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「 モダニズムと民謡について」

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 7月27日(水)13時14分14秒
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  さきに季刊『びーぐる』第31号 <特集>土地の詩学 に書かせていただいた拙文ですが、バックナンバーとなりましたので掲げさせていただきます。


 モダニズムと民謡について          中嶋康博

 詩のなかに土地があらはれると、その土地が作者の詩人たる存在にどんな意味をもってゐるのか関心をもちます。それが詩人の生まれ故郷だった場合、慕はしき場所なのか呪はしき場所なのか。中原中也や萩原朔太郎を持ちだすまでもなく、ふる里はしばしば文学者の性格を決定づけます。そして宮澤賢治はその典型ですが、作者のロマンチシズムによってしばしば変容されるものです。
出身地でなく他郷の場合であっても事情は同じで、理想郷に描かれたり、逆に疎外感にさいなまれて居れば、やはり大きな刻印を詩人に残すのです。信州は都会人である立原道造ら「四季派」の詩人たちによって、彼らの詩的故郷に仰がれましたし、多くの上京詩人たちにとって、都会生活のなかで味はった孤独と不遇とが、故郷への思慕となって彼らのもとに返ってくることを幾多の望郷詩が傍証してゐます。近代文化史的な疎外感、思ひ描かれた故郷が日本の原風景であるやうな、文明開化に対する象徴的な反省として「日本浪曼派」も現れたのだといってよいかもしれません。

 ながらく近代の口語詩を渉猟してきた私ですが、おもしろいと思ったことがあります。それは如上の、詩人らしい故郷との関係のことではなく、都会生活に軋轢を感じるどころか、文明志向がさらに彼らを駆ってゐるやうなモダニズムの詩人たち、ことに東京近傍の中途半端な文化圏から上京したためか、それが一層顕著に感じられる名古屋・中京地区出身の詩人たちのことでした。同じく東海地方に生を享けた自分だから感じるのかもしれません。
 近代物質主義の申し子である彼らにとって、土地はアイテム同様にハイカラなスタイルを纏ふべきものとして詩の中に登場します。先頃刊行された『白昼のスカイスクレエパア 北園克衛モダン小説集』でも感じたことですが、昭和初期に詩壇を席巻したレスプリヌーボー、春山行夫が御膳立てをしたモダニズム詩の運動には、ディレッタンティズムと非政治性――つまり「ハイブロウな平俗性」ともいふべき心性を強く感じます。文学手法の革新が海外文芸の翻訳紹介に偏してゐることに飽き足らず、政治体制批判に目覚める人たちもありましたが、中京地区からの参加はなかったやうであります。おもしろいと云ったのは、その一方で、真反対な「ローブロウな平俗性」を象徴する「民謡詩」といふジャンルが、同じ中京地区の衛星都市である岐阜を拠点に詩壇として成立し、昭和初年の同時期に地方勢力を保ってゐた事実と、私の中でワンセットで思ひ起こされることです。

 土地を題材とする作品が現代詩としての価値を持つためには、詩人の自我がその地の風俗や自然を通して顕れてくることが大切だと思ってゐます。しかし音頭・長唄・小唄といった民謡詩には、公的に要請される校歌や翼賛詩と同様、制作意図に作者の切実な自己(生の意識)は必要とされません。自意識を卑俗的日常まで頽落させた大衆迎合の表現が、御当地詩人たちにとって如何なる制作モチベーションと結びついてゐたものか不思議に思ふのですが、岐阜県の民謡詩運動の場合、アンデパンダン結社であった『詩の家』の詩人岩間純が帰郷し、彼が興した詩誌『詩魔』を足がかりにして昭和初年代に大いに盛り上がったもののやうです。当時、詩と流行歌との二足の草鞋を履くやうになった『詩の家』主宰者である佐藤惣之助が、中央から物見遊山かたがた岐阜市に訪れて歓待される様子は、まるで江戸時代の漢詩人の宗匠をとりまく田舎サロンをみる思ひがします。それから一世紀近く隔てた現代から遠望すれば、歌はれた和風情緒はすでに私たちの生活から遠く、都市化された風景の変容も、資源を食ひ尽くしてなほ観光地の名をとどめる空しさの上に痛感されるところです。

 前述したモダニズムによって描かれた都市化された風景についていへば、そのさきの未来が、今日につながらぬ当時の最先端風景として創造的に懐古されるところに意義があり、今なほ新しい読者を勝ち得、北園克衛の新刊にも注目が集ってゐるのだといってよいでしょう。しかし民謡詩については残念ながら、それが寄りかかってゐる文化的な共通理解の前提をとり除けば何も残らなくなるやうなポエジーのあり方は、戦争翼賛詩と同列に考へられる事象なのかもしれません。ついでながらモダニズムから体制批判を志した詩誌『リアン』の同人たちもまた『詩の家』ファミリーでした。こちらは戦時中の弾圧によって解体、詩派としては継承されず今に至ってゐることを併せて書き添へておきたいと思ひます。

 翻ってグローバリズムが極まり、文化的な共通理解の前提が民主主義の価値観に一元化されるやうになった現代の日本で、詩人は土地をどう歌ひ、何を意味づけすることができるのでしょうか。「地球」を概念としてとらへる野放図さ、土地として向き合ふやうになったときのパースペクティブに私は耐へられず、戦前抒情詩が成立した“箱庭”を仮想し、そこで現代との折り合ひをつけながら詩を書いてゐたやうに思ひます。そして上京生活を切り上げて帰郷した後も、地域の伝統的な風土風俗を詩に詠みこむことに不毛を感じ、むしろ不毛そのものが歌はれる「イロニー」や「パロディ」としての土地の詩学に親しんできたやうに思ひます。過去の作品でいふなら小野十三郎によって描かれた一連の「大阪」や、中原中也の「桑名の駅」といふ詩。土地はこの先あのやうに歌はれ、それがまた新たな歌枕として平俗性をまとって日本文化に定着してゆくのかもしれません。すでに桑名駅には立派な詩碑が建ってゐるとか。斯様な詩碑が建てられる観光まちおこしの思想と経済力に、私はかつての民謡詩人たちが情熱を傾けた姿を重ね合はせ、ふたたび数十年後の行末を思っては(それをむなしいといってよいものか)現在に生きてゐる一種の感慨にとらはれます。


季刊『びーぐる』第31号 2016.4.20 発行:澪標(税込定価1,000円) 現在、最新号32号を発行。
 
 
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