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『感泣亭秋報』14号 特集「連帯としてのマチネ・ポエティク」 ほか

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2019年11月17日(日)00時51分51秒
  通報 編集済
   現在、『四季』に拠った詩人たちと、その周辺を主題にとりあげる唯一随一の研究誌とよんでよいと思ひますが、年刊『感泣亭秋報』14号が今年もつつがなく190ページの陣容で発行されました。

 私も今年の夏に行はれた青森講演を前に、裨益を被った坂口昌明さんへ感謝の念をのべた通信文を寄稿。今号は亡くなった比留間一成氏の追悼号でもありますが、坂口さんについてふれられた寄稿者が、杜実夫人の連載の他にも複数あり、齋藤吉彦研究、真珠博物館への協力等、博覧強記ならではの、中央からは知られること少なかった生前の御活躍が紹介され、この雑誌、印刷所もなぜか弘前なんですが、講演会の余韻もあって私には津軽との縁しをうれしく感じる一冊となってゐます。

 さてこのたびの特集は、三つあるのですが、まづは巻頭の「マチネ・ポエティク」、戦後抒情詩の実験的グループとして名高い彼らについて。
 中心メンバーだった福永武彦、加藤周一、中村真一郎が、小山正孝にあてた書簡がみつかり、渡邊啓史氏によって24ページにわたり紹介されてゐます。その後につづく半田侑子氏の一文、戦前の加藤周一が遺した「青春ノート」をめぐる考察とともに、興味深く拝読中です。

 四季派から咲いた徒花とも称される「マチネ・ポエティク」ですが、半田氏が加藤周一自らの説明によって要約した、その発生について、

「背景には一高時代に開かれた「万葉集」講読会があった。加藤、中村、白井、窪田らは「万葉集」を一言一句、正確に読もうとする経験ののちに、マラルメやヴァレリーなどの象徴詩を精読し、定型押韻詩の試みへと向かった」45p

といふところ、とりわけ、別のところで渡邊氏が引いてゐる中村真一郎の回想、

「その会では戦争批判は出ないけれども、戦争宣伝に対する一種の反対ということに雰囲気としてはなっていたと思うんです。どうして古典に向かったか。日本の軍国主義は一種のナショナリズムだから、無理しても日本文学を宣伝していた。そういうナショナリズムに対する反発もあったと思う。その反発には、フランス文学を読んで日本語の本は読まないというんじゃなくて、あなた方の日本文学の読みかたは、違っているんじゃないかということがあったと思いますね。」29p

 といふ、古典との関係は意外にも感じられました。そして加藤周一が、「悪いことというか、愚かなことをしたというので有名です」35p
と自嘲して見せる「定型詩」ですが、みなが論ふ「マチネ・ポエティク」といふ概念が単に「定型詩」を指すにとどまらぬ、戦時中の文学の在り方として、広義な「青年詩人たちの集まり」として論じられて良いのだ、と渡邊氏が指摘してをられます。

 すなはち『マチネ・ポエティク詩集』の序文には、作品はなくとも小山正孝や山崎剛太郎の名前が挙がってゐますが、敗戦をまたぐ戦中戦後の1940年代、世の中から距離を置いた堀辰雄を精神的支柱として仰いだ文学青年たちが、思想の動乱から超然と閉じて寄り集まり、持ち寄った高踏的な文芸創作物を朗読した会について、彼ら「仲間」たちの全体とその活動に対して冠せられるべき、亡き詩人立原道造が予定してゐた雑誌を念頭に置いたともいへる広義の「マチネ・ポエティク(『午前』の詩)」といふ概念があるといふこと。
 謂はば「定型詩」は、その結果、実を結んだ「成果のひとつ」であった、といふことが述べられてゐるのです。

 当時の堀辰雄を慕った若者たちのなかには、フランス象徴詩に理論的な根拠を討ねた若きインテリたちの他に、彼らにはまったく馴染むことのできなかった年少のカトリック詩人、野村英夫のやうな詩人もぽつんと孤立して隅に居りました。
 結核のために学業を排し、世事にも疎く家の遺産を食いつぶして転地療養をしてゐた彼の様子について、加藤周一は当時を回想する著書『羊の歌』(岩波新書1968年)のなかで、軽侮の念を以て吐き捨ててをります。立原道造に対して知的な敬意を抱き、四季派ばりの詩を書きはじめた彼にとって、堀辰雄の腰巾着にしかみえない野村英夫は、自分とは対極の環境的・精神的な位置に立ってゐる、求めざるライバルであったといへるかもしれません。

 そしてわれらが小山正孝ですが、戦争を忌避するリベラルな気質を同じくしながらも、しかもフランス象徴詩ではなく漢詩を素養にもつことによって、おそらくその他の俊英たちからは一目置かれる存在となり、また却ってそれがために作為的な押韻を諦めたかもしれない、さう私は思ってをります。
 立原道造に兄事した彼は、『四季』の詩情を体現する不幸な野村英夫の理解者・盟友となり、のみならず中国文学の造詣を以て晩年の堀辰雄に信頼されるようになった、当時は戦争詩を量産中の田中克己とも、『四季』同人の後輩として親しく交はるやうになります。
 押韻定型詩の詩学上では歩調を同じくすることを得ませんでしたが、謂はば戦争にコミットすることを避け得た数少ない詩人として、小山正孝はやはり「マチネ・ポエティク」の「仲間」の一人なのであって、小説家・批評家として文壇に巣立っていった彼らとも中立を保つ格好となった、めずらしい立ち位置にあった詩人であったことを銘記しておきたいと思ひます。

 「マチネ・ポエティク」を定型詩運動と呼ぶのは、戦後刊行された理論書『文学的考察1946』とその成果といふべき『詩集』によってもたらされた衝撃によるものでした。堀辰雄は野村英夫の「砂糖菓子のように甘ったるい」詩の、未熟なりに素質の良さを庇護し、なほかつ物足りなさが年を重ねて消えてゆくことを愉しみにしてゐたと思ふのですが、戦時中に朗読会を開いてゐた時点では、「マチネ・ポエティク」にしても、精神的支柱だった堀辰雄の周りでわきあがった、戦争からは目をつぶった綿菓子のやうな営為だったかも知れません。当時、杉浦明平から酷評されたことを記してゐる加藤周一ですが、後年、多恵子氏を中村真一郎と囲んだ座談会では、野村英夫に対してさすがに言葉を慎んだ物言ひとなってゐます(『堀辰雄全集別巻2』月報1980.11)。

(前略)【堀多恵子】 中村さんも福永さんも、いろいろなこと知っていてよくお出来になるでしょ。野村さんがその場にあてはまらない言葉を使ったりまちがったりすると、二人でくすくす笑うわけ。それで彼は傷めつけられたという感じになることがずいぶんありましたね。

【中村】 だってね、中里恒子さんが堀さんのお宅を訪ねて来ると、野村君は「今、中里さんがずしずしといらっしゃいます」と言うんだ。()「しずしず」をまちがえたんだけど。もっとも彼の詩は、そういう舌足らずのところが一種の魅力になっているんだが。

【加藤】 僕が最初に追分に来た時、もう野村さんはいたんだ。学生達は彼のことを「おかいこさん」と言ってたね。まゆの中に入っていて外に出ない、じっとかがんで入っているから。嘉門さんなんかは可愛がっていたな。井川さんは揶揄的だったけれども。シェストフなんかを読んでいる少年がいるというんで、大学生達は面白がっていましたね。

【堀多恵子】 主人は野村さんは何もわからないからと、かばっている感じで見ていたようです。福永さんとは、「四季」に詩を出すことをめぐってけんかしたみたい。

【中村】 「四季」の編集を野村君と小山正孝にやらせる号と、福永と僕やらせる号と一号ずつ分けて、ヴァラェティをもたせようとしたのね。そしたら野村、小山のやる号で福永の原稿を落とし、野村のが載ったので、けしからんと福永は激怒したんだ。

【堀多恵子】 野村さんが亡くなった時に、福永さんは「けんかして、それきりだった」とおっしゃってました。

【中村】 立原道造が死んで全集を出すというので野村君が実務に従事していた時に、立原の日記の中に自分の悪ロが書いてあるのを見つけて、野村君はショックをうけて編集を下りたですよね。それで、下りた直後に、野村君は僕の所に和解を申込んで来たんだ。それは立原の書いていることを見て、自分に欠点があるのに気づいて中村が怒ったのも無理はないと思ったわけ。だから戦争直後は僕の所にもしょっちゅう来るようになった。福永もそのうちに仲直りしょうと言ってたんですよ。

【堀多恵子】 そう、それがチャンスがなかったのか、そのままになっておしまいになったのね。

【中村】 で、遠藤周作君が野村君の所によく行ってたですね。野村君が死んだ時に彼の本を古本屋に売ったりして後始末までしている。僕が野村君に貸してた本まで古本屋に出ちゃったので、原田義人が目につく限り全部買い戻してくれたことがあったよ。(後略)


『羊の歌』はまた『田中克己日記』のなかでも、
「『羊の歌』よみ了り反駁の文かきたくなる。(1969.7.4)」と書かれてゐるんですが、果たしてどこの部分だったでしょう。

 さて朗読を念頭に置いた定型詩としては、すでに佐藤一英らによる試みが戦争詩にからみとられる形で展開されてゐました。
 やはり『羊の歌』のなかに記されてゐることですが、大学構内に招待されたヒトラーユーゲントを白眼視をもって迎えた彼が、『ナチスドイツ青年詩集』を訳出した佐藤一英に対して一顧だに与へる筈もありません。が、全く別の意図を以て抒情詩の不備を補おうとしたマチネ・ポエティクの押韻定型詩の試みに対して半田氏が、『聯』とおなじやうな意義を感じてをられるのは面白いと思ひました。

「加藤の九八年の「中村真一郎、白井健三郎、そして駒場」、そして九九年の座談会の発言を見みると、加藤はマチネ・ポエティクの試みを、不定全ではあったが、全くの失敗だとは捉えていない。「もし「マティネー・ポエティック」の運動に歴史的な意味があるとすれば」と加藤がいうとき、少なくとも加藤自身は、マチネ・ポエティクには歴史的な意味があると考えていただろう。」45p

 三好達治が不満を漏らしたやうに、ポスト四季派といふべき『マチネ・ポエティク詩集』に盛られた詩情そのものの難解さは、一行一行を独立させようと腐心した、ポストモダニズムである『聯』詩と同様に変わるところがありません。
 批判が、前衛派・守旧派の双方からあつまり、結局詩壇に降参宣言をした彼らは、散文の世界へとそれぞれ活動の場を移してゆきます。そして小山正孝は、マチネの3名の俊秀から散文の才能を惜しまれながらも、野村英夫の側に残り、それがよかったかどうかは措いて詩人として立原道造の影響と格闘する道に分け入ることとなるのです。

 小山正孝と同じくマチネ・ポエティクの一人でいらした山崎剛太郎先生の長寿を寿ぎ、『マチネ・ポエティク詩集』刊行からしばらく経って、東大の後進である亀井俊介氏が渡米前に発表した「マチネ・ポエティクの詩人たち(1958年7月)」の一文を紹介して筆をおきます。

 今回も分量が豊富ですべてを紹介しきれませんが、津村秀夫ご長女高畑弥生氏による「津村信夫の憶い出」は必読です。

 最後に。 比留間一成氏とともに近藤晴彦氏の御冥福をお祈り申し上げます。



『感泣亭秋報』14号 2019.11.13 感位亭アーカイヴズ刊行 1,000円

 小山正孝「愛」4p

特集Ⅰ 連帯としての「マチネ・ポエティク」
その頃の友人たちと僕――戦争前夜の詩的状況(再録) 小山正孝 6p
またマチネみたいなことをやらう――小山正孝宛、福永武彦、中村真一郎、加藤周一のはがき 渡邊啓史 10p
加藤周一「青春ノート」から見るマチネ・ポエティク 半田侑子 34p
何も隠されてはいない――福永武彦の永遠なる未完成小説 三坂 剛 46p
自負と逡巡――1946年の中村真一郎 渡邊啓史 55p

特集Ⅱ 詩集「十二月感泣集」を読み直す
小山正孝の最後の詩集「十二月感泣集」を再読して 小笠原 眞 60p
小山正孝の〈永遠〉――二つの「池」を巡って 青木由弥子 64p
最後の和声が響く――小山正孝詩集「十二月感泣集」について 上手 宰 69p

特集Ⅲ 比留間一成さんを偲ぶ
詩人と教師――比留間一成さんの歩んだ教育の道 高山利三郎 74p
比留間一成先生を偲んで 八木澤泰子 64p
詩人・教育者・陶芸家 比留間一成の「優し」と私 横澤茂夫 81p

「顕彰活動のあるべき姿とは 渡邊俊夫 108p

異国拾遣 回想の古都“ユエ”――悲しくも静かな王城(再録) 山崎剛太郎 123p

感泣亭通信
小山正孝が訳した中国現代詩(その二)――桃蓬子「荒村」 佐藤普美子 129p
津村信夫の憶い出 高畑弥生 131p
一戸謙三展 中嶋康博 134p
かやつり草 富永たか子 135p
詩人たちの面影を求めて 服部 剛 136p
父「畠中哲夫」のこと 畠中晶子 138p
小山正孝さんのこと 前田良和 139p
山崎剛太郎さんを撮る~百一歳の山崎剛太郎さん自作の詩を朗読する~ 松岡みどり 141p
坂口昌明さんと真珠博物館 松月清郎 143p
感泣亭が結んだ糸――近藤晴彦先生を悼む 松木文子 145p
坂口さんの思い出 三上邦康 147p
梅雨明け 若杉美智子 148p

 山崎剛太郎(公園のベンチ)/中原むいは/里中智沙/大坂宏子/森永かず子/中村桃/柯撰以 150-165p

《私の好きな小山正孝》
愛を歌った時人の「切なさ」に心を惹かれる詩 萩原康吉 106p

常子抄 絲りつ 168p
坂口昌明の足跡を迫りて(4)  坂口杜実 170p
信濃追分便り2 布川 鴇 177p
〈十三月感泣集〉他生の欠片 柯撰以 178p
鑑賞旅行覚え書(4) 廻り舞台 武田ミモザ 180p
小山正孝の周辺(8) マチネ・ポエティク世代の文学観(1) 蓜島 亘 182p

感位亭アーカイヴズ便り 小山正見 187p


追伸
 立原道造の会の運営につき苦言が呈された一文については、顕彰活動の当初から関られた人物からたうとう声が挙るまでになったのか、といふ感じで瞠目。拙サイトのトップページの検索窓に「P氏」の名前を入れると、昔の嫌な思ひ出が2件ヒットしてきますが、彼の文学を愛するほどの人ならば触れたくもないやうな話題について、敢えて書くことを決意された義憤のしのばれる一文でした。
 これにより「P氏」の功績が消えてしまふ訳ではありませんが、組織を運営する際に求められる透明性──“「開く」ことの大切さ”を挙げて雑誌主宰者の正見様が、この一文を能く載せられたことと驚き感心してをります。

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