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旧臘、子孫を名乗る方よりメールを頂いたのをきっかけに、美濃加納藩の儒者、長戸得齋の『得齋詩文鈔』の目次作りを始めたのですが、序跋の崩し字の御教示を賜った中国美術学院からの招聘教授および、その知友の岐阜市在住の中国の方々と、年末年始は御馳走と歓談とに明け暮れ、楽しい少人数の正月を過ごしをります。これまで自分を胃弱と思ったことはなかったのですが、さすがに食べ過ぎ飲みすぎ、休みの後半は養生したいと存じます(笑)。
昨年2020年のおもな収穫は
『江戸風雅』第7~15号 9冊 平成25~29年
『太平詩文』第1号~69号 63冊 平成8~28年
『星巌集』8冊 天保12年初版(『紅蘭小集』欠)
頼山陽「山水画」印刷掛軸(誤字の印が判らず難儀しました)
山川弘至詩集『ふるくに 特製版(檀一雄宛署名)』昭和18年
柴田天馬訳『聊斎志異』全10巻 昭和26~27年
和仁市太郎詩集『石の獨語(孔版)』昭和14年
『詩集日本漢詩』16巻/全20巻中 昭和60~平成2年
村瀬藤城「犬山敬道館」「養老泉」掛軸
後藤松陰「松菌」掛軸、書簡(岡田正造:伊丹酒蔵元)宛
といったところでした。
さて、年末に津軽の一戸晃様から、王父である詩人一戸謙三が、昭和10年に弘前新聞に連載してゐた「津輕えすぷり噺」といふ記事の翻刻の労作(A4 32p)をお送り頂きました。
「私が津軽方言詩集を刊行し始めたのは、地方主義の文学という立場であったが、その行動を津軽エスプリ運動と名づけた。そうして地方主義思想が如何にしてこの津軽地方に展開したかを一般に広めるため、弘前新聞紙上に昭和十年の一月から「津軽エスプリ噺」と題する閑談を連載し始めた。」「津軽方言詩の事」(『月間東奥』昭和15年)
といふ、全91回にもわたる回顧記事ですが、変転する自身の詩歴を整理しつつ、折々の節目ごとに過去を振り返る、いかにも律儀なこの詩人らしい文章であり、戦中戦後のバイアスのかかった思ひ出でなく、記憶も心情もまだ鮮明な、当時の発言であるところが貴重です。
また同じく津軽からは、詩人の藤田晴央様より新刊詩集『空の泉』(思潮社2020,21cm,93p)の御恵投にも与りました。私がいちばん気にいった作を一つ御紹介させて下さい。
ロッキングチェア
まだ二十代だったころの
おまえのアパートにあったロッキングチェア
六畳間に不似合いだった大きな椅子
ぜいたくを嫌ったおまえの
ただひとつの嫁入り道具となった椅子
東京から津軽へと
いくたびもの引越しをへて
今も我が家の居間にある
高い背もたれに
おまえのカーディガンがかかったままの
楢の木でつくられた
かたく丈夫な飴色の椅子
今
そこにすわる人はいない
西日をうけても
黒ずんだ肘掛はほのぐらく
そこにはただ
ゆったりとした沈黙がすわっている
沈黙が
手編みをしたり
本を読んだり
ときおり
庭をながめたりしている
沈黙とはだまっていることではない
沈黙とは
そこにあること
そこにいること
誰もいない椅子を
かすかにゆらすもの
そして津軽といへば、棟方志功の令孫、石井依子様より今年もすてきなカレンダーをお贈りいただきました。
東京のマンション改築に伴ひ、来春より富山県南砺市福光にある棟方志功記念館の館長としてしばらく拠点を移動されるとのことですが、時代も事情も異なるとはいへ、かつて当地に疎開された画伯が聞いたら、さぞかし満面の笑みを以て、当時のあれやこれやを愛孫に語り聞かせて下さったことでしょう。またそれを肌身で感じる三箇年となるやうにも思はれることです。
けだし富山は40年前の私にとっても、大学時代を過ごした思ひ出深い土地。福光は白川郷や五箇山の川筋ですから山国の醇風も期待されます。資料館には暖かくなってから、ぜひ伺ひたく楽しみです。
福光の隣の金沢からは、米村元紀様より『イミタチオ61号』も御寄贈いただいてをりますが、また別の機会に。みなさまには、ここにても御礼を申し上げます。
首都圏はいよいよ危険信号点滅とか。皆様には感染防止に留意の上、お体の御自愛、切にお祈り申し上げます。
今年もよろしくお願ひを申し上げます。
ありがたうございました。
付記:カレンダーの表紙は毎年画伯の「書」が飾ります。今年は「拈華微笑」。
おもむきは大いに異としますが、富山時代のわが弱冠の面立ちと、ことし還暦を迎へます金柑頭とを、画伯おなじみの破顔一笑とならべてみました。先生為諒否。(再咲)
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