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『菱』212号 特集 辻晉堂と詩歌

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2021年11月12日(金)08時49分5秒
  通報 編集済
  2021年11月07日の「日本海新聞」朝刊に紹介文を書きました。

 社会とおなじく、特に地方では、新陳代謝のなくなった同人誌メディアが軒並み高齢化問題に直面しているときく。鳥取の老鋪詩誌『菱』も歴史が長く、これまで幾多の同人を追悼号で送ってきた。しかし一方で、ベテラン詩人でなくては遺せぬ資料価値豊富な詩史的文章に出会えるのはありがたい。現在編集を司る手皮小四郎(てび こしろう)には、幻のモダニズム詩人といわれた荘原照子の評伝の長きにわたる連載があり、単行本化が待たれている。今回212号「特集 辻晉堂と詩歌」にも鳥取出身の彫刻家、辻晉堂(つじ しんどう1910-1981)に関する発見と称してよい報告があり注目した。

 抽象的な“陶彫”で有名な晉堂だが、力強い写実的彫刻が美術界で注目されたのは昭和8年。上京した彼が住んでいた、芸術家のたむろする界隈は当時「池袋モンパルナス」と呼ばれたが、そう名付けた詩人小熊秀雄との「相互不理解の上の奇妙な友情」(?)を、元県博物館学芸員の三谷巍(たかし)がまず紹介。ついで、モダニズムの後を受け、その地から独創的な定型詩の発信をはじめた佐藤一英のもとで、晉堂が詩人としても活動していたことを手皮が紹介している。

 小熊秀雄とは馬が合わなかったようだが、同じく我の強い同郷の僧侶小川昇堂とは好かったらしい。文学好きな二人はともに一英が昭和13年に創刊した『聯』という詩誌に参加して、しばらく「四行頭韻詩」という「聯詩」の腕を競っている。本名汎吉(ひろきち)から晉堂に改名したのは、歌人画家早川幾忠の弟子だった昇堂の許で得度したからでは、と推測する手皮だが、晉堂・昇堂ふたりの妻が浜坂出身の姉妹であることまで突き止めている。そうした発見が、一年前に追悼号で送ったばかりの同人西崎昌の岳父だった北村盛義、彼と晉堂とが親友だったことに発しているというのもまた長命詩誌ゆえの縁しというべきか。

 詩作品では足立悦男「正念場」の、「写実とは見たままではなく思ったままを描くことだ」「絶筆の薔薇に花の形はなかった 老画家に見えてゐたのは薔薇の命そのものであった」という、これも詩人画家だった中川一政の逸話を引いた一篇に心打たれた。(中嶋康博・詩文学サイト管理人)


 写真は辻晉堂による佐藤一英像(遺族蔵)。

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