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不機嫌な抒情詩 小野十三郎

 投稿者:やす  投稿日:2014年 7月11日(金)20時34分1秒
   田舎のごった煮のイメージがある詩誌「歴程」、なかでもグループのしたたかな体臭を感じさせることで筆頭に挙げられる詩人に小野十三郎がある。反権力反権威の姿勢を貫いた経歴によって戦後詩壇に返り咲いた。草野心平を東日本の雄とするならば、さしずめ彼などは関西に君臨して現代詩を牽引する役目を担った旧世代詩人のリーダーと思しい。温和な四季派抒情詩人たちにとっては、謂はば敵陣の巨擘であったけれども、職場の帝塚山短期大学にあっては田中克己先生の同僚として一目置きあひ、同じく文学部で教鞭を執られた杉山平一先生もま た尊敬を以て両者間をとりもたれた時期を持ってゐる。在野にあっては大阪文学学校の開設に関り、ながらく初代校長を務めた。

 その小野十三郎の戦前刊行に係る詩集『古い世界の上に』『大阪』を入手した。興味があらたに湧いたといふのではなく、以前に較べて入手可能な価格で二冊が相次いで現れたのだ。これもまた出会ひである。ことにも第2詩集『古い世界の上に』 (昭和9年 解放文化連盟)は、コミュニズムに親炙する内容とは凡そマッチしない、キュートな表紙が魅力的な一冊。草野心平の装釘である。中身とマッチしないのに魅力的、といふのも変ではあるが、詩集の挿画意匠を語るとき、私の中では佐藤惣之助の詩集『荒野の娘』のカミキリムシをあしらった函とともに、いつか手にしたいと思ってゐた詩集だった。

 全体この感情過多の詩人は、詩だけでなく自著のデザインについても屈折した意識ある人であったらしい。処女詩集『半分開いた窓』(大正15年 太平洋詩人協會)のデザインはダダイズムといふか構成主義が意識されたものだが、装釘者は著者より「キタナラシクつくって呉れ」との依頼があった由、で「出来上りがキタナ過ぎた」とぼやいたのだとか。(尾形亀之助記)。

 さういふ意味では意表を突いたといふより、狙ひ通りの屈折した出来栄えと言へるのだらうか。入手したもう一冊の、有名な第3詩集『大阪』(昭和14年 赤塚書房刊)は、同じくアナーキストだった歴程同人菊岡久利の手になる実に投げやりなスケッチによる装釘が、(意識的なのだらうが)過度なつまらなさ(笑)に仕上がってゐる。(人間性の魅力本位で行動する菊岡とはこのあと思想的立場を真反対にすることになる)。

 ただしかし彼の批評精神を宿した詩想はその意識的な「つまらなさ」の下で開花したのであった。戦後、彼の作品は「抒情を排した抵抗精神の顕れ」などと担がれた。けれど私に言はせれば、彼の佳作はことごとく「不機嫌な抒情詩」と呼んだ方がしっくりする。小野十三郎が伊東静雄を回想する一文で『春のいそぎ』収録の詩篇「夏の終り」を選んで親近感を示してゐるのは、伊東が大阪在住の同世代詩人で当時子息の担任であったなどといふ卑近な事情からではない。イロニーの「不機嫌さの質」において等しいものを感じてゐたからであって、このたび酸性紙の香りが芳ばしい『古い世界の上に』の原本を、注意深く繙きながら感ずるところがあったのも、初期伊東静雄の新即物主義風の作品にも通ふやうな 成心に満ちた措辞についてであった。



 ある詩人に



あなたは眼を輝かせて

僕らの話を聞いてゐた

あなたは人一倍涙もろくてすぐに亢奮するのであつた

僕らが語らうとするもの、あなたはそれをお互ひの友愛の上でのみ読まう とした

おそらくあなたは非常に幸福だつたらう

あなたは路傍の泥酔者(のんだくれ)よりも猶悪く酔つぱらつた

あなたの誠実と熱意にもかかはらずあなたは事実その話を聞いてはゐなかつた

あなたは舌鼓をうつて飲んだのだ。僕らの話を。

                             『古い世界の上に』47p







 葦の地方



 遠方に

 波の音がする。

 末枯れはじめた大葦原の上に

 高圧線の弧が大きくたるんでゐる。

 地平には

 重油タンク。

 寒い透きとほる晩秋の陽の中を

 ユーフアウシヤのやうなとうすみ蜻蛉が風に流され

 硫安や 曹達や

 電気や 鋼鉄の原で

 ノヂギクの一むらがちぢれあがり

 絶滅する。

                                               『大阪』13-14p

 『大阪』集中の有名な「葦の地方」といふ詩においても、イメージは全編が重苦しい。「ユーフアウシヤのやうなとうすみ蜻蛉が風に流され」といふ一節に、まず読者は躓かされるだらう。ユーファウシャとは「euphausia:オキアミ」のことである。言葉が分からなくても「とうすみ蜻蛉」がアキアカネでないことは分かるのだが、語義が分かると、腹脚をうごかして揺曳するオキアミよろしく、イトトンボがそこかしこを飛翔するイメージが、滄海と秋旻とを重ね合はせられて一層美しく伝はってくる。あるひは晩秋に灯心蜻蛉はそぐはない。むしろ彼が忌むべきアキツシマの語源をもち、オキアミとも似つかはしい赤蜻蛉の群泳シーンに変換して読んでも面白いと思ふ。

 とまれ「コギト」的な抒情詩だったら美しい一篇にシニカルな瑕瑾を混ぜるところ、彼はその反対をやって効果を上げたのであり、不機嫌の極みながらこれもまた抒情詩と呼んで差し支へないもののやうに私は思ってゐる。抒情詩を作れぬ詩人は詩人ではない。そして詩に社会的メッセージがなければ価値なしと断ずるなら、メッセージが社会から否定された時点で作品もまた無価値になってしまふ事情は、彼が忌んだ戦争詩だけでなく、この詩においても同様であると思ふからである。

 けだし小野十三郎によって社会的現実に対する認識が投影されない抒情詩人たちの作品が否定されたこと。それに意味があったのは、躬を挺した指弾を彼が敗戦前に放ってゐたからである。いかなる思想も遠慮なく発表できるやうになったのち、小野十三郎にかぎらない、抵抗詩人たちの戦後の詩業といふのは、なほ怨みをもって抒情詩人たちを総括糾弾した散文の詩論に較べれば、漸次戦闘の意味を失はざるを得なくなっていったやうに私には思はれる。180度転身したジャーナリズムは、現実の彼らに充分に酬ゐたであらう。けれど続く高度経済成長はかつての抵抗詩人たちの前衛の自負を後ろから刺したのであった。 その上に露見する共産主義国家の腐敗と恐怖に至っては、彼らは何を思ったらう。嫌気がさし再びアナーキズム的に嘯いてみせることは、戦争を体験した旧世代の抵抗詩人たちだけに許された特権であり、謂はば見果てぬコスモポリタンの夢である。しかし彼らの薫陶を受けた団塊世代以降の現代詩詩人たちが同じいポーズを取りながらも、師匠が否定した四季派否定には頬被りをしたまま、時に抒情詩の魅力なんぞを語る様子をみるにつけ、この上ない破廉恥を私は感ぜざるを得ない。

 詩人の責任ではないところでその詩が述べる志が社会的に有効・無効に選別される「時代」がある。時代からの「お墨付き」の評価に胡坐を掻いた途端、詩人は足元を掬はれる。それは戦前も、戦中・戦後も同じことではないだらうか。 私の中で「批評精神」とは、決して思想ではありえず、その「不機嫌さ」の真率を絶えず問ふことにつながってゐる。
 
 

装釘を紹介する図録2種 : 棟方志功と北園克衛

 投稿者:やす  投稿日:2014年 4月19日(土)03時31分56秒
   このたび古本収集のお仲間の一人だった山本正敏様(富山県埋蔵文化センター所長)から、すばらしい図録『「世界のムナカタ」を育んだ文学と民藝:高志の国文学館企画展』の御寄贈に与りました。棟方志功の画業に関して出された画集・図録は数々あれど、書籍装画に絞ったものは考察ともに少なく、雑誌自体は短命だった「日本浪曼派」の、保田與重郎を「渦の中心」に据ゑたイメージづくりに大きく関ったといへる、かの「志功装画本」の全容の解明を目指してきた山本様のコレクションは、夙に古本仲間うちでは有名だったのですが、紙質や印刷を直に確認できる現物収集の史料的な重要性はともかく、このたびは点数の統計的な分析を試みたことなど、山本様ならではの独擅場と呼ぶべき永年の成果を、郷土の文学館の企画展で披露し、カタログに美しいカラー図版で盛られましたことを心よりお慶び申し上げます。

 「棟方志功の装画本を集め、調査研究する意義はどこにあるのか」・・・その意義や、そもそもコンプリートなど不可能事であるとして、口さがない古本仲間から収集営為そのものが揶揄されたやうな時代もありましたけれども、なになに一念通じてもはや誰も否定できぬ陣容のコレクションは自ずと語ってをります。本冊解説にも曰く、ひとつは「棟方の板画や倭絵の画風の時代的変化」との関はりについて。もう一点は「装画本を通じて多くの文学者との交流の実態が明らかになること」。その通りではないでせうか。前者について門外漢の軽々に論ずるところにないのは仕方ないこととして「戦後しばらくして出身地青森県の文学者や出版社にも積極的に関わっていくのは、ようやく郷土への複雑な思いから解き放たれたあらわれであろう。」との考察など、統計によってはじめて説得力を得る新説ですし、また後者の視点を強く反映した今回の紙面づくりは、愛書家、日本浪曼派ファンの私としても、たいへん嬉しく、たしかに冒頭で福江充氏が記されたやうに「文学を愛するこころ」が棟方芸術の大きな要素となってゐることは、ただ単に装釘の仕事が多かっただけではない、何か、例へば冨岡鉄斎と儒学との関係性に似たものが類比されるやうにも思はれたことです。

 先だっては石井頼子様より『棟方志功の眼』といふ新刊の寄贈にも与りましたが、山川邸に伺った折にも、御遺族から保田與重郎とともに話題となったのは、「世界のムナカタ」の拘りのない仕事ぶりについてでありました。



 また日を分かたずして編集者の郡淳一郎様より、雑誌「アイデア」364号の御寄贈にも与りました。さきが棟方志功ならこのたびは戦前の詩精神を視覚的に代表するもう一方の極といふべき北園克衛。その彼が手がけた装釘本の総覧が大部の半分(143-254p)を占めてをります。拙サイトの旧くからの盟友、加藤仁さんのコレクションワークの産物ともいふべき、橋本健吉時代からの足取りを俯瞰した「ヴィジュアルアーティストとしての戦前の歩み」の一文や、労作「北園克衛をめぐる戦前モダニズム詩誌の流れ」を絵解きにしてみせた年表をはじめ、気鋭のキゾニストたちのセンスが汪溢する郡様編集の誌面に圧倒、ことにも貴重な戦前詩集・詩誌の類ひをフューチャーした美しい写真図譜、稀覯詩集『白のアルバム』『夏の手紙』『火の菫』や詩誌『白紙』の拡大写真などにうっとり見惚れてをります。



 大好きな詩人の装釘を紹介する、瀟洒なカタログに縁ある今週この二三日でありました。
ここにても御礼を申し述べます。ありがたうございました。
 

訃報三たび・上京記

 投稿者:やす  投稿日:2014年 4月19日(土)02時45分13秒
編集済
   八戸圓子哲雄様より『朔』177号の御恵贈にあづかりました。と同時に同日到着した小山正見様からの報知によって、今号巻頭に掲載の小山常子様(小山正孝夫人)の訃報に接し、愕然。はからずも絶筆となった「思い出 立原道造氏母堂光子様」は、周辺の回想を片々たるものでもよいから遺していただきたかったと思はずにはゐられない貴重な証言でした。亡くなられたのはすでに先月23日とのこと。御連絡いただいた翌々日の日曜には、横浜の感泣亭スペース(小山邸)で四季の詩人小山正孝をしのぶ感泣亭の会合が催されるといふことで、かねがね一度はお尋ねしたいと思ってゐたところ、故山川京子様の弔問とあはせて急遽、岐阜から日帰りで御挨拶に伺ったやうな次第です。

 午前中に伺った、短歌結社「桃の会」の歌会錬成会場でもあった荻窪山川京子邸は、これが東京の住宅地かと目を疑はんばかりの佇まひを持した、六十余年の年月を刻した純然たる日本家屋。姪御であられる赤木圭子様には、これまでこの家を訪ねてこられた保田與重郎ほか多くの文学者のことや、このたびの逝去に至る不思議な暗合エピソードのことなど、玄関入ってすぐの、夫君を祀る神棚の隣に新しく祭壇が設けられたつつましい居室において懇切にお話をしていただき、かたがた別棟の離れや菜園畑のある庭など御案内いただきました。ここにても篤く御礼を申し上げます。大変お世話になりました。ありがたうございました。

 その後に伺った横浜感泣亭スペースでは、春の別会プログラムとして雑誌「山の樹」にまつはる思ひ出話が、「青衣」創刊同人であり現詩壇の長老でもある先達詩人、比留間一成氏によってすでに語られてゐる最中でした。十名弱の聴講者に雑じり、午後の時間いっぱいを末席を汚して拝聴。その前に、正見様令閨邦子様には生田勉設計の邸内に招じ入れられ、ここでもお骨を前にして伺ったお話に、終にお会ひすることのなかったものの、先年の御著随筆『主人は留守、しかし・・・(2011年)』や、記憶に新しい拙著に賜った感想のお言葉から想像したとほりの、遺影の笑顔からにじみ出てくるやうなやさしさにとらはれては、さしぐみかけたことでした。

 山川京子様3月20日九十二歳、小山常子様3月23日九十三歳、ともにお最後まで、瞠目に値する意識の明澄をもって、夫君である詩人への「純愛」を貫かれた御生涯でございました。それは京子様のごとく守旧的であらうと、常子様のごとく開明的であらうと、抒情を志として守りとほした我が国の前時代女性においては変はりやうもない。その堅操を、はるか末世に生を享けた泡沫の男性詩人は深く銘記いたします。 合掌
 

サイト移転

 投稿者:やす  投稿日:2014年 4月 7日(月)22時28分17秒
   さてサイトの移転ですが、まったく予想しなかったスピードでの再開に驚いてをります。

 新ホームページ http://cogito.jp.net/

 御足労いただいた「稀覯本の世界」管理人様には、拙劣な文弱サイトのためにオリジナルドメインまで賜り感謝の言葉もございません。

 ありがたうございました。
 

近況 2

 投稿者:やす  投稿日:2014年 4月 3日(木)23時32分23秒
編集済
  ○昨日は山川京子女史の義甥にあたる山川雅典様が、詩人山川弘至の妹君敏子様御夫妻(関市在)を伴ひ、東京より職場まで遠路をお越し下さいました。
御葬儀の様子などを伺ったのですが、入学式の忙殺中のさなか何のお構ひもできず、まことに申し訳なく、恐縮いたしました。
当日配られたリーフレットをいただきましたが、録されてあったのは、書斎の歌稿ノートに遺された三月十日付の、遺詠となった三首でした。

 いちにんの君を思ひて七十歳 面影は今も若くうつくし

 いちにんの君を思ひて幾十歳 昔を今に嘆かるるかな

 老いてなほ思はるるかな めぐまれしひとりの恋の何ぞめでたき

 亡くなる前日の夜も、普段とお変りなく御自身で床を延べて休まれたといひます。普段からその全ての詠草が遺言に等しいものであったことは、主宰された「桃」の会員の皆々様のよく御存じのところ。しかし余りにも突然のことにて、謂はば世に思ひを刻むことを一念に生きてこられた方にして、さて一期にのぞんで何の遺言をのこすこともなかった大往生に一番驚いてをられるのは、あるひは御本人であるかもしれません。夫婦の再会を寿ぐなどいふお悔やみのおざなりを、今はまだ申し上げることができません。
 あらためて御冥福をお祈り申し上げます。
 

近況

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月30日(日)10時18分4秒
編集済
  ○ホームページを休止すると発表しましたら、「稀覯本の世界」管理人様からミラーサイトなるものを作って下さるとの有難いお申し出がありました。
できあがりは半分くらいの容量になるさうで、楽しみです。
ここにても篤く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

追記:サイトコンテンツの取り込みについて、便利なコマンドを使って順調に取り込みが終了したとのこと。当初の予定通り3月31日をもってホームページを休止いたします。永い間ありがたうございました。



○先日の山川京子女史御葬儀弔電にお供へしました三首を録します。

 悼

ふるさとの古きさくらの枝に咲く言葉のごとき人は今なく

ふるさとの花は未だしまちこがるその山川にかへりしひとはも

山川のよどみなければうたかたの消ゆる思ひもつきることなく



○五十三になりました。年をとったとて何の感慨もないですが、岳父、丈母が一緒に食事をして祝ってくれました。老母、荊妻、耄碌犬みな恙ないのが嬉しいです。
 

鯨書房 山口省三さんの訃

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月22日(土)19時17分29秒
編集済
   本夕さきほど、自分の図書館異動のことを、最近めっきり本を買はなくなって縁遠くなってしまったご近所の古本屋さん、鯨書房にお詫び方々お報せに行ったところ、反対に御店主山口省三さんが亡くなったことを奥様から伺って絶句する。それも最近のことではない。昨年12月21日未明、神田町で呑んでの帰りに長良上天神バス停近くの溝に浸かって亡くなってゐるのがみつかったのだといふ。発見の経緯や、生前の口癖だった「俺が死んでも葬式はするな」といふ遺言を半ば守り、内うちに済ませた葬儀のことなど、ご親切にも不躾に私が訊ねるままにお話下さったが、警察の調べでは事件性はなく、さりとて命旦夕に迫る持病も無かったとのことで、涙を浮かべて当時を語られる奥様の心中の混乱、察するに余りある。

 お店は一緒に手伝ってをられた御子息がそのまま継がれてゐる。訃報は新聞にも載せず、ホームページでも知らされず、これまで直接お店にやって来た常連さんに限って伝へられてゐた。店売りのお客はインターネットと無縁なのだらうか、どこのブログにもTwitterにも何の言及も無く、3ヵ月も経った挙句に私なんかがかうして訃報を記すといふのも、ここ何年か「インターネット(日本の古本屋)の所為で忙しくなってね、困っとる。昔に帰りたいよ。」と、例の嗄がれ声で微笑みながらいつもボヤいてをられた御店主にして、まことに皮肉な思ひでもって泉下から苦笑ひしてをられるやうな気がしてならない。

 私が高校生の時に開業(レジ横に設へてあったエロ本の平台こそが我が古本との出会ひであった)、角刈りに度付きサングラスといふ強面ルックスで(斜視でいらした)、どこかしらに学生運動華やかなりし時代の反骨の闘士の面影を残し(当否を伺ったことはない)、その後10余年を経て帰郷した私の最も盛んなる古本購入時代に於いては、地元の戦前詩集・漢詩集の収集のことでお世話になった一番の恩人であった(高木斐瑳雄のアルバムを散佚寸前の際で救ひ私に御連絡下さったことなど数限りない)。
 2013年12月21日未明、岐阜の昔ながらの古本屋、名物店主だった山口省三さん逝く。昭和24年10月1日生れ、享年六十四。

 山川京子女史の突然の逝去といひ、わが図書館からの異動、ホームページの休止といひ、今やこの非常の春に、天変地異にも似た、何か自分の運命に対する終末的気分と変革的予感とを、同時に、ひしひしと感じてゐる。
 まことに間抜けな元常連の顧客より、とりいそぎのお悔やみを申し上げます。
 

【急報】山川京子様 訃報

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月20日(木)23時21分22秒
編集済
  歌人山川京子様、本日正午ご逝去の由さきほど御連絡を頂きました。休止するホームページ最後のお報せがこのやうな悲しいものになるとは…言葉がございません。謹んでお悔やみを申し上げます。

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/essey/shiki10.htm
http://6426.teacup.com/cogito/bbs/837


【追伸】2014.3.21 11:54 御遺族山川雅典様からのメールをそのまま添付いたします。
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桃の会主宰で歌人の山川京子が、昨日、逝去致しました。
享年92歳、患うことなく眠るような大往生でした。
生前、皆様から賜りましたご厚情に心から感謝申し上げます。

通夜  3月25日(火) 午後6時~7時
告別式 3月26日(水) 午前10時30分~12時
場所  代々幡斎場
住所  東京都渋谷区西原2-42-1
電話 03-3466-1006  FAX 03-3466-1651

喪主 赤木圭子(姪)
連絡先 京子宅 03-3398-6585

ご生花のご注文・お問い合わせは、下記までご連絡ください。
電話 03-5770-5521 FAX 03-5770-5529 (株)一願
 

サイト休止の御挨拶【予告】

 投稿者:やす  投稿日:2014年 3月17日(月)12時05分33秒
   私こと長らく勤めてきました職場の図書館からはなれ、この春より一学科部局の事務職への異動を仰せつかりました。残念ですが新しい大学図書館構想から現状の体制を省みますと、事務課長として力量不足、反省面もありますが致し方ない気もしてをります。

 さて仕事上もさることながら、図書館サーバーの空き領域を拝借して開設してをりました当個人サイト(6Gb)も、保守ができなくなるため休止せざるを得ません。大学にはHP運営を黙認頂いたことに対し感謝申し上げるとともに、これまでコンテンツのために各種御協力を賜った近代文学研究者・詩人たちの御遺族・古書業界等々の関係者各位の皆様にはまことに申し訳なく、いつかは考へなくてはならない移転問題を先送りにして胡坐をかいてきた怠慢を詫びるほかございません。
 新任地では頭を冷やし、ふたたび出直すべく、暫しインターネットからも遠ざかることになるもしれませんが、精神衛生を第一に養生・修養に努めます。不徳の管理者の心中なにとぞ御推察のほどよろしくお願ひを申し上げます。

 なほ、トップと「ごあいさつ」ページ、および掲示板はこのまま残します。今後、コンテンツごとになるかと思ひますが、どのやうな形で復活させられるかは、また掲示板の方でお報らせいたします。よろしくお願ひ申し上げます。

 ありがたうございました。
 

『棟方志功の眼』

 投稿者:やす  投稿日:2014年 2月23日(日)12時56分14秒
編集済
   毎年お送り頂いてゐる素敵なカレンダーに続き、石井頼子様から、以前に予告もございましたの初めての著書『棟方志功の眼』が出版の運びとなり、このたびは貴重な一冊を賜りました。

 冒頭と巻末に、それぞれ

「淡々とした職人のような生活の中から厖大な作品が生まれた。そこにはおそらく多くの人が抱くイメージとは少し異なる棟方が居る。4p」

「映像ではいつも制作しながら鼻歌を歌ったり、しゃべったりしているんだけど、それは映像用のパフォーマンスで、実際はそうじゃない。今「そうじゃないんだよ」と言い続けているのは、実際の棟方の方がもっと面白いからです。162p」


 と記されてゐますが、とかく奇人扱ひされることの多い棟方志功そのひとの普段着の様子を、間近にあった祖父の記憶として織り交ぜながら、遺愛の品々をとりあげて、多角的な面から(画伯として・摺職人として・好事の目利きとして・道義の人として)論じてをられます。とりわけ著者の絶対的な信頼が、適度な客観視を許す描写となってゐるところが、気持ちよく感じられました。

「雨の予報が出ると家の中がわさわさし始め」「画室中に張り巡らされた洗濯紐にぬれぬれとした作品が万国旗のように翻る」話や、スピンドルバックチェアを疎開のために梱包するのに使はれた十大弟子版木の話、テープレコーダが届くと孫を前に突然歌ひ出されたねぶた囃子のこと、そして手も足も出ぬ入院中の境遇をたくさんの達磨に描いて人々に送った話など、興味は尽きません。 もっとも古本のことしか知らない私にとって、師と仰ぎ、交歓をともにされた民藝運動の巨擘の面々はもとより、連載時毎に話題に挙げられた「萬鐵五郎の自画像、コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集、河井寛次郎の辰砂碗、尾形乾山の掛軸、サインに付された折松葉の意匠、通溝の壁画、梁武事仏碑懲忿窒慾の拓本、有名な「棟」の陶印、胸肩井戸茶碗、上口愚朗の背広、」などなど・・・無学者はインターネットで検索しては、一々確かめながら読み進めていったやうな次第です。

 巻末対談における深澤直人氏(日本民藝館館長)とのやりとりのなかで披露された、お二人の含蓄ある鋭い観察がまた読みどころとなってゐます。

深澤氏 「ただ民藝と棟方志功は別で、棟方志功は完全なアーティストだと私は思っている。民藝というのは自分が作家だと思ってない人がつくったものです。ここが大きく切り分けるところなんです。棟方志功が上手いも下手も関係なくグアッとつくっていける強さと、ほんとに下手な人が一所懸命につくったものの良さとは違います。154p (中略) 可愛いというのは、完全じゃないというもっと別の魅力になってくるんです。それが民藝館を支えている大きなファクターで、そのなかの一番の魅力が棟方志功のなかにも脈々と流れている。157p (後略)」

石井氏 「古語で言うところの「なつかしい」という感じ。郷愁ではなくて、心がやさしく寄り添うという意味合いですね。158p」


 ここにても厚くお礼を申し上げます。ありがたうございました。
 

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