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「顕忠祠碑銘:北関大捷碑」拓本

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2020年 5月25日(月)18時58分37秒
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さきに旧大垣藩の戸田葆堂が遺した明治期の日記を公開しましたが、彼が碑石の由来を添書きしたといふ拓本の掛軸が、ネットオークションに現れました。
同じものは日本国内の博物館ほかに所蔵があり、デジタル公開もされてゐますが、かつて豊臣秀吉が犯した愚行、朝鮮征伐に抗して戦った義勇兵の戦捷記念に建てられたといふ「顕忠祠碑銘:北関大捷碑」の拓本です。

現物は明治時代に日本へ持ち去られた後、保管してゐた靖国神社から韓国政府を経て2006年、北朝鮮の現地に返還され、きな臭いニュースばかりの両国間の話題にも上った曰く付きの戦国時代の遺物。まさしく朝鮮民族にとっての国宝であり、拓本とはいへ落札の行方が興味深いですが、新しい持主のもとで大切にされることを願って已みません。

明治初期に大陸の詩人たちとの交流を大切にした戸田葆堂ですが、地元大垣から出征した日露戦役の兵士が持ち帰った拓本への添書きに、朝鮮半島侵攻の先鋒を務めた加藤清正を「鬼将軍」と称へる記述があるのは仕方ないでしよう。むしろ彼らを撃退した記念碑を、拓本にして「家宝」とするこだわりない心映えに、何かしら安堵するものを感じたことでした。
 
【添書き】
文禄元季豊公征韓之役加藤清正公勇武抜群雷名振於内外當[旹:時]稱云鬼将軍戦酣而生擒該國王子二人即韓軍激昂
憤戦不已鬼将軍一時退此地移它云韓人勒此碑為記念今茲明治[卅:三十]七季日露開戦後備第二師團出征韓国於会寧城發見
此碑師團長三好将軍凱旋日遂持帰以奉献於帝室長存置于振[?:天]府吾大垣高屋町清水仙太郎亦従軍在該地獲石摺一本
帰則装而為記念之家宝  明治[卅]八年乙巳十二月除日  葆堂戸田[炗:光]

文禄元季(元年1593)、豊公(豊臣秀吉)征韓の役、加藤清正公は勇武抜群にして雷名は内外に振ひ、當時稱して鬼将軍と云はる。戦ひ酣(たけなは)にして該國の王子二人を生擒る。即ち韓軍激昂して憤戦已まず、鬼将軍一時此地に退き、他に移る。云(ここ)に韓人、此の碑を勒(刻)して記念と為せり。
今茲、明治三十七季(年)日露開戦。後備の第二師團、韓国に出征し会寧城に於いて此の碑を發見す。師團長三好将軍(※三好成行)、凱旋の日、遂に持ち帰り以て帝室に奉献し、長く振天府(振天府)に存置す。
吾が大垣高屋町の清水仙太郎また従軍して該地に在り、石摺一本を獲て帰れば則ち装して記念の家宝と為す。  明治三十八年乙巳十二月除日(晦日)  葆堂戸田光

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