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【くづし字の解読と訓読】

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2018年11月 8日(木)13時52分43秒
  通報 編集済
  現在、江戸後期の大垣漢詩人の草稿紹介に関り取り組んでをります『地下十二友詩』の序文ですが、これ以上の解読進展せず、音を上げてをりました。
くずし字と訓読につき、ひろく訂正の御指摘・御教示を仰ぐことといたしましたが、このたび斯界の碩学より有難いご教示を賜りましたので、まづは御報告の上さきの依頼を撤回させていただきます。

※以下にこのコピーを取得するにあたって、原資料を所蔵する関西大学図書館へ提出した複写のための理由説明書を掲げます。


小原鉄心が江馬細香たちと起こした詩社「咬菜社」。その同人および大垣藩内で、鉄心が詩の交りを訂した人々の姿を詩業から回顧しようとした『地下十二友詩』という未完の著書について、中村規一氏が『小原鉄心伝』(明治43年)のなかで記した条りは次の通りである。

「すなはち「起こすべからざるの友と一室中に会して、以て旧憾を慰む」との意より、野村藤陰、菱田海鴎とも謀って、江馬細香・菱田毅齋、戸田睡翁、鳥居研山、宇野南村等の詩稿を輯録して一々これが小伝を付し、市川東巌(藩の輯録方)をしてその肖像を画かしめ、一書をなし『地下十二友詩』を編せんとす。材料の蒐集、体裁上の統一、詩稿の校正、一に鉄心の主宰せる所なり。これに費やしたる苦心と努力とは、その関係書類のみを集めたる一書庫に見るをうべし。然るに故ありて出版を果たさず。材料も大半散佚したるは惜しむべし。」(『小原鉄心伝』33p)

このとき散逸したのは「材料」だけであったが、『地下十二友詩』の稿本自体は、その後『濃飛文教史』を執筆する際の参考文献として、著者伊藤信氏の有に帰し、「藤信」「竹東(伊藤氏の号)」の印を捺されたものが関西大学図書館に所蔵されている由である。

その12人の友のうち、蚤くに亡くなった大垣藩臣の河合東皋および木村寛齋の詩稿を、平成28年オークションに現れた際に落札した。さきに紀要『岐阜女子大学地域文化研究』34号にて紹介した戸田葆堂の日記『芸窓日録』と同じ出品者であった。

河合東皋の稿本は第二集、第三集といふ具合に本人手づからまとめあげられたもので誰の手も入って居ない未完詩集と呼んでよいものである。また木村寛齋の詩稿は幾編にも分かれており、それぞれに後藤松陰による批正と感想が記された添削指導版というべきものであった。尚且つ44才で亡くなった彼のために、十八(とし)歳が離れた若き鉄心が選詩し、謹飭な楷書で清書した『寛齋遺稿』一冊があり、嘉永元年三月七日付で小野湖山の朱批が施されている。

鉄心が『地下十二友詩』のための資料収集を心掛けたのは、もちろん執筆を期して以後のことであったと思われるが、これらがそのための「材料」であった可能性は高い。『寛齋遺稿』が若き日の彼によって編集されていることは、藩内一の詩人であり有路の人でもあった小原鉄心のもとに、早くから好事家の遺文が集まり、また彼もそれを大切に保管してきたことを窺はせる。

ここに関西大学図書館に依頼して禁帯出資料『地下十二友詩(配置場所:総合図書館(特別文庫)請求記号:L23**900*612 資料ID:206577869)』について複写を取り寄せ、河合東皋、木村寛齋の項目に記載された小伝と収録詩を、他の「十二友」中の位置づけとともに調査確認することとした。

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