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立原道造の蔵書印

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2019年 3月 3日(日)12時44分20秒
  通報 編集済
   立原道造の蔵書印「道造匠舎」が捺された『詩集西康省』を入手しました。印顆は詩人の歿後『詩人の出発(1961書痴往来社) 』の扉に使用されてゐて、その後の管理が定かではありません。
 なので題簽を欠き、綴じ糸も切れた先師の処女詩集に対し、悪意を以て捺された可能性は、ないとは言へません。
 加之、『詩集西康省』の著者である田中克己の、津村信夫に宛てた寄贈本を私は所蔵してゐますが、そちらには大きく献呈署名が施されてゐるのです。

 人には何でも自分の都合の良いやうに考へる「防衛機制」といふものが備はってをります(笑)。
 思へば津村信夫宛寄贈本として購入した『詩集西康省』も、奥付に検印がありません。そんな本を著者が『四季』の盟友に寄贈するでしょうか。
 先日も梁川星巌のマクリを、印譜を調べもせず入手してガッカリしたばかり。贋物が横行してゐるのは分かってる筈なのに、騙されたところを更に騙される、世の詐欺被害者を笑へぬ、よくよく懲りない御仁とみえます。
 立原道造の手澤本や手蹟については、これまでも望外の喜びと落胆とを交々味はってきましたが、このたびは如何でしょう。

 以下に挙げるのは、誰に対してでもない、自らにする虚々実々の「防衛機制(言ひ訳)」。論拠は当時の田中克己日記『夜光雲』。昭和13年の日記から、詩集が出来上がって暫くの部分を鈔出してみます。(詩集寄贈先のマークを▲で表してみました。)

九月二十二日(木)
午前中、肥下と製本屋にゆく。午後、松本(※松本善海)と文庫に行き、和田先生(※和田清)に論文をわたす。留守中、大阪の池田日呂志君来訪。詩集(※『夜への歌』)置き行くとのことに明朝反対に訪れる旨電報す。

九月二十三日(金)
宮崎丈二氏宅なる池田君を訪ふ。宮崎氏は春陽会の画を能くする人。美しい画夛く見せらる、江戸前の上品なる人なり。
それより▲池田氏を伴ひ製本屋にて詩集十部受取り、一部を▲宮崎氏にと託す。▲川久保君の留守宅を訪ひ、本日の例会欠席を断る旨の手紙と詩集一部とを託す。
六時より四季の会。三好氏、宇野千代とあり、紹介せらる、美人なり。詩集を▲神西、▲津村、▲神保、▲丸山、▲阪本、▲日下部(※日下部雄一)、▲三好の七氏に渡す(計十冊)。室生、萩原両先生も来会。

九月二十四日(土)
川久保(※川久保悌郎)を訪ね、帰宅、晝寝す。途上萩原先生夫妻来り、先生近よればそつぽ向く。

九月二十五日(日)
夜、肥下と製本屋へゆき十八冊受取りて帰る。

九月二十六日(月)
朝、詩集発送。▲中島(※中島栄次郎)、▲野田(※野田又夫)、▲本庄(※本庄実)、▲興地(※興地実英)、▲五十嵐(※五十嵐達六郎)、▲立野(※立野保男)、▲服部(※服部正己)、▲杉浦(※杉浦正一郎)、▲伊東(※伊東静雄)、▲松下(※松下武雄)。
肥下を訪ね、満州承徳の眞田雅男氏に詩集発送、この送料四十五銭なり。他に東京堂の注文一冊。
保田を訪ね▲詩集十冊を託す。「戴冠詩人の御一人者」を貰ひて帰る。
本日「新日本」の編輯会議の由。紙上出版記念会には保田より萩原、中河の二氏に頼みくるヽ由。僕よりは三好、津村、立原、神保、阪本、草野心 、百田宗治あたりに頼むが良からんと也。
▲中河、▲萩原、▲百田、▲室生、▲船越(※船越章)、▲相野(※相野忠雄)、▲坪井明、七冊。
▲赤川氏に手渡し一冊。合計二十八冊。 ▲小高根二郎▲安西冬衛

九月二十七日(火)
▲石浜先生、▲藤沢桓夫氏、▲小高根次郎君、三冊。計參拾壹冊。
第一書房訪ねしも春山氏留守。▲長谷川(※長谷川巳之吉)、▲春山(※春山行夫)。

九月二十八日(水)
午後印刷屋にゆき検印押す。

九月二十九日(木)
肥下宅にて寄贈の表書す。四九冊なり。

十月一日(土)
▲松本善海に詩集を贈り、肥下の妹▲節子嬢に詩集贈る。

十月二日(日)
▲長野(※長野敏一)を訪ね、詩集を贈る。肥下を訪ね、詩集の礼状を受取る。
中に嬉しきは日夏耿之介氏。「寒鳥」「多島海」「植木屋」の三詩をほめ来らる。斎藤茂吉氏よりも礼状あり。

 9月23日の「四季の会」において、萩原朔太郎・室生犀星と同席したのに、彼らにその場で呈さなかったことが気にかかります。翌日街で見かけた萩原先生にそっぽを向かれたのは、夫人同伴の恥ずかしさからか、それとも詩集を渡されなかった理由を知らなかったからでしょうか(笑)。
 そのときは出来たばかりの7冊しかなく、しかも検印のない本を差上げる無礼を避けたといふことであれば、津村信夫本の奥付の説明がつきます。濡れ染みも、万年筆の字が滲んでいるので、傷んだ後でサインがされた訳ではなささうです。
 そして後日寄贈された、齋藤茂吉や日夏耿之介など49冊の寄贈本における「寄贈者への表書」とはどのやうなものであったか。
 当時のことを田中先生に根掘り葉掘り訊ねておかなかった不明を悔やむばかりですが、わが「防衛機制」は、売り払はれることを予想して詩集本冊には献呈署名がされなかった可能性を信じてゐます。
 立原道造は『詩集西康省』について一筆をものしてゐますが(『四季』昭和13年11月号55-57p)、寄贈本に関する実例に、なほ多く触れたいところです。わが願ひを裏打ちする(打ち砕く)画像情報を求めてをります(苦笑)。よろしくお願ひを申し上げます。

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