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『日本近代詩の成立』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2017年 2月 6日(月)10時51分11秒
編集済
  市立図書館の新刊コーナーに、職場の大学院にも出講される亀井俊介先生の『日本近代詩の成立』(南雲堂 2016)をみつけました。アメリカ文学とその受容史に取り組んでこられた比較文学界の泰斗にして、このたびは日本の明治大正詩人を縦横に解釈されてゐます。近代詩に縁の深いフランス詩のみならず、漢詩にまで踏み込まれた内容に興味津津、早速借り出してきました。

600頁にものぼる内容の約半分が、80歳以降に脱稿された書き下ろしであることに先ず驚かされ、当ホームページの興味を惹く章から繙き、残りは半ば勉強のつもりで読んでゆきましたが、七五調の文語詩に疎い上、翻訳の機微に触れる考察等にも歯が立たず、果たして他の部分も理解できたかどうか怪しいところ。ですが目をつむって拙い紹介を試みてみます。

『日本近代詩の成立』といふ、たいへん大きなテーマのもとに各章が配置されてゐますが、浩瀚な分量かつ広範なジャンルにわたる文章は、執筆時期も半世紀にわたる著者のライフワーク集成であります。
序章に述べられてゐるやうに、そもそも岐阜県は東濃の田舎町から詩人を志されたといふ先生、若き日には日夏耿之介の大著『明治大正詩史』を読み、多大な感化を蒙られたと云ひます。そして学識と主観とを前面に打ち出した、あの佶屈聱牙な「入念芸術派」の論旨に対して信頼と敬意とを払ふ一方、切り捨てられた詩人たちについてはやはり納得ゆかない気持を持ち続けてこられたとのこと。ならば自らは「入念芸術派」でなく「シンプル自然派」の感性を以て、その補完を試みてみたいと謙遜の辞を述べ、過去に書かれた論文を集めて時代ごとに配し、足りない部分は書き下ろして、ここにやうやく完結をみた本であるといふことです。

なるほど島田謹二を介して日夏耿之介とは専門を同じくする孫弟子にあたる亀井先生ですが、『明治大正詩史』を「補完」するといふ趣旨に極めて忠実、忠実すぎるといふべきか、かの大冊において詳述されてゐる「浪曼運動」から「象徴詩潮」の条り、近代詩の立役者といふべき薄田泣菫・蒲原有明、北原白秋・三木露風、そしてトップスターの萩原朔太郎さへもすっぽり省略されてゐる目次を、まずはご覧ください。

『日本近代詩の成立』亀井俊介著 2016.11南雲堂刊行  B6版574p ¥ 4,860

序 章 日本近代詩の展開 書き下ろし(平成27年2月脱稿)

第1章 『新体詩抄』の意義 書き下ろし(平成27年12月脱稿)

第2章 草創期の近代詩歌と「自由」 (昭和51年2月『文学』岩波書店)

第3章 『於母影』の活動 書き下ろし(平成25年11月脱稿)

第4章 北村透谷の詩業 (昭和50年4月『現代詩手帖』思潮社)

第5章 近代の漢詩人、中野逍遥を読む (平成25年10月『こころ』平凡社)

第6章 『若菜集』の浪漫主義 (昭和32年2月『比較文学研究』東大比較文学會)

第7章 内村鑑三訳詩集『愛吟』 (昭和57年1月『文学』岩波書店)

第8章 正岡子規の詩歌革新 書き下ろし(平成25年7月脱稿)

第9章 ヨネ・ノグチの英詩 (昭和48年10月『講座比較文学5』東京大学出版会)

第10章 「あやめ会」の詩人たち (昭和40年8月『英語青年』研究社)

第11章 『海潮音』の「清新」の風 書き下ろし(平成26年5月脱稿)

第12章 『珊瑚集』の官能と憂愁 (平成15年3月『知の新世界』南雲堂)

第13章 「異端」詩人岩野泡鳴 (昭和48年7月『講座比較文学2』東京大学出版会)

第14章 昭和の小ホイットマンたち (昭和44年11月『東洋の詩・西洋の詩』朝日出版社)

第15章 『月下の一群』の世界 書き下ろし(平成26年7月脱稿)

第16章 安西冬衛の「春」 (昭和52年11月『文章の解釈』東京大学出版会)

参考文献 初出一覧 あとがき

もちろん近代詩の歴史は、謂はば西欧詩摂取の歴史でもありますから、著者の専門とする「訳詩」の考察には重きが置かれてゐます。『於母影(明治22年)』、『海潮音(明治38年)』、『珊瑚集(大正2年)』、『月下の一群(大正14年)』とエポックメイキングな訳詩集の4冊が、詩壇へ及ぼした影響もふくめ、詳しく論じられてをりますが、しかし何といっても気になるのは、その影響下に名を連ねるべき明治大正詩人の重鎮たちが、批判対象としても俎上に上ってゐないことではないでしょうか。
一方それとは反対に、北村透谷や内村鑑三、野口米次郎、岩野泡鳴といった、明治以降日本に持ち込まれた“自由”の問題と何らかの意味で格闘して、敗れた感じのある人々ばかりが論はれてゐます。
(先生と同郷の島崎藤村が芸術派で唯一、章を立てられてゐますが昭和32年の旧稿。また変ったところでは、漢詩ゆゑ一般には敬遠されてゐる中野逍遥にも一章を割き、畑違ひにも拘らず、日夏耿之介も認めた「新体詩以上の詩的エフェクト」が論じられてゐます。)

そして読みつつ気づいていったのは、『明治大正詩史』から発せられた無視や批判を「まったく逆転させてはじめて正鵠を射る(435p)」やうな、「品位なるものに支配されない」表現力にあふれた詩集を中心に拾ひあげてゐることであり、「日本近代詩史は、一般に主流的考え方を正統としてうけいれてしまっているので、こういう詩集を無視してきたが、これを検討し直し、再評価することは、近代詩史そのものの内容をどんなにか豊かにすることになるのではなかろうか。(263p)」と、全体を通して各所に説かれてゐる点でありました。ことにも、

「詩人の骨法を持ってゐるやうではなく、その散文も無骨で滋味を欠いてゐるやうであったが、その点が却って我々の心に食ひ入る」(230p)
「これは失敗訳であろう。ただその失敗によって、内村鑑三の思考の在り方は鮮明になっている。」(247p)
「結果だけとらえて批判することは、何の役にも立たぬ。」(418p)
「非「詩的」な表現(=あけすけな「自己」の告白427p)のほうになんと胸に迫るものがあることか。」(425p)
「やがて日本近代史の背骨となるべき現実主義的精神と詩法をもっともよくつかみ、もっとも大胆に実行してゐた詩人」(433p)

と、内村鑑三の訳詩集『愛吟(明治30年)』、岩野泡鳴の口語詩集『恋のしやりかうべ(大正4年)』に対しては、惜しみない言辞が贈られてゐます。

つまりは日本の“近代詩の詩史”における“詩”が、これまで「芸術性」に偏って評価されてきた弊害を匡し、あらたに「現実性」を基にした“近代日本の詩史”を論じようとしたところに本書の眼目があります。「抒情詩」の歴史ではなく「思想詩」の歴史といってもいい。

斯様な詩史を私は読んだことがありませんでした。といふのはそれが、左翼リアリズム史観から放たれる、芸術派への軽侮否定を伴った批判とも異なってゐたからです。さう、これはあくまでも『明治大正詩史』の「補完」。当時の詩壇を決して否定するものではなく、その点では確かに、詩史本流が影響を蒙った訳詩を比較文学者の視点から考察を加へることにより、その歴史性を明らかにしようとしてゐるのです。むしろ詩史の傍流として消えていった詩人たちに対しては、軽侮の念で眺めるのではなく、「思想詩」を開花させられなかった弱さと同時に、可能性を抱へたまま取り残された時代の必然性の問題として保留し、彼らの営為に対しては寄り添ふ姿勢が感じられます。

これは著者が詩文学を評価する規範として掲げた“自由”の概念が、プロレタリア文学の叫ぶ政治的“自由”よりも大きな、ホイットマンが掲げたやうな、全人的な“自由”であったことに由来してゐるのだらうと思ひます。
(本書では訳詩者としての有島武郎や富田碎花も萩原朔太郎同様にスルーされてゐますが、ホイットマンの受容史については、別に『近代文学におけるホイットマンの運命』(1970研究社出版)といふ、若き日の著者が心魂を傾けて成った一冊があり、そちらを読んでほしいといふことになりましょう。)

書き起こしこそ、どの通史でも嚆矢に挙げる『新体詩鈔』から論じられてゐるものの、ホイットマンを持ち得たアメリカとは異なる近代日本における“自由”をめぐる問題を、「近代詩」が取り組むべきだったなまなましい歴史的課題として据ゑ、表現が担った意義や切実さによって、論じられる(再評価される)詩人が選ばれていったのではないでしょうか。
この基準は、通常の詩史では問題にもされない、自由民権運動と呼応しつつ消えていった新体詩草創期の歌謡詩人たちの動向や、ホイットマン熱が冷めていった昭和初期の詩壇激変期に、自然に返る生活を固守し続けた「小ホイットマン」たちの動向を紹介する条りにおいて、彼らが無名に終ってゐるだけに一層強く感じられるところとなってゐるやうです。

ですから本書の『日本近代詩の成立』といふタイトルが、内容を示すに果たして適切な命名だったのかどうかは、正直なところ意見が分かれるのではないでしょうか。『日本近代思想詩の可能性』とでもいふ題名だったら、とさへ思へる著者の強い反骨の気構へが私には感じられました。

このホームページに関するところで申し上げると、日夏耿之介が勝手に癇癪を起こして絶交した堀口大学のために、一章が新たに書き下ろされ、これまた専門外のフランス文学にも拘らず、訳詩集『月下の一群』が俎上に上されてをります。
著者は堀口大学について、名前こそ「大学」といふものの、官立大学とは縁もゆかりもなく、長きにわたる海外生活のなかで「自由人」として「筆のすさび」の訳業を愉しみながら取り組んだ『月下の一群』の成立事情のことをとりあげてゐる訳ですが、これとて「ほとんどの文章がエロチシズムとウイチシスムを強調している。私もこれに同感だ」と従来の評価をなぞりつつも、世界大戦と対峙したヨーロッパモダニズムが背負った問題意識を翻訳上に表現することを、彼は決して忘れた訳ではなかったと指摘。堀口大学を「いろんな批評でいわれるよりはるかに広い詩的世界を包み込み、精神的なたかまりをもっている」詩人であったと評してゐます。次世代のモダニズム詩派のウィットや、四季派の主知的抒情の揺籃としての役割にとどまらぬ、その訳業から継承されずに終った精神面を強調する切り口が提示されてゐる訳であります。

最後には安西冬衛の短詩「春」一篇をもってモダニズムが論じられ、現代詩への移り変りへの感想が示されてゐますが、こと現代詩については、少年時に『詩の話』といふ啓蒙書で世界を啓いてくれた北川冬彦についても、恩は恩として「北川冬彦は日本における現代詩の興行師的なところがあり、自分たちの詩的実験をいつも「運動」に仕立てた。(527p)」となかなかに手厳しい。日夏詩観だけでなく、戦後史観に沿ったおざなりの詩史を書くつもりも無いことが、あらためて伝はってきて私は嬉しくなりました。

巻末に添へられた「参考文献」も、書名をただ列記するでなく、各文献の特徴を一言で評しながら、ものによってはその装釘にさへ言及する独特の手引きとなってゐます。ことにもこれまで数多く発表されてきた詩史についての、「私は個人による詩史に積極的な関心をそそられる。532p」と断った上で記された、感想の数々が興味深いです。さうしてこの参考文献に自著を挙げられた章、そして参考文献がないと述べられてゐる章などは、著者の創見が打ち出された一番の読みどころかもしれないと思ったことです。

ふたたび申しますが、タイトルと本冊の厚みによってこの本を、東京大学名誉教授のオーソリティーが教科書的・辞書的なテキストとしてまとめ上げたもの、などと判断するのは早計、かつもったいないことに思はれ、是非手に取って中身を御覧いただきたく、ここに紹介・宣伝をいたします。

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『コギト』79号「松下武雄追悼号」

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2017年 2月 5日(日)16時55分32秒
 

旧制大阪高等学校関係者の御遺族より、『コギト』のバックナンバー47冊の御寄贈に与りました。
ついては頂いた雑誌をまじへて『コギト』総目録の書影を更新しましたのでお知らせします。毎年表紙のデザインは変ってゐますが、昭和19年、雑誌統合に抗してたった8pで出し続けた最後期の「甲申版」には表紙がなく、後継誌『果樹園』の装釘がこれをなぞってゐることがわかります。

また『コギト』の『コギト』らしさ、旧制高校の友情が芬々と感じられる一冊といへる79松下武雄追悼号画像にてupしましたので合せてご覧ください。
恩師・学友が居ならぶ、当時の“共同の営為”を一覧するやうな目次ですが、なかに立原道造が客人として上席に、伊東静雄は年長の同人ですが此度は親友等より後方に遇せられてゐる配置が興味深いです。

毎日のアクセスが10件に満たぬやうなサイトを、いったいどなたが御覧になって下さってゐるのか、いつも心許ない気持で更新をつづけてゐますが、開設者冥利に尽きるこのたびの御厚情に対し、ここにても篤く御礼を申し上げます。

ありがたうございました。

 

謹賀新年

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2017年 1月 3日(火)20時05分27秒
  あけましておめでたうございます。

酉年ださうですが、今年は明治時代の大垣の漢詩雑誌『鷃笑新誌』の編集長であった戸田葆逸(1851 嘉永4年~1908 明治41年)の自筆日記を入手したので、その翻刻と紹介を試みたいと思ってゐます。

「鷃笑(あんしょう)」とは荘子の故事で、鵬(おおとり)の気概など感知しない斥鷃(せきあん)といふ小鳥が嗤笑するとの謂であり、雑誌のタイトルが示すところは、葆逸の祖父、大垣藩家老だった小原鉄心の鴻図を仰ぎ、同時に、また彼が身上としてゐた低徊趣味に倣って、旧詩社の名を継いで新しい雑誌の名に掲げた、といふことでしょうか。
毎号、同人の作品の他、小野湖山や岡本黄石など幕末を生き残った著名詩人からの寄稿も受け、十丁ほどの小冊ながら、一地方都市からよくも斯様な雑誌が毎月欠かさず発行されたものと感嘆します。こちらの雑誌も稀覯ながら1~11巻までの合冊を幸運にも入手してゐました。或ひはそのことがあったので、編集長の日記を天が差配して私に入手させたのかもしれません。

さてこの日記が書き継がれた明治14年3月24日から15年12月18日までといふ期間が、恰度この『鷃笑新誌』の創刊(14年9月)を挟んでゐて、読んでゆくと単なる覚書ではなく、地方の漢詩サロンの中心にゐた彼をめぐって、同好の士との交歓の様子がつぶさに、ありのままに記録されてゐることがわかるのです。
なかでも興味深かったのは、明治の初期に「雑誌」を印刷するために使用した活版機械や活字について記されてゐること。そして当時の漢詩壇において賓客として遇せられてゐた中国人、つまり鎖国が解かれた日本に清国からはるばるやってきた「本場の漢詩人」との交流が詳しく写し取られてゐることでした。

日記にさきがけて、雑誌『鷃笑新誌』の方はすでに公開してゐます。このたび目次を付しました。また日記も翻刻発表と同時に原冊の画像を公開しますので(3月予定)、研究者には自由に活用していただきたく、御教示をまって補遺・訂正に備へたいと考へてをります。しばらくおまちください。

今年もよろしくお願ひを申し上げます。
 

詩集『野のひかり』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年12月27日(火)20時47分16秒
編集済
  年末にうれしい贈り物ふたつ。
ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございます。

ひとつはネット上で初めて読んだ未知の詩人の詩に感じ入り突然の御挨拶、返礼にいただいた小網恵子様の詩集『野のひかり』です。
造本感覚がゆきとどいた装釘は、刊行元である水仁舎の、著者の作品に寄せられた厚意の感じられる淒楚なもので、活字の効果的使用には羨望を覚えました。私の好きな版型だけでなく扉の配色にも特段の親近を覚えたことでした。
さうして詩集を繙き、ネットでは紹介されてゐなかった詩の数々にふれ、思ったとほりの自然に対するまなざしに、後半の散文詩には寓意風の詩想の妙に、共感と親しみを新たにしました。
一見素朴にみえる自然な描写にこめられた雕琢が、よくわかります。

「野」

あの人が喋ると
ねこじゃらしが揺れる
相槌をうちながら
風の方向を感じていた

食卓に座れば
いつもわたしに向かって風は流れる
風下に風下に
種は飛ばされて
わたしの後ろに
ねこじゃらしの野が広がる

あの人が一つ大きく息をついた
話したことをもう一度反鈍するように
黙して
落とした肩の向こうで何か揺れた



『Crossroad of word』ホームページでいち早くこの詩集の紹介をされた管理人様の炯眼にもあらためて感心しました。
現代詩はみな、理に落ちぬ遠心的な措辞で煙に巻くことを性分にしてゐるものですが、「野」「五月」「ぐるり」など、言葉が作者の心情に回収され、抒情の表情として目を伏せたやうな心の持ちやうが、何とも言へない魅力になってゐます。 みなさんも手にとることのできる機会がありましたら是非。

年末に「この世界の片隅に」といふ素晴らしい映画に出会ひ、心が温まったところ、日ごろの憂さがしばし解きほぐされたやうな心地いたしました。

そしてもひとつ嬉しいいただき物は、石井頼子様からの新学社のカレンダー。
来年も「無事」に過ごせますことを切に祈りをります。
今年は色褪せですが、拙宅の廊下にも保田與重郎「羽丹生の柵」の複製を飾ることができました。

ついでに今年の収穫(いただきもの含む)を掲げて締め括りとします。
額は定めてはゐないですが本年の「図書費」は結果的にその半分を地元漢詩人の詩稿(オークション)に費やして終了。

白鳥郁郎詩集『しりうす』(田中克己校正)
まつもとかずや評論集『するり』(下町風俗資料館元館長)
宮田嘯臺 書幅
『山川京子歌集』 桃の会版
加藤千晴詩集『宣告』(然るべき先へ寄贈したら、奇蹟的に再び入手できました)
冨岡一成『江戸前魚食大全』 (下町風俗資料館元同僚)
戸田葆堂自筆日記『芸囱日彔』うんそうにちろく (来春4月お披露目予定)
河合東皐、木村寛齋 詩草稿
『果樹園』欠号さまざま
江泉正作詩集『花枳穀』限定15部
『自撰 一戸謙三詩集』
北園克衛小説集 『白昼のスカイスクレエパア』加藤仁編
詩誌『咱芙藍:サフラン』(福井県武生)大正15年


さて誰からの催促も反応もないライフワーク「田中克己戦後日記」ですが、
これまでは内容をそのまま載せることを原則としてをりましたが、東京時代に入り、親戚等のプライバシー情報は不要に感じられてきたので、
すでに翻刻と解説が終了してゐる昭和33年は、昭和34年を翻刻して様子をみながら、編集を施しゆるゆるupして参ります。よろしくお願ひを申上げます。


よいお年をおむかへください。

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探珠『玲』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年11月26日(土)12時20分0秒
編集済
  津軽の抒情詩人一戸謙三を顕彰する探珠『玲』といふ無綴のコピー雑誌があります。詩人の令孫、一戸晃様よりお送り頂いてゐるのですが、昨年に続き今年も、

別冊『戦時下の一詩人』
『調査報告 菊池仁康』、 『調査報告 木村助男』
『詩人一戸謙三の便り』その3、その4、その5
『詩人一戸謙三 青春歌』その1、その2


と発行が続き、詩人とその周辺、戦時期や出発期の消息についてが、数多くの資料とともに明らかにされました。
そしてこのたびは製本を施した刊行本『詩人一戸謙三の軌跡』が、物語仕立ての伝記として始まり、第1巻のご恵投に与りました。ここにても御礼を申し上げます。

ボン書店の社運を賭して刊行した『プーシュキン全集』。その訳者の菊池仁康とはどのやうな人物であったか。また、高木恭造と一戸玲太郎(謙三)の名声の陰に隠れているものの、津軽方言詩をあやつる木村助男といふ不遇のうちに夭折した詩人のあったこと。
東海地方に住んでゐる私には、一戸謙三以外のことについてもいつも知らないことばかりを、新出もしくは稀覯の資料とともに紹介してくださる晃氏ですが、いかんせん無綴のコピー紙のあつまりなので散逸が心配です。「資料のデジタル保存」作業も始められたとのことですが、別に在庫ありとのことでお送りいただいた『玲』百号記念号には、これまでの歩みが記されてをりました。
そのなかに『みちのくの詩学』を著した坂口昌明氏の、晃氏への遺言となってしまった「跋文」が認められてをり、ここに引き写します。

五年前に第一号を頂いてから、 ここで百号に達したという。一戸謙三の詩を研究する者にとって、今後よけては通れない最大の資料集成であることは、すでに間違いない。謙三先生直系の孫である一戸晃氏は、一九九七年秋、弘前市藤田記念庭園前の謙三詩碑除幕式で、膨大な草稿・資料が存在するむねを明らかにしていた。結局、自身が直接整理分類し、このような形で編纂するに至った裏には、既往の伝記や研究のたぐいにあき足りない思いが介在していたからではないかと推測される。

一戸謙三とその時代の文学背景は非常な厚みと混沌を内蔵しているのに対し、再検討する後進の素養と心構えが段ちがいに未熟だったのが主な原因である。そこで晃氏はまず自分の眼で、祖父の文学領域に起きたことを正確に知り、それを捉えなおして提示しようと志したのである。

謙三書斎の保管者としてだけでなく、氏の調査は周辺関係者への聞きとり、図書館文献資料の博捜にまで及んだ。その情熱と努力は半端ではない。詩人謙三の出発から生長、変貌までが、そのおかげでつぶさに辿れるようになったのは、もちろん最大の貢献であろう。ふり返って、謙三の詩が一九三二年末に、超現実主義から方言詩へと変っていった、その転換点を如実に示しているのを、私は知り得た。言葉が観念の重圧に硬化し、鬱からの脱山を足もとの現実=土に求めたと読みとれる。謙三には常に進境を求める存外性急な一面があったようで、それが前の作品を抹殺してしまう傾向につながった。したがって、その意味でも探珠「玲」のような、息の長い、地道な跡づけが必要になってくる。
「探珠」という語は、一九一四年にときの陸軍軍医総監森鴎外が、東北・北海道の軍医療施設を視察の途次、史伝「渋江抽斎」取材のため弘前の斎吉旅館に投宿した際、館主の求めに応じて揮毫した書「探珠九淵」から取られている。その軸を旅館の御曹子で謙三の盟友だった斎藤吉彦が東京遊学中も所持していたという由来にもとづく。吉彦は謙三より五歳若かったが、誕生日が同じ二月十日、慶応義塾の同門ということもあり、意気投合する仲になった。そこに「玲」を添えた、晃氏のネーミングの趣向があろう。

記憶に残り、恩恵を受けた記事のなかで印象に鮮明なのは、竹内長雄(たけのうちのぶお)と桜庭スエの「お岩木様一代記」に果した役割であり、また飯詰の方言詩人木村助男の生涯に当てられたスポットライトである。

百号の跋文をと言われたが、それは本来書物のために書かれるものであって、この場合のようなペーパー類に合うかどうかは分らない。視点にまとまりを欠き、叙述が枝葉に入りすぎるケースが散見される。文献の扱いや措辞に、基本的な条件を欠くうらみも、少なからず感じられる。NHKドラマや教養番組の影響なのかもしれないが、人間模様をドラマ仕立てで語らせてつないでゆく手法も、せっかくの実証性を割り引くことにしかなるまい。何を本当に描きたいのか、気が散りすぎていると思う。研究と小説とは違うのである。

情に篤い氏の性格は財産であるものの、それを生かすのも殺すのも、手きびしい文学の眼である。そういう意味では探珠「玲」は、まだレポートの域をこえていない。謙三は祖父としては満足だろうが、詩人としては苦笑するかも知れない。


これまでの晃氏の営為を過不足なくねぎらって、なほ「きびしい文学の目」をもって鞭撻の視線が注がれてゐました。

このたび刊行された『詩人一戸謙三の軌跡』を拝見するに、蓄積・整理した資料をそのまま提示することには、やはり慊い模様の晃氏ですが、なればそれらを駆使し、情に篤い氏の持ち前の語り口を活かした、坂口氏が希望したその上を往くやうな、御祖父の伝記をぜひとも書きあげて頂きたいものと念じてをります。

『詩人一戸謙三の軌跡 1』
平成28年11月3日 著者・編者・発行者 一戸晃 21cm 108p 非売品

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『感泣亭秋報 11』

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年11月24日(木)08時44分16秒
  詩人小山正孝の子息正見様より、今年も『感泣亭秋報 11』の御寄贈に与りました。ここにても厚く御礼を申し上げます。

特集は“『四季』の若き詩人たち”。すなはち戦前の第2次『四季』の常連投稿者のなかで個人詩集を持つことがなかった当時の青年詩人たち、そしてその後の第4次『四季』――戦後詩史上、抒情詩の牙城を守る“真田丸”的存在となった、丸山薫の『四季』――に鳩合することをも得なかった詩人たちの中から、今回は村中測太郎(むらなかそくたろう)、木村宙平(きむらちゅうへい)、能美九末夫(のうみくすお)、日塔聰(にっとうさとし)の4名が選ばれ、それぞれ作品の紹介と解説とがなされ、不遇が弔はれてゐます。

限られたスペースで、紹介作品は『四季』掲載以外のものがあれば積極的に掲げ、プロフィールも複数の書誌を校合して加筆されてゐますが、執筆担当の“信天翁”氏は蓜島亘氏と思しく、自身が抱へる連載とは別に今回は特集全体のオーガナイズを任された趣きです。今後も主宰者正見氏の信を得て坂口昌明氏の亡きあとの『感泣亭秋報』を守り、坂口氏と同様、在野研究者ながら書誌的正確さと資料の博捜を以て、大学で禄を食む研究者からは、畏るべき目を持つ“候鳥”の存在が一目置かれてゆくことでしょう。
連載中の「小山正孝の周辺 その5」において傾けられる蘊蓄にも、氏らしい謹飭さが窺はれますが、戦後復刊した第3次『四季』とは詩的精神を同じくし、主に散文を扱った雑誌だった『高原』について、そこによった山室静や片山敏彦といった正に四季派周辺のことが触れられてゐます。そして彼等が傾倒したシュティフターをはじめとするドイツ語圏の詩的精神が、昭和初期の読書人におよぼしたブームの受容史について。特集にも呼応させるべく何人ものマイナーポエットの名が挙げられてをります。

また現在の四季派研究の先頭に立つ國中治氏からの寄稿を今号でも読めることが、戦前抒情詩の愛好者には嬉しい限りです。
「四季派詩人」の中で「詩集を持たぬ小惑星中の最大」ともいふべき能美九末夫の作品を『四季』誌上にたどり、一篇一篇考察を試みてゐるのですが、自身が詩人である鋭い直感から、このマイナーポエットが伊東静雄や中原中也に対して反対に影響を与へたかもしれない可能性を示唆してみせる条りなど、刺戟に富んだ内容となってゐます。

そして特集以外でも、小山正孝詩との正対を続けてゐる近藤晴彦・渡邊啓史両氏の連載論文が今回も充実してゐます。現代詩音痴の私が敬遠してゐる「戦後詩集における変転」に対し、継続して取り組んでをられるのですが、入る者を韜晦で迷はす、決して“小山”と侮れない山水のなかで試みられたアプローチの論点が、道筋をつけるべく多岐点々と道標のやうに提示されてゐます。

近藤晴彦氏は『未刊ソネット』の成立事情について、主体的抒情に耽ってゐた詩人が抒情を客観視し凝視できる視点をもつまでの過渡期的作品として、
「『雪つぶて』の谺を含みながら、大部分が『逃げ水』の定稿を定めるほぼ9年間に製作されたものではないか」
との推定を下してをられますが、膨大なこれら愛の詩篇たちの向ふには、無垢な四季派詩人で居ることがもはや出来なくなった小山正孝の「立原道造との暗闘」が、対象を愛人に、ソネットといふ形式をとりつつ息苦しく横たはってゐるやうな気分が、私にも感じられます。

一方、質量ともに瞠目すべきは、第六詩集『風毛と雨血』を紹介する渡邊啓史氏の論文「精神の振幅」でしょう。50代を迎へた初老の詩人が描く、理想郷とは呼べぬ心象世界が、実存の深みを指し示すと同時に、それとの距離のとりかたを摸索してゐるやうだと、翻訳を通じて関ってきた中国の古典との関係を挙げながら語られてゐるのですが、現実でも去りゆく「若さ」に対する嫉妬や屈辱があったのではとの指摘には、『唐代詩集』を共訳した田中克己の同時期の境遇を思ひやり、或ひは詩を書けなくなった同世代の自分自身の葛藤をも投影してみたことでした。
加へて渡邊氏には、今回の特集でも日塔聰の宗教観に触れてをられ、彼や、亡き配偶者の貞子や、同じく山形へ帰郷した加藤千晴にも宿ってゐるところの、早春の氷柱に雫するが如き“『四季』の若き詩人たち”に共通する内省する抒情に対して、共感をあらたにしました。

渡邊氏は蓜島氏とともに、この『感泣亭秋報』において懐刀と呼ぶべき、なくてはならぬ存在となってゐます。研究業績の点数かせぎとは無縁の雑誌であればこその御活躍を、今後も期待せずにはゐられません。

それから今号には、詩人小山正孝の最大の理解者でありながら、当の本人についてどんな方だったのか分からぬまま、その学際的博識を畏怖申し上げてゐた坂口昌明氏について、杜実夫人の回想が掲げられてゐます。
亡き詩人の人となりを、たとへば小山常子氏からのレクイエムと比するなら、やはりこの教養詩人にしてこの夫人ありとの印象を表現に感じました。鈴木亨氏など周辺にあった詩人の名も現れる、何回にも分けて聞きたいやうな濃い内容の文章には、
「坂口の詩は読むのに少々努力がいる。(中略)日常の経験を書いても彼の意識はいろいろな要素が相互に浸透しあい多様な変化で詩に象徴される」
とありましたが、これって全く盟友である小山正孝と同じではないかとも思ったことでした。

一方で教育者としての小山正孝のおもかげについて、
「先生のユニークなところは講義に出席さえすれば及第点をいただけるというところで、非常に人気がございました。開始から終了まで真剣勝負、学生は先生の豊富な文学に圧倒されたと聞いております」
とは、関東短期大学在職中の様子を伝へる高橋豊氏の一文。同じく女子大に勤め、畏れられ慕はれた田中克己の日記を現在翻刻中の私には興味深く、頬笑ましい消息にも思はれたことです。

この個人誌がすでに『四季派学会論集』をしのぐ学術研究誌の域にまで達してゐることについては、一詩人の顕彰にとどまらぬ、彼の生きた時代の「特異な人たちの群像(173p)」へと対象をひろげてゆかうとする主宰者正見氏の姿勢において、後記に語られてゐるとほりなのですが、ここ数年の内容を一覧するにあらためて瞠目を禁じ得ません。
全ての文章にコメントをする余裕がありませんが、つまらぬ紹介は措いて、前号を上回るページ数を毎度更新してゐる、この恐ろしい雑誌の目次を以下に掲げます。実際に手にとって頂く機会があれば幸ひです。


年刊雑誌『感泣亭秋報 11』 2016年11月13日 感泣亭アーカイヴズ発行 174p  定価\1,000  問合せ先HP:http://kankyutei.la.coocan.jp/

詩稿・・・・・・小山正孝 3p

【特集『四季』の若き詩人たち】

序にかえて・・・・・・信天翁 5p
「四季派」とは・・・・・・小山正孝 10p
〈村中測太郎詩抄〉12p
詩人・村中測太郎・・・・・・信天翁 15p
〈木村宙平詩抄〉18p
もう一人の九州詩人・木村宙平・・・・・・信天翁 22p
〈能美九末夫詩抄〉24p
能美九末夫と『四季』 たゆみない挑戦・・・・・・國中治 28p
能美九末夫の源流・・・・・・信天翁 41p
〈日塔聰詩抄〉44p
日塔聰 詩および詩人・・・・・・渡邊啓史 47p
詩人日塔聰にまつわることなど・・・・・・布川鴇 50p

盛岡の立原道造・・・・・・岡村民夫 58p
『四季』立原道造と小山正孝と村次郎・・・・・・深澤茂樹 73p

精神の振幅 詩集『風毛と雨血』のために・・・・・・渡邊啓史 77p
小山正孝の詩世界10『未刊ソネット史』・・・・・・近藤晴彦 117p

【詩】
 長い坂・・・・・・山崎剛太郎 126p
 「出てきて おくれ」亡き妻に・・・・・・比留間一成 128p
 手紙・・・・・・大坂宏子 130p
 風・・・・・・里中智沙 132p
 便り・・・・・・森永かず子 134p

【わたしの好きな小山正孝】
漂泊する詩人の魂・・・・・・岩淵真智子 137p
詩になった内部空間・・・・・・松木文子 139p

「浅は与に深を測るに足らず」・・・・・・坂口杜実 141p
常子抄・・・・・・絲りつ 153p
小山正孝先生の思い出とその当時の関東短期大学について・・・・・・高橋豊 155p
鑑賞旅行覚え書1 キネマの招き・・・・・・武田ミモザ 158p

小山正孝の周辺5 『高原』をめぐる詩人たち・・・・・・蓜島亘 160p

感泣亭アーカイヴズ便り・・・・・・小山正見 172p
 

『田中克己日記』 昭和32年

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年10月13日(木)00時25分16秒
  昭和32年『田中克己日記』解説共にupしました。
関西から詩筆を折る決意で上京、十年ぶりの東京で待ってゐたものは・・・。
http://cogito.jp.net/tanaka/yakouun/tanakadiary1957.html
 

『田中克己日記』 昭和31年

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 9月15日(木)22時11分37秒
  『田中克己日記』昭和31年upしました。

同人誌『果樹園』創刊と、戦後関西在住時代の詩集『悲歌』の刊行。
そして一区切りついた詩人の上京計画が始動します。

http://cogito.jp.net/tanaka/yakouun/tanakadiary1956.html
 

「 モダニズムと民謡について」

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 7月27日(水)13時14分14秒
  さきに季刊『びーぐる』第31号 <特集>土地の詩学 に書かせていただいた拙文ですが、バックナンバーとなりましたので掲げさせていただきます。


 モダニズムと民謡について          中嶋康博

 詩のなかに土地があらはれると、その土地が作者の詩人たる存在にどんな意味をもってゐるのか関心をもちます。それが詩人の生まれ故郷だった場合、慕はしき場所なのか呪はしき場所なのか。中原中也や萩原朔太郎を持ちだすまでもなく、ふる里はしばしば文学者の性格を決定づけます。そして宮澤賢治はその典型ですが、作者のロマンチシズムによってしばしば変容されるものです。
出身地でなく他郷の場合であっても事情は同じで、理想郷に描かれたり、逆に疎外感にさいなまれて居れば、やはり大きな刻印を詩人に残すのです。信州は都会人である立原道造ら「四季派」の詩人たちによって、彼らの詩的故郷に仰がれましたし、多くの上京詩人たちにとって、都会生活のなかで味はった孤独と不遇とが、故郷への思慕となって彼らのもとに返ってくることを幾多の望郷詩が傍証してゐます。近代文化史的な疎外感、思ひ描かれた故郷が日本の原風景であるやうな、文明開化に対する象徴的な反省として「日本浪曼派」も現れたのだといってよいかもしれません。

 ながらく近代の口語詩を渉猟してきた私ですが、おもしろいと思ったことがあります。それは如上の、詩人らしい故郷との関係のことではなく、都会生活に軋轢を感じるどころか、文明志向がさらに彼らを駆ってゐるやうなモダニズムの詩人たち、ことに東京近傍の中途半端な文化圏から上京したためか、それが一層顕著に感じられる名古屋・中京地区出身の詩人たちのことでした。同じく東海地方に生を享けた自分だから感じるのかもしれません。
 近代物質主義の申し子である彼らにとって、土地はアイテム同様にハイカラなスタイルを纏ふべきものとして詩の中に登場します。先頃刊行された『白昼のスカイスクレエパア 北園克衛モダン小説集』でも感じたことですが、昭和初期に詩壇を席巻したレスプリヌーボー、春山行夫が御膳立てをしたモダニズム詩の運動には、ディレッタンティズムと非政治性――つまり「ハイブロウな平俗性」ともいふべき心性を強く感じます。文学手法の革新が海外文芸の翻訳紹介に偏してゐることに飽き足らず、政治体制批判に目覚める人たちもありましたが、中京地区からの参加はなかったやうであります。おもしろいと云ったのは、その一方で、真反対な「ローブロウな平俗性」を象徴する「民謡詩」といふジャンルが、同じ中京地区の衛星都市である岐阜を拠点に詩壇として成立し、昭和初年の同時期に地方勢力を保ってゐた事実と、私の中でワンセットで思ひ起こされることです。

 土地を題材とする作品が現代詩としての価値を持つためには、詩人の自我がその地の風俗や自然を通して顕れてくることが大切だと思ってゐます。しかし音頭・長唄・小唄といった民謡詩には、公的に要請される校歌や翼賛詩と同様、制作意図に作者の切実な自己(生の意識)は必要とされません。自意識を卑俗的日常まで頽落させた大衆迎合の表現が、御当地詩人たちにとって如何なる制作モチベーションと結びついてゐたものか不思議に思ふのですが、岐阜県の民謡詩運動の場合、アンデパンダン結社であった『詩の家』の詩人岩間純が帰郷し、彼が興した詩誌『詩魔』を足がかりにして昭和初年代に大いに盛り上がったもののやうです。当時、詩と流行歌との二足の草鞋を履くやうになった『詩の家』主宰者である佐藤惣之助が、中央から物見遊山かたがた岐阜市に訪れて歓待される様子は、まるで江戸時代の漢詩人の宗匠をとりまく田舎サロンをみる思ひがします。それから一世紀近く隔てた現代から遠望すれば、歌はれた和風情緒はすでに私たちの生活から遠く、都市化された風景の変容も、資源を食ひ尽くしてなほ観光地の名をとどめる空しさの上に痛感されるところです。

 前述したモダニズムによって描かれた都市化された風景についていへば、そのさきの未来が、今日につながらぬ当時の最先端風景として創造的に懐古されるところに意義があり、今なほ新しい読者を勝ち得、北園克衛の新刊にも注目が集ってゐるのだといってよいでしょう。しかし民謡詩については残念ながら、それが寄りかかってゐる文化的な共通理解の前提をとり除けば何も残らなくなるやうなポエジーのあり方は、戦争翼賛詩と同列に考へられる事象なのかもしれません。ついでながらモダニズムから体制批判を志した詩誌『リアン』の同人たちもまた『詩の家』ファミリーでした。こちらは戦時中の弾圧によって解体、詩派としては継承されず今に至ってゐることを併せて書き添へておきたいと思ひます。

 翻ってグローバリズムが極まり、文化的な共通理解の前提が民主主義の価値観に一元化されるやうになった現代の日本で、詩人は土地をどう歌ひ、何を意味づけすることができるのでしょうか。「地球」を概念としてとらへる野放図さ、土地として向き合ふやうになったときのパースペクティブに私は耐へられず、戦前抒情詩が成立した“箱庭”を仮想し、そこで現代との折り合ひをつけながら詩を書いてゐたやうに思ひます。そして上京生活を切り上げて帰郷した後も、地域の伝統的な風土風俗を詩に詠みこむことに不毛を感じ、むしろ不毛そのものが歌はれる「イロニー」や「パロディ」としての土地の詩学に親しんできたやうに思ひます。過去の作品でいふなら小野十三郎によって描かれた一連の「大阪」や、中原中也の「桑名の駅」といふ詩。土地はこの先あのやうに歌はれ、それがまた新たな歌枕として平俗性をまとって日本文化に定着してゆくのかもしれません。すでに桑名駅には立派な詩碑が建ってゐるとか。斯様な詩碑が建てられる観光まちおこしの思想と経済力に、私はかつての民謡詩人たちが情熱を傾けた姿を重ね合はせ、ふたたび数十年後の行末を思っては(それをむなしいといってよいものか)現在に生きてゐる一種の感慨にとらはれます。


季刊『びーぐる』第31号 2016.4.20 発行:澪標(税込定価1,000円) 現在、最新号32号を発行。
 

『田中克己日記』 昭和30年

 投稿者:中嶋康博  投稿日:2016年 7月12日(火)23時18分24秒
  『田中克己日記』昭和30年upしました。

歌集『戦後吟』が刊行され、いよいよ小高根二郎氏とあたらしい雑誌を創刊する計画が。

http://cogito.jp.net/tanaka/yakouun/tanakadiary1955.html
 

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