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あけましておめでたうございます。
酉年ださうですが、今年は明治時代の大垣の漢詩雑誌『鷃笑新誌』の編集長であった戸田葆逸(1851 嘉永4年~1908 明治41年)の自筆日記を入手したので、その翻刻と紹介を試みたいと思ってゐます。
「鷃笑(あんしょう)」とは荘子の故事で、鵬(おおとり)の気概など感知しない斥鷃(せきあん)といふ小鳥が嗤笑するとの謂であり、雑誌のタイトルが示すところは、葆逸の祖父、大垣藩家老だった小原鉄心の鴻図を仰ぎ、同時に、また彼が身上としてゐた低徊趣味に倣って、旧詩社の名を継いで新しい雑誌の名に掲げた、といふことでしょうか。
毎号、同人の作品の他、小野湖山や岡本黄石など幕末を生き残った著名詩人からの寄稿も受け、十丁ほどの小冊ながら、一地方都市からよくも斯様な雑誌が毎月欠かさず発行されたものと感嘆します。こちらの雑誌も稀覯ながら1~11巻までの合冊を幸運にも入手してゐました。或ひはそのことがあったので、編集長の日記を天が差配して私に入手させたのかもしれません。
さてこの日記が書き継がれた明治14年3月24日から15年12月18日までといふ期間が、恰度この『鷃笑新誌』の創刊(14年9月)を挟んでゐて、読んでゆくと単なる覚書ではなく、地方の漢詩サロンの中心にゐた彼をめぐって、同好の士との交歓の様子がつぶさに、ありのままに記録されてゐることがわかるのです。
なかでも興味深かったのは、明治の初期に「雑誌」を印刷するために使用した活版機械や活字について記されてゐること。そして当時の漢詩壇において賓客として遇せられてゐた中国人、つまり鎖国が解かれた日本に清国からはるばるやってきた「本場の漢詩人」との交流が詳しく写し取られてゐることでした。
日記にさきがけて、雑誌『鷃笑新誌』の方はすでに公開してゐます。このたび目次を付しました。また日記も翻刻発表と同時に原冊の画像を公開しますので(3月予定)、研究者には自由に活用していただきたく、御教示をまって補遺・訂正に備へたいと考へてをります。しばらくおまちください。
今年もよろしくお願ひを申し上げます。
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