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『堀内幸枝全詩集』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2019年 9月29日(日)18時35分48秒
  通報 編集済
  『堀内幸枝全詩集』(2009年 沖積舎刊) の年譜を読んでゐました。

 同人にこそなられませんでしたが、杉山平一先生が解説の中で語るやうに「『四季』の詩人」であり(845p)、代表作『村のアルバム』の序文を書いた船越章は、田中克己と遠縁の『コギト』旧同人、また岐阜にも縁の深い深尾須磨子と付き合ひの深い人だったとは初耳でした。

 年譜の中で田中克己と会ったのが1964年中河与一邸でとありますが(875p)、1959年6月6日林富士馬邸においてであるので一応訂正。

6月6日
松本(松本善海)と出て喫茶しゐれば那珂太郎と西垣脩氏と遭ひ、西垣氏を松本に紹介すれば、松山高校での後輩なりし。
林dr.(林富士馬)にゆかんと云はれ、地下鉄にて新大塚下車。beerよばれ堀内幸枝女史来会。「船越章と甲府にて識る」と。
20:00 西垣氏を家に案内し、茶漬食ってもらふ。


 『まほろば』にも参加された由、その縁で『桃』には山川弘至にまつはる手紙を載せたのでしょうか(1991年)。四季派にかぎらず山岸外史(1985年)から岩本修蔵(1989年)まで実に幅広い詩人たちの懐旧譚を書き綴ってをられますが、親炙した田中冬二のことは「次の一冊にまとめたいとこの全集からのぞいておいた」とありました。

 とまれ、別件で県立図書館にいった折にみつけた全詩集でしたが、目に留まったのは、その姿が自分の『詩作ノート』とそっくりだったから。
 本を作る際に、函の寸法を定めるため、表紙から本文から外装をそっくり試験的に作った出来上がり見本、中には何も印刷されてゐない「白い本」のことを「束見本」といひます。出版社が多い神田神保町では、古本屋の店頭に色んな装釘の束見本が並べられ、余剰物として安価に売られてゐましたが、わたしの在京当時、三十年前のことですが、分厚い一冊を『詩作ノート』として重宝してゐたのが、なんと堀内『全詩集』と略おなじ姿であったので、おどろきました。

 『全詩集』は十年前の2009年の刊行ですから、不思議な符合といふべきですが、或ひは私の持ってゐる束見本と同じ装釘の本が世の中に刊行されてゐて、それを参考に詩人が選ばれたのであったかもしれません。今月白寿を迎へられた由。切に健康をお祈り申し上げます。





 詩集『村のアルバム』 (1957年 的場書房版「序文」:1970年 冬至書房再刊版「跋」) 

 「村のアルバム」は実は堀内幸枝さんの第一詩集となるべきものであった。「堀内さんは甲州のある山峡の村に、旧家の一人娘として生れ、父母をはじめ周囲のあらゆる人々の鐘愛の的となりながら、幸福に静かに乙女の日の明け暮れを送ったのである。その頃は、わが国を、そして私たちを今日の不幸におとしいれたあの戦争は、まだ始ってはいなかった。おだやかな山峡の空に、林に、そして川に、堀内さんの夢と情感と理知とは豊かに育って行ったのである。ここに収められた三十数篇の詩は、すべてその頃の作品なのである。 

 「村のアルバム」の描く世界は極端に限られている。しかしそこにみられるのは、乙女にありがちの甘い感傷ではない。はばたく理知と強力な意志とに支えられた、清純な折情である。この抒情の本質は、深くわが国古来の詩歌の伝統に触れ、些かの感傷を含まずして、読むひとをして抒情の世界に誘う力を持っている。この詩集が、堀内さんの女学生時代とその後の僅か一両年の間になったものであることを思えば、早熟の詩才、誠に驚くべきものがある。 

 堀内さんはこの一巻の詩集「村のアルバム」を乙女の日の記念として結婚した。爾来十数年。生活の変化と戦争の傷手とは、ひしひしと堀内さんの身辺に迫った。妻として二児の母として、堀内さんは繁累のなかに堪えて生きた。しかも詩作の筆は、かつて捨てることはなかったのである。乙女の日の伸びやかな抒情はすでに失はれた。苦悩を経て、理知と意志はさらに強められ、反省のにがさが新しく加へられた。しかし苦悩に堪えた抒情は、いま深く悲しい歌声となって、その清らかさを依然として失ってはいないのである。ひとはこの詩集より前に公けにされた筈の、堀内さんの戦後の詩作によって、私の言の溢美でないことを認められるであらう。私は堀内さんの将来に大きな期待を寄せるもののひとりである。 

 私が堀内さんと相知ったのは、既に十数年の昔である。思うに堀内さんがこの詩集の第二部「春の雲」の諸作品を書いていた頃である。私は堀内さんの早熟の才能に驚きつつ、その才能の前途に一抹の不安を感じていた。あまりに早い自己の詩境の把握と、技巧の完成とをおそれたからである。いまとなって私はこれが杞憂であったことを喜びとするのである。 

 戦争は堀内さんと私とを遠く隔ててしまった。繁忙の俗事に追はれ、病床に親しみがちの私は、いつか詩壇の消息に昏くなって行った。しかも偶然の奇縁は、ふたたび私に堀内さんの人と作品に接する喜びを与へた。乙女の日のこれらの詩作を一巻にまとめるに当って、堀内さんは私にあとがきの執筆を依頼した。これは他意あってのことではあるまい。漸く老いて魂に詩情を失ひつつある私に、昔日の夢を追起せしめようとする好意によるのであろう。私は深くこれを感謝する。そして出づることあまりに遅かった堀内さんの「村のアルバム」が、真実に詩を愛する人たちによって、暖く理解され、好意を以て迎へられることを心から祈念して止まない。ささやかなりとも一巻の詩集「村のアルバム」は、わが国の詩歌の歴史に美しい宝石を飾るものであることを私は信じて疑はないのである。 

 一九五三年初冬   船越 章

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