、私には感じられました。

さきの論文では、保田與重郎の文学者としての倫理を問うた「剽窃疑惑」に対し「待った」がかけられましたが、今回はデビュー当時の評論手法に対して渡辺氏が行った批判への反証が徹底的に述べられてゐます。保田與重郎の当時の文章から「視覚的明証性(みればわかる)」を重んずる高踏的な芸術家態度を指摘する一方で、「古典には主観の介入する余地はない」といふ矛盾したもう一つの態度を導き出し、自家撞著を指弾した渡辺氏ですが、「保田のやり方は、口では考証の排除を言いながら実は暗黙裡に時代考証を前提としている。63p」とも語り、批判の手をゆるめません。これに対し米村氏は

 そもそも芸術作品に「知識や思想」を読み取ることを避けるのは「実証的な検討」を否定していることになるのであろうか。(63p) 保田は「芸術史家の途方もない科学的批評」の「観念形態」そのものが歴史的産物であることを暴露しているだけなのである。(64p)
 保田は古典作品に対して「主観の介入する余地はない」などと言ってはいない。それどころか古典作品の享受とは「芸術のレアール」、つまり「切々と心うつ何ものか」を感受することだと主張していた。(65p)「歴史的実証性」に背を向けて古典論を展開しているのではない(67p)[し、]「芸術のレアール」の享受のために科学的実証を否定するわけで[も]ない。「知識や思想」を当て嵌めて批評とする態度を批判しているだけ(68p)[であり、また、]保田は「芸術のレアール」の感受だけを批評だと言っているわけで[も]ないのである。(69p)


 と、それぞれの箇所で保田與重郎自身の文章を引きながら至極まっとうな論駁によって切って捨て、再考が促されてゐます。そして続いて、

では、近代芸術の概念に基づく芸術史を否定するのであれば、保田はどのような歴史を想定するのであろうか。(中略)それに代替するものとして精神史なるものを措定する。(67p)


 と、その後昭和10年代に突入して後の展望の方向が示されてゐます。けだし渡辺氏の「拙速」が本当に「歪曲」ならば、目論見はこの時代を批判したいが余りに、しかしイデオロギーによる悪罵の無効をさとり、土台を崩しにいって失敗したといふことでありましょうから、今度は米村氏の手になる引き続いての論考も待たれるところです。

 前半には哲学者三木清を向ふに回した当時の評論も考察対象に挙げられ、学術用語に詳しくない門外漢の私には就いてゆき辛い個所もあったのですが、論理的なミスリードを突いて白黒決着をつける部分については分かりやすく、最後は心の通った眼目によって論文が締めくくられてゐることにたいへん好感を感じました。

 とまれ雑誌一冊の大半を占める内容には瞠目です。日本浪曼派を論ずる研究書を読まなくなって久しく、斯様な論文に首をつっこんで紹介するなど烏滸がましい限りですが、渡辺氏の労作『保田與重郎研究』も今後は米村論文を念頭に置いて読まれなくてはならぬものになってしまったことだけは云っておきたく、ここに紹介させていただきました。
 同号には、四季派詩人としては珍しく田中冬二を主題に据ゑた、抒情の感傷性・モダニズム・全体主義を、異次元世界構築に向けて発動する想像力の問題として捉へた、西田谷洋氏の力作論考も併載されてゐます。
 ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。



『イミタチオ』57号 (2016.5金沢近代文芸研究会)  目次

小説 「想いのとどく日」くどう文緒……2p
評論 「田中冬二 詩のセンチメンタル・モダニズム」西田谷 洋……8p

評論 「保田與重郎ノート3「當麻曼荼羅芸術とその不安の問題」をめぐって」米村元紀……24p

 第一章 「生の意識」と新しいロマンの探求
  1.『戴冠詩人の御一人者』と「當麻曼荼羅」
  2.「剽窃」としての「當麻曼荼羅」
  3.論争の説としての「當麻曼荼羅」
  4. 「生の意識」と三木清との確執
  5.既成文学批判と新しいロマンの探求
  6.三木清の二元論への苛立ち
  7.「パトス」論と三木清の影響
  8.不安の時代と芸術論
  9.保田與重郎と小林秀雄

 第二章 「當麻曼荼羅」と不安の芸術
  1. 不安の芸術と芸術のレアール
  2.「不安の時代に於ける芸術」、「芸術の示す不安」、そして「芸術のあらわす不安」
  3.「芸術のレアール」とは何か
  4.「知識や思想」を排除する批評
  5.「科学的美学の公式」と「知識や思想」
  6.印象批評と「科学的」批評

評論 「五木寛之(金沢物)の傑作「金沢あかり坂」 森英一……76
評論「カンガルー日和」について 改稿から見えてくること 宮嶌公夫……90
北陸の本……98
 
 
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