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【テキスト起こし】松本健一著『犢を逐いて青山に入る―会津藩士・広沢安任』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2020年 5月16日(土)23時03分23秒
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現在、香川大学図書館・神原文庫所蔵の広沢安住自筆「囚中八首衍義」が、国文学研究資料館サイトにてデジタル公開されてをり、この本を執筆当時、著者が拠ったと思はれる写本資料では「なかなか難解な文章だが」「意味がやや不明のところもあるが」と、解釈の滞ってゐた註に対して、より明確な訓読を施すことができるやうになってゐるので補足訂正を試みてみました。


「囚中八首衍義」第一の註(115p)の訓読

徳川右府(大納言(慶喜)復た右府を任ず)政柄を辞し、公(容保)亦た辞職す。(右府、人心騒擾して将に変を生ぜんとするを以て朝に白し、坂城(大阪城)に退く、公亦た之に従ふ)。藩に就き将に日(ひ)有らんとす。而して事情の迫切するを以て之を請うべからずの義有り、遂に伏水の役(伏見戦争)と為る。(右府命を受け上京、前列に邀へられ、[意](つひ:竟?)に発砲するに至る)。随ひて事敗れ以て今日に至る。豈に命に非ず哉。然れども人の尚ぶ所のものは義也、成敗する者は勢ひ也。而して勢に靡き義に背き、以て本を戕(そこな)ひ、宗を堙(うづ)むべけん哉。所謂大義親を滅するもの豈に其れ然らん乎。

昔者、我藩祖(二君に仕へた)馮道の事を以て時人を論ず。蓋し深意有りという。夫れ天朝は名義の存する所なり。倘令(たとい)右府、之を知らざらるとも、則ち安んぞ敝履を棄つる如く祖宗数百年の政柄を辞するを視んや。而して外には欺罔を以て誣(そし)り(徳川慶喜天朝を欺く等の語有り)、私には恭順を以て(慶喜公を)陥るる。(苟も恭順を勉むれば則ち社稷を保つべし云々と人をして伝播せしむる者少からず)。巧詐百変、実に人をして応接に遑(いとま)あらざらしむ。此れ乃ち人心の以て厭はざる所、而して成敗の以て分るる所なり。朝に臣僕為る者、夕には則ち相共に之を斃し、甚しきは之れ則ち其の賞を受けんとす。如何なる者、藩祖をして一たび之を視せ使むれば、其れ之を何とか謂はん哉。然らば則ち我が邸の荒蕪の此の状に至る者も、亦た数(運命)有りて然る耶(か)。余、敢へて酸嘆せざるなり。吁(ああ)。
 

「囚中八首衍義」第四の註(126p)の訓読

此の後、徳川氏監察某(勝海舟か)、書を余に致し、吉之助(西郷)との会期を報ず。余直ちに之に赴けば(書は林三郎に因って来る。乃ち共に休之助を訪ふ)、則ち然らず。(監察誤聞して(休之助を)吉之助と為す)。

海江田武治(薩人。時に参謀たり。余、在京時の交友なり)、休之助をして語を余に致さしむるや、辞、懇得(懇篤)を致せり。之に因って、公(天公)に上す所の書、蓋し二十余の疎(上疏書簡)中、達し得たる者は、只だ此れ有る耳(のみ)ならん。更に休之助に託するに吉之助との(会見の)期を以てす。

余、必ず吉之助を期するは只だ此れ有り。此れ有りとは抑も又た説有り、曾つて(吉之助の)其の人と為りを観、立談にて能く断ぜり(蓋し武治は則ち恐らく未だ能はざる也)。余、薀蓄の至誠を発し、天理人情の極まる者を弁ぜんと欲せり。彼、苟くも(我が言に)従はば則ち生民の幸、之に過ぐる無く、従はざれども亦た以て我が義を伸ぶるに足る。是れ其の人を得るに非ざれば、以てロを開く可からず。故に屢(しばしば)之(会見要求)を要せし也。

古へより聖哲の士、尚ほ囹圄に苦しむ者多し。唯だ心を動かさざるを貴しと為す。余、初め総督営に在る時、胸間、常と異なる者有るに似たり。因るに、此に投ぜらる故(ゆゑ)歟と謂ふ。何ぞそれ是の如きや。自ら羞ぢ自ら嗟く。居ること半日、下泄中に長虫あるを視て、意、初めて解けり。(蓋し宿酔の致す所也。)然して之が為に心を動かすは、拙劣の甚だしき也。
 

「囚中八首衍義」第六の註(135p)の訓読

坐隅、常に水を盛る(尿瓶?洗浄?)。(之を用ふ、故に時ならざれば置かず)。而して絶えて火気の入る無し、是を以て人の多くは湿気に中る。疥癬満身蟣虱(しらみ)衣に溢る。(義観、素衣を着し来る。のち虱の為に殆ど黒し。余亦た「開襟虱作群」の句あり。皆な然らざる者なし)毎朝一掃すれば虱の殻と疥癬と白、堆を作す耳(のみ)。且(しばら)く病疫者は常に絶えず、死す者は未だ必ずしも刑に就かざりし。
 

「囚中八首衍義」第七の註(142p)の訓読

大名街に在る時、始めて兄の北越に戦死せるを聞く。(友人の郷より来れる者あり。私(ひそ)かに之を余に報ず)

鳴呼、殉難は義也。余毎(つね)に思ふ。一家に男子三人。(少(わか)き姓(やから)は僅かに十歳。其の数にあらざる也)而して一死以て君恩に酬ゆる者無く、かつ余の如きは一事をも成す能はず孑孑(げつげつ)として(ひとり)此に在り。実に羞かしき一家なり。此の報を得るに及んで、稍(やや)責を塞ぐを覚ゆ。

既にして(しばらくして)又思ふ。余の兄、勇敢にして気有り、かつ数奇にして志を得ず。毎(つね)に奮いて以て当に難衝に当らんと欲したるは、一旦夕の願に非ざる也。故に、その死必ず醜ならざる也。後に之を問ふに果して然り。(時に我が軍有利たりし故に頗る厚く葬らる)

然れども母の情に在りては果して如何。二子すでに失ふ。(城の陥ちる日に及んで独り幼稚なる者の往来を許し使命の致す一の某、土州の営に入り謂て曰く、官軍残忍と。土人其の故を問ふ。某曰く、聞く、広沢安任の如き、官軍は之を市に磔に執す、残忍に非ずやと。土人曰く、敢へて之を磔にするには非ず、唯だ首を刎ねし耳(のみ)と。是に於て人皆な余の死を信ず。流説紛々、自ら母の耳に入りしは知るべき也)

一孫亦た未だ何処に戦死しかを知らず。(初め越後に出で、のち庄内に転じ、今は高田に在り)老を扶け幼を提げて流離身を置く処無く、身は亦た如何為るやを知らず。(流離中、祖母病死。鳴呼、悲哉。)而して日に城中を望めば、黒煙簇々、砲声轟々たるのみ。

今年二月に及び、余出でて病を養ふ。始めて書を裁して母に贈る。母、之に報ゆるに曰く、巷説粉々、去歳三月某日を以て書して(わが)臨終と為す。豈科らんや、今日この書を視んとは。以て想ふべきなり。乃ち知る、余唯に母を夢みしのみにあらず、母また余を夢みしこと、其れ幾回ならん。
今、我が公幸ひに先祀を奉ずるを得たれば、則ち余等また闔家相見るを得て、共に夢中の事を語るは、其れ近きに在らん耶。実に意外の幸せ也。
 

「囚中八首衍義」第八の註(145,146p)の訓読

鳴呼、彼も一時也。此も一時也。一藩滅びて赤土と為り、主従分散し、骨肉また相見る能はず。遂に天下の笑となる。蓋し亦た此を極度と為す。
今雲霧稍(やや)開け再び天日を拝するを得たれば、則ち極度また漸く(次第に)回(めぐ)らん。

是より日に新たなる者(『大学』)得べしと為すは庶幾(ちかから)ん哉。然らば則ち何ぞ以て此の恥を雪(すす)がん。生々世々(何世代にもわたって)雪がざるべからざるもの也。蓋し一世は変遷して測る可らずと雖も。唯だ天理の正に因て人事の極を尽す者、百世と雖も以て知るべき也(『論語』)。

夫れ天の大地球を視るや、安んぞ其の中に就き、而して人位等品と生別するの暇(いとま)あらんや。唯だ推功(献身)して本に報ゆるの義を以て、世襲世禄自ら形を為す。その弊の、人位等品に至っては亦た種を定む人ありと為す。人々自ら喩へざる也。

故に交際、愈よ広く、眼界愈よ大なるに至らば、則ち人位等品の説、自(おのづか)ら廃せざるを得ず。之を廃すれば則ち予に自主権を与えざるを得ず、而して人をして其の家産を自立せしむる也。(人の家産あるは猶ほ国産あるが如く、亦た天理なり)是を初頭下手の第一着眼となし、而して之を導くに科学を以てす。

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